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思いっきり楽しんでみたい♪

久しぶりにお友達に会ったとき
ガンジーの話になりました。

ガンジーって非暴力で
贅沢もせず
糸車まわして人民のために尽くした
素晴らしい人

確かにそういう面もあって
インドの独立に貢献した偉人ではあるのだけれど

実は、めちゃくちゃ性欲が強くて
禁欲生活してたけど
毎晩女の人に添い寝してもらってた。って話を聞いて

(もし、それが
女性の合意なしに行われていたり
性的虐待が行われていたら
全然笑いごとではないんですが
ここでは一旦、ただの女好きという話で
すすめていきます)

「そういわれたら
それっぽい顔してるよね(失礼)」と
二人で大爆笑してたら
私の中でスコーンと抜けるものがありました。

当たり前のことなんですが

「人って良いところもあれば
悪いところもある。
100%良い人もいないし
100%悪い人もいない。」
って

すっごく腑に落ちたんですよね。

学校やテレビなんかで
偉人と呼ばれる人のことを習うときは

全ての欲がなくなっていて
子どものように純粋で
ひたむきに人のために努力して
非の打ちどころがない神さまのような
聖人君主のような人だったみたいに
インプットしてしまい

私もそんな風に
悪いところが一つもない人に
ならなくてはいけないって
すっごく無意識に思い込んでしまっている

だから

自分の悪いところを赦せなかったり
他人の悪いところを認められなかったり

してしまう。

その善だけを良しとする
歪んだ完璧性をもとめることで
自分を、相手を苦しめてしまってる
なあって
思うんですね。

でも、本当は
そんな100%良い人なんて存在しない。
同時に100%悪い人も存在しない。

会社では鬼上司と言われてる人でも
家族には本当に優しい人だったり

技術も人間性も素晴らしい人なんだけど
女癖だけはほんと悪いとか

良いところも、悪いところも
混ざり合っている

私たちって、そんな玉虫色の生き物


植物だってそう

たとえば
ドクダミって
かわいい白いお花を咲かせるんだけど
匂いがほんとにキツイ。
乾燥させてお茶にすると
めちゃくちゃ癖はあるんだけど
体にいい。とか

良いところと、嫌なところが
混ざり合ってる

ついつい
そのキツイにおいを消そうとか
悪いものをなくそう排除しようと
してしまうんだけど
それってすごく不自然なこと

なくすのではなく
どう上手に付き合っていくか?が
大切
なんだと思います。

一人が楽なんだよな。って
なってるときって

この嫌な部分にばかりフォーカスが
かかってしまっている時
だなって思います。

あんなことする人って嫌だなとか
あんなことする私って嫌だなとか

悪が存在することを嫌っていて
それを感じたくないから
一人でいた方が楽ってなってしまってるだけ

だったなあって思います。

でも、悪いところって
あってもいいんです。

そこに引っかからなければいいだけのこと

ずぶずぶになった泥道に文句を言って
出かけるのをやめて
お家に一人籠らなくていいんです。

違う通りやすいきれいな道を選んで
進んでっていいんです。

私が生きている理由って
100%の善人になることじゃありません。

わたしを100%生ききること。です。

神なる意識のわたしを
この玉虫色の私を通して
心置きなく思いっきり今を楽しんでみること

なんだと思います。

一人が楽なんだよなって
それもいいと思います。

でも
楽(らく)だけじゃなくて
楽しいもあった方がいい

一人でもいいし
たくさんでもいい

どちらも選べる
どっちもあっていい
私がいま心惹かれる方を
積極的に選んでいく♪

その積み重ねが
私を100%生きるなんだ
と思っています。






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