共に奏でる「和奏(わかな)」の世界を目指して ソプラノ歌手・ヴォイストレーナー 石田 祐華利さん
プロのソプラノ歌手として活躍されながら、声の力で人々を元気にしていきたいとヴォイストレーナーとしても活躍中の石田 祐華利さんにお話を伺いました。
石田 祐華利(いしだゆかり)さん プロフィール
出身地:長崎県
活動地域:主に東京都内
現在の職業及び活動:ソプラノ歌手・ヴォイストレーナー
東京芸術大学卒業、同大学院音楽科声楽専攻修了。
イタリアや日本国内でオペラやミュージカルに出演。劇団四季に在籍(‘98~99)。
あらゆる曲調に対応する色彩豊かな声質、聴く者の心に直接的に訴えかける表現力と演出力が魅力。
ソロリサイタルやスクールコンサート(文化庁派遣)の他、ヴォイストレーナーとしての信頼も厚く、音楽専門学校、ミュージカルの発声指導、企業研修や朝日カルチャーセンター等、心と身体の開放に重点を置く発声ワークショップを展開。
座右の銘:「心爽やか、身健やかに♪」
「歌は競争するものではなく、共に創るものであり、共に奏でるもの」
Q. どんな夢やVISONを描いていますか?
石田さん(以下、敬称略):「夢を持てない」という事が悩みだったんですが、「声の力で元気になってほしい」というのが行き着いたところです。
また、ソプラノ歌手とヴォイストレーナーの両方の活動を続けてきて自分はどっちをやりたいんだろう。。って悩み続けていたんですが結局両方でした。
本来のあなたになって欲しいし、本来の私になりたい。そのための一番のキーワードが『和奏(わかな)』です。ずっとこれがやりたかったんだなぁと気付きました。
歌は競争するものではなく、共に創るものであり共に奏でるもの。和を奏でながら声の力で世の中を元気にしていきたいと思っています。
Q. 夢の実現のために計画や活動方針などは何かありますか?
石田:35歳くらいから体調を崩してから中々安定しなくて。体調と折り合いをつけながらやってきたので、その時々で必要とされる事、必要だと思う事をやってきました。でも演奏活動とヴォイストレーニングの2本の柱で活動することは決めています。
Q. 今はどんな実践行動や取組みをされていますか?
石田:芸能系の現場では自分の音楽歴でも途中で劇団四季に所属していたこともあり、「商業ベースで売れる歌い方」とか、「上手く効率的に歌う」ということを教えていますが、マイクやスピーカーを通して歌うので、どうしても過剰な音量や人工的な音響にさらされます。ミュージカルやライブなどダイナミック表現空間は一回で多くの人々に感動を与えます。これは本当に素晴らしい事ですが、一方であまりの過剰なエネルギーに触れ続けると、やはり疲れて「乱れて」きます。
音量があって、高音がしっかりとでて、音程も良くて。プロとしては当然できなくてはいけない事ですが、「正しい」ことではない。条件が揃わなくても、その方を「整える」ための歌い方を伝えていくということが一番大切だなって気付きました。
なぜなら、ヴォイストレーニングに来た人達の声や悩みを聞いていると「私みたいなのが習っていいんでしょうか?」みたいな方が結構いるんですよ。
「プロを目指しているわけでもないし…」とか変な負い目を持っているんですよね。「音痴だから」と言うんですが、音痴の何が悪いんだって思うんです。
そんなことより自分が詰まっている感じがするとか、声を出すのが苦しいって言うのを何とか解放してあげたいって、そういう風にシフトして行ったんですよね。
記者:技術的な歌い方というより、根本的な詰まりを取って心の開放をされているんですね?
石田:そうですね。最近はやっと具体的な方法を伝えられるようになってきました。例えば自分の体を“アコーディオン”だとイメージして下さいと伝えています。声が出ない理由は人によって違うんですよ。
例えばアコーディオンの鍵盤があって、鍵盤を押してるんだけどそもそも鍵盤自体が鳴らない。鍵盤は鳴るんだけど押してないから出ない。鍵盤は鳴るし押してるんだけど蛇腹の部分が動いてない。または鍵盤は鳴るし押してるし鳴ってるけど、「ここ」をひねってるとかね。鍵盤は鳴るし押してるし全部大丈夫なんだけど、それでも「歌えません」。。などなど。
そうすると「私のアコーディオンの問題はどこ?」と言う話になるのですが、1回のエクササイズで声帯や周辺筋肉の反応が良くなる人もいれば、数回必要な人もいる。イメージしやすい表現を私がたまたま使ってできる人もいれば、首を傾げる人もいる。アプローチの方法も回数も個人によって違います。
発声に関連する体の機能がちょっと落ちていてアクティブでなかったとしたら、それをアクティブにしたら出来る可能性はあるし、もし声帯自体に何か問題があったとしても医学的に治療すれば治るんだから落ち込む必要はないんです。
