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『何十回、何百回辛いことがあって 何千回、何万回涙を流しても』

「よーじおじさんが、見つかったよ。、、、亡くなってた。」

こんにちは☆彡真美です🌟

人生で人の「死」に立ち会うことはあると思いますが、「自殺」を身近に感じるときが来るとは思いませんでした。

それは、喫茶店店員から、一般企業に転職してすぐのこと。
母からの1本の電話がかかってきました。

「よーじおじさんが行方不明、、、?」

よーじおじさんは、母の2つ下の弟さん。母は私と同じ3きょうだいで、2人の弟さんがいます。

せーじ叔父さんと、よーじ叔父さん。
私は、2人からかなり可愛がって貰いました。小さい頃から、お兄さんのような存在で「せー兄」「よー兄」と呼んでます。

大学時代から、ゲーム大好きで部屋で読書するしたり、勉強したりするのがせー兄に対して、よー兄は、マイペースかつアクティブなイメージの人。私が祖母の家に行くと、2人共、個室にいて、私はこっそりどっちかのお部屋にいて、遊ばせてもらいました。

私に、妹と弟ができたときは、母は2人にかかりっきりだったところを、よくかまってくれて嬉しかった。

その、よー兄が行方不明と聞いて、事情を聞くと、2~3日帰ってきていなかったらしい。
奥さんもずっと相談していなかったところ、ようやく祖母に相談に来て、警察に相談することになったとのこと。会社にも行ってなかったようで、家に連絡がきていたようです。

私は東京にいたため、母からの連絡を待つことしかできませんでした。

2日後、母から連絡があり、どこぞの山の麓に車がとまっているのが発見され、その中で既に亡くなっていたと聞かされました。状態が悪く、結果的に死因は、はっきり分からずだったようです。

(心臓発作か、自殺か、、、それも調べられない状態だったらしい)

後から、聞いた話だと、よー兄がいなくなるのは、たまにあったようです。その、原因は、主に「奥さん」

よー兄の奥さんは、私もよく知る人でしたが、印象は優しくて、あまり怒らない人。もっと言うと、叱ることのできない人でした。2人の女の子の子供がいますが、厳しく教育する事が出来ない人だったようです。ほしいものは買ってあげる。部屋が子供たちのおもちゃで溢れかえっていても片づけられない。させない。子供達にそれを躾けることも出来ない人だったようです。朝早く仕事に行く、よー兄にご飯も作れない。帰ってきたらご飯を作っていない日もあったとのこと。

結果的によー兄は、自分の家が安らぎの場所になる以前に、ストレスが溜まる場所になってしまった。

(無口な人だったこともあります。)

思うところあれど、今となっては、動機ははっきりとは分からず仕舞い。しかし、発見後によー兄の状態をみた、母とせー兄から聞いた言葉が今でも私の心に残っています。

「こんなことになるなら、もっと早く別れさせてやったら良かった、、、。」

葬儀をするにあたって、よー兄が家に帰ってくる際に、家の片づけは全部、父とせー兄の奥さんがやってくれたそうです。
後から父から聞いた話だと、おもちゃが溢れかえり、足の踏み場もないゴミ屋敷状態だったとのこと。父はそれを見て、よー兄の奥さんに一言だけ言ったそうです。

「、、、家族として、帰ってくる場所を創ってあげるのが君の役目だよ。」

それを聞いて、どう思ったかは定かではありません。ただ、帰ってきたよー兄を見ても、子供たちは、ぽかんとしていたそうです。

◆「幼少期から、しっかり厳しく怒って貰えること」

これが、どんなに大切かを身をもって知りました。私は、父に厳しく、時に優しく育てて貰って、本当に感謝しかありません。

突然のことで慌てている私に、母が「あなたは、東京にいるし、突然のことだから、落ち着いてからこっちに来なさい。やるべきこともあるでしょう。」と言ってもらいました。今になって思いますが、あまり来させたくなかったのかもしれません。

(怒り気味だった私が冷静になる時間をくれた母に感謝しています。)

それから、入院中だった祖父も後を追うように亡くなりました。
「あぁ、よー兄の所に寂しくないように一緒にいったのかな。」
正直、全員そう思ってしまいました。

あれから、少し落ち着いた後、祖母に会いに行きました。陽気な祖母にちょっと戻ってました。

「あれ以上悲しいことは、きっともうない。」と今では話します。

(死ぬ前に一度恐山に行って、イタコの方に頼んで、よー兄に会うのをやりたいそうです。)

あの出来事から大分経ちますが、私にとって「結婚すれば幸せになれる」という価値観が変わるきっかけにもなりました。

◆結婚が幸せにしてくれるわけじゃない。自分が幸せになると決めないと、誰かに引っ張られる。

よー兄ともっと一緒にいたかったし、社会人になって一緒に飲んだりもしてみたかった。今となっては叶わないけれど。

誰かと一緒に人生を共にするというのは、お互いの人生を一緒に良くしようという責任なんだとわかりました。それを教えてくれたよー兄に感謝しています。

よー兄、ありがとう。

(いつか私が、よー兄に会う瞬間があった時に、今回の人生であった色々な出来事を肴に笑って飲みかわせるように。日々をしっかり生きます)

もう良いのかな…
ただ生きてることにはウンザリなんだ
もう良いのかも…
けど心のどこかの何かが邪魔して
何時まで経っても諦め切れない

何十回、何百回辛いことがあって
何千回、何万回涙を流しても
世界の片隅で笑おうよ 笑おうよ いつか

もう良いのかな…
ただ不安になるのはウンザリなんだ
もう良いのかも…
けどあの日の自分が許してくれなくて
何時まで経っても足掻き続けるんだ

何十回、何百回悲しいことがあって
何千回、何万回涙を流しても
世界の片隅で生きようよ 生き続けよう ずっと

never/メガテラ・ゼロ

※メガテラ・ゼロさんの歌は、最近好きでオススメです。歌詞抜粋させていただきました☆彡

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