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自主練

まさにこの写真の若く、頭の中が晴れきらない。
何かがまとまりそうで、まとまらない。

ずーっとモヤモヤモヤモヤと。
スキッとしない。

最近、一人の時に、まるで誰かにインタビューされているかのように、
頭にあることをブツブツと語ってみるという、
キモいことを時々やるのだけれど、
今さっき、それで何かがまとまりそうだった。

でも、いつもまとまりかけて、ふわっと消える。


ただの、私個人の自己分析なのだけれど,
昔から、結局「自主練」が好きなのだ、と気づいた。
一人でひたすらする練習。
昔は、バレエの自主練を、毎日毎日頑張ったものだ。
(でも、これは学生時代の話。プロになってからは、逆に自主練をしなくなった。という悲しい話。だから、もっと上に、もっと先に、進めなかったのだろうと思う。)
今は、ヨガの自主練をほぼ、まあまあほぼ、毎日頑張っている。
別に、何かが報われるでもなく、何のためにやっているのか、
何なんだろう、と思いながら、時間の許す限りやっている。
(あ、インスタアップのため、という目的はあった!笑)

好きだからやっているのは明確だ。
じゃなきゃ続けられない。
でも、なんでこんな地味なこと好きなんだろう?
一瞬、無意味にさえも思えることを、どうして続けるのだろう?

今、キモい独り言を呟きながら、少し、「なんでヨガなの」ってとこに繋がる何かが分かりそうだった。

自主練をするのは自分のためだけでしかない。
しかも自分のためと言えど、それで、自分が何か報われるようなことが待ち受けている、わけでもない。
ヨガのポーズ一つにしても、「練習がいつか実を結ぶ」というのは、経験上分かってはいるが、それがいつになるかもわからなければ、そして、そのポーズができた所で、だから何なのだ、という話である。
精神的な面で言ったって、日々イライラしまくるし、まだまだ修行の身、
心を操るなんて、多分一生かけて日々取り組む課題だ。

じゃあ何で????

おそらく、
私は、そもそも自主練に見返りを求めてなかったのだ。
それをやっている自分。その時の感覚。
それが必要なわけだ。
要するに、その自主練の間「今」に集中しているわけだ。
それが気持ちいいわけだ。
だから続けていたのか。
あーヨガじゃん。

と、腑に落ちた。

結果を求めない。
例えば、減量やダイエットを目的とした筋トレや運動だと、
目標達成できれば、相当嬉しいだろうし、
見た目も気分も、いい様に変わるはずだ。
だけれど、その間の一喜一憂が大変だ。
達成したものをキープするのも大変だ。
その「結果」に、気持ちが左右されるのが嫌なのだ。
一種の逃げなのだろうか?。。。そこはわからん。

……
ほらね、
まとまりないでしょ。

なんか晴れそうで晴れないんだよな。
深い霧の中にいる感じ。
一瞬晴れ間が見えそうなんだけど、また見えなくなる。
ほんと、デンマークの海沿いの天気の様。



この間、近所で見れた虹。くっきりと、近くに、しかも二重で。虹はくっきりだけど、空は恐ろしく灰色。もちろん反対側から太陽が照らし出してくれてたわけだけれど…


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