満足度って人によって変わるんですが「気持ちよく歌えたー!」っていうのを1回掴んだらそれで良かったりするんですよ。
Q. ヴォイストレーナーをしていて、一番楽しいとか有意義に思う時はどんな時ですか?
石田:演奏は未だに修行と思っています。私ももう少し楽しもうと思ってるんですが、舞台というものは1:100、私対大人数の世界。絶対に100人を1回で納得させないといけないという変な責任感があります。もうちょっとゆるめて行こうとは思っていますが(笑)
でも教える現場では「相手がどうしたいのかな、どうすれば楽になるのかな」とひたすら考え、探っているので、たとえあまり上手くない方がいらしても、全然頭に来ないんですよ。一緒にいろいろ試して「当たり!」ってなると、私も楽しいし相手も良かったー!って顔するので、その瞬間が昔から一番楽しいですね!だからレッスンはノンストップでやり続けても全然疲れないんです。内容もですがそのプロセスが好きなんでしょうね。
Q. プロの歌手として歌う時は、どんな時が一番楽しいとか有意義に感じますか?
石田:度重なる体調不良で演奏活動を二年程休んでいた時期がありました。
コンクールとか商業ベースの音楽活動とかお付き合いとか、ちょっと疲れてしまってたんだと思います。余裕がなかった。
でもあるきっかけで、伴奏者と一緒に歌ってみたら、もう喜び震えたのが自分でわかったんです!共鳴共振してるんですよね。相手の伴奏と私の歌が響いてるんですよ。極論、このことに気づく為に今までの事があったんだと思いました。
記者:今の話を聞いてたら、歌い手としてのゆかりさんとヴォイストレーナーとしてのゆかりさんの有意義に感じるところは、結論としては同じだなと思いました。共鳴しあい、相手と一つに感じられた時に一番喜びを感じているんですね?
石田:そうなんです。ひとつになるんですよ!
前はコンクールとかでは「何がなんでも勝たないといけない」って思っていました。でもそれだともう無理なんですよね、疲弊しちゃう。勝ち負けではなかったってことに気付いて良かったなって思います。
Q. 歌手とヴォイストレーナーの両方だということに行き着いたきっかけや気付きは何かありますか?
石田:そうですね。芸大時代にはすごく悩んで両方ずっと活動を続けていたんです。
卒業して教えるとなったら、仲間から「何で諦めるの?」って言われたんです。教えるっていう事は諦めるっていう事なの?っていうのがすごく自分の中のジレンマでした。
でもやっぱり若い時はどこかで「違う」と思ってはいても、著名になっていくことは正しく勝ち組であり、そうでない者は間違っていて負け組みたいな価値観を持っていました。そんな状態で体調がどんどん悪くなってしまい、それまでのように頑張れない状態になって休養しました。
でもやっぱりどっちかだとおかしくなるんですね。行ったり来たりしたことで、最終的に両方必要なんだと自分でわかったことだと思います。
光もあって影もある、表もあって裏もあるので、中庸であることが本質なんだということに気付いたということだと思います。
それとセラピストの方と会って歌を聴いてもらった時に「みんな聴きたいだけじゃない、歌いたいのよ!」言われて。その一言から「ヴォイスヒーリングコンサート」っていうのを企画して、ヴォイストレーニングをやってコンサートをするというイベントを全国6か所で開催しました。
劇団四季にも所属していましたが、自分が大切にしたいのは作品でもなく、名声でもなく、結局は歌なんだなーって「歌う心」なんだと気付きました。その先はどう進んでいいかわからなかったですが、出て来たのは、演奏活動とボイストレーニングの2本の柱でした。
「競争ではなく→協奏→共創→和奏」
Q. 「声の力で元気にしたい」という夢を持たれた背景には何がありますか?
石田:父の教えは「夢を持て!」「感謝しなさい!」だったんです。
その夢も弁護士さんとか先生とか、将来安定した生活を得られる「ちゃんとした職業」限定でしたが(笑)
感謝はしなくてはならない。夢は持たなくてはならない。
でも夢が音楽だと言おうものならもう大変。。みたいな感じでした。でも最終的には認めてくれて。考えてみたら、父親は一生懸命に伝えてくれてたんだなーと思います。だって夢を持つってすごく大事なことだから。今は心から感謝しています。
記者:ご両親も音楽をされていたんですか?
石田:特別に音楽が好きというわけではないですが、母はコーラスやったり、よく童謡を口ずさんでました。
父は最初は反対していたものの、歳をとってからは私のCDを擦り切れるほど聴いて、それはもう批評家レベルで色々とアドバイスをくれました。
ただ、大学にいくまでは本当に毎日父親に怒られていたので、それがずっとストレスでした。歌やピアノはその現実から逃れるため手段。歌ったり弾いてる時のみがやっと自分に集中できて、それをやめた瞬間にビッと不安が襲ってくるから必死でした。音楽を何とか職業に結び付けたものの、音楽が癒しではなく現実の中で競争の道具になってしまっていたんです。
体調も崩して一度立ち止まってみて、私のこれまでの人生の中で気付いたことは、歌は競争するものではなく、共創のために協奏するものなんだっていうことです。
これからの人生、声の力で世の中を元気にして、共に奏でる「和奏」の世界を創りたいと思っています。
記者:音楽という夢を実現し、体調とも闘いながら、和奏にたどり着いたプロセスが本当に美しいなと思いました。
競争ではなく→協奏→共創→共に奏でる「和奏」。本当に素敵ですね。和奏の世界が広がる未来が楽しみです。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
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【編集後記】
今回インタビューを担当した塚﨑、清水、陣内です。
憧れのソプラノ歌手という夢を実現されるまでには、見えない大変な努力と困難があったことと思います。自分を救ってくれた愛する音楽に真摯に向き合いながら、華やかな表舞台だけでなく、共に声のアウトプットを通して心身を解放し元気になってほしいと一人ひとりに寄り添われている生き方に感動いたしました。
インタビューではとても気さくなお人柄で、本当に楽しくてあっという間の時間でした。これからの益々のご活躍を楽しみにしています。
ありがとうございました。
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。