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HINOMARUの何がいけないのか?

RADWIMPS、実はまだ観ていない「君の名は。」の主題歌になる前から知っている。
私は偏っているから、時に自分のその偏屈さを和らげるために視界を広げたり、新しいものを開拓するのだが、若い頃音楽は特に偏っていたので、その偏りをなくすために広く浅くとにかく色々聞いてみるのだ。
若い人間のつくる音楽なんて、面白くない、薄っぺらだ、とか言う事をたまに聞くが、全然そんな事はないのだ。メロディーが面白い人達もいれば、歌詞の言葉選びがすごい人もいる。涙が出てくる音楽もあれば、共感できてしまう詩もある。グロくてえぐい歌詞に感心してしまい、私もこんなのが書いてみたかったな、と嫉妬のような感情を湧き立たされることもある。
私はRADWIMPSの「五月の蠅」辺りが大好きだ。Illionもすきだ。
殆どの作詞・作曲をするのはボーカルの野田洋次郎だ。彼は小さな頃から10歳になるまでアメリカで暮らし、アメリカの公立校に通っている。アメリカでは毎朝全校生徒が起立して、胸に手を当て、国旗に忠誠を誓う。
幼稚園に入学したらまず忠誠の言葉を暗唱するように教え込まれるのだ。


” I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all. ”
(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)
試しに家の子達に今やってみろと言ったら、一語も間違わず言えた。
仮にだ、野田さんが国家や国旗に忠誠を誓う、という事を小さな頃から当たり前にやってきて、自国の旗に対してではないにしろその習慣が身についていたとすれば、日本の国旗に愛国心を感じても何もおかしくはないであろう。外国暮らしが長くなると、変な愛国心が目覚めてしまうのは事実だ。
自国を愛せず、他国を愛せるであろうか?自分の事が嫌いな人間に、国を愛する事が出来るであろうか?愛国心の何がいけないのか?自分の国に誇りをもって何がいけないのだ?自国を愛するがこそ、ここを良い国に変えたいと思えるのであって、そこから過去の過ちを学び、前進していけるのではなかろうか?


そもそも「HINOMARU」はサッカーのテーマソングとして発表された「カタルシスト」のカップリング曲だ。ワールドカップも近い。ただ単に日本を応援したかっただけではないのでなかろうか?ワールドカップを抜きにして歌詞をみると、日本の為に散っていった若い兵士たちの事を歌っているようで切なくなってしまう。戦争は何も生み出さない。戦争で奪われた青春や将来。あのころの日本で奪われていった数々の命。それはあの頃戦争をしていたどの国の人間にも同じことがいえる。彼らには、彼女らには命があった。夢も、希望も、将来の暮らしも、思いを寄せる愛しい人の存在も。戦争が続く限り、今もその犠牲は絶えることはない。
野田さんは毎年三月十一日辺りになると震災復興のための楽曲をリリースしている。
彼は日本をすごく愛しているんだと思うし、そういう若者たちが増えれば危ない方向に行かないんだと思う。愛国心イコール戦争ではないという事だ。愛国心イコール優越心でもないし、国を守るという事は結局地球を守るという事につながっていくし、自国民に愛されている国は他国からも愛されるのだと思う。
アメリカと闘った祖父はアメリカ人の連れを快く迎えてくれた。バスで話した韓国人のおじいさんは小さい頃日本の統治時代で、学校に若い日本人の先生が来ていたそうで、すごく優しい先生だったと笑顔で話してくれた。
ひとりひとりはみんないい人間だ。
思想教育というのは怖くて、こんないい人間が、優しい人間が手の裏を返したように時に無防備な人間を攻撃してしまう。集団になればなるほどそのヘイトは大きく膨れ上がり、傍観する私たちはおいおい、おんなじ人間じゃないかなんて苦笑する。
反米・反日・嫌韓・反中、そんな事をして一体何になるというのだ?そのごく一部のアグレッシブな人間たちのせいで平和な人々まで嫌な思いをすることになる。アメリカで日本人嫌いとか言われた事はないが、大抵の人間は日本に興味なんてない。日本が好きな人は大抵アニメとかゲームが好きな人たちだ。


一度イラク人の女の人と数人のアメリカ人と同じエレベーターに乗り合わせた。一人のおっさんがイラク人の女の人に「素敵なスカーフだね。あ、ごめんなさい、僕に爆弾を落とさないで」という不可解な言動をしたことがあったが、ああいう場所に居合わせてしまうのは本当にいい気分はしない。イラク人の女の人も顔が引きつっていたし、そこに居合わせた数人もすべて笑わなかった。かといって、反論したり、その男の人に一言いう人間もいなかった。
仮にもし私が一人のアメリカ人に酷い事をされたとしよう。立ち直れないような人い事をされたからと言って、私は全てのアメリカ人を憎むことにはならない。反日思想の人達は一体どれほどの日本人にそんなにひどい事をされたのだろうか?知らないものを毛嫌いするのは容易だ。
思想を変えるのは容易ではない。思想は宗教のようなもので、それに異議を唱えると必ず激高する。激高に激高したら喧嘩だ。喧嘩は小さな戦争だ。激高されたとしても、ひどい事を言われようとも、こっちが落ち着き優しく構えていれば、時間はかかるがわかり合える日が来るかもしれない。しかし、絶対にひれ伏してはいけない。あくまで対等な立場になる事が平和への道のりなのだ。どちらかが優れているという思いがあるうちは、前に進まない。
平和への道のりはとにかくその国の食い物を食う事に限る!食は平和への第一歩であり、胃袋をつかまれれば、その国が好きになる。
平和ボケしている人間がこういう事を書いてもきっと何の説得力もないが、野田さんはアーティストであるのだから自分を信じ、自分の納得できる作品を作ればいいと思うし、全てのファンがそのアーティストの全ての作品が好き!なんてことはないと思うし、ヘビーメタル歌ってたアーティストがカントリーソング歌いだしたり、ロッカーがヒップホップを取り入れてきたりする世の中だ、変わる事もいい事だし、それを受け入れてくれる寛大なファンも存在するだろうし、昔の歌ばかりを聞き続けるファンもいるだろう。

いやね、森田童子さんの訃報が悲しくってね。本当に彼女らしいなあと思ってしまった。彼女を知ったのはお決まりの高校教師だったけれど、家にLP盤があって、そのいかついチリチリパーマ?とサングラスが意外で、声で想像していた彼女とは全く別物で幻滅したのを憶えている。何に幻滅したんだろうか?でもその後、いつでも聞きたいからCDも購入して、こっちに来るときも一緒に持ってきた。インタビューとかメディア出演も殆どしていないから全くの謎に包まれた人。そういうアーティストがいてもいいんじゃないか。紡木たくさんという大好きな漫画家さんもそんな感じで、マイガーデナーを最後に作品を発表していない。漫画家さんにはそういう感じの人が多いな。
私はこう見えて目立ちたがり屋なので、公から遠ざかるとかできないだろうな。公私混同、引きが悪い人間だと思う。私を知らないですって?私は有名な女優だったのよ!とか言ってしまうタイプだろうな。
ケイト・スペードの訃報から始まり、私の大好きなテレビ番組のホストだったアンソニー・ボーデインも自殺しちゃったし、もう嫌ですわ。訃報ばっかり。いい知らせ下さい。
とにかく、日本の若いアーティストたちにもすごい人がわんさかいるので、皆様方も選り好みせず聞いてみるといいYO!(やってしまった)
創作にはアウトプットとインプットがどちらとも必要で、新しい部分の開拓は作品をより深い部分に進ませてくれる。

余談ですが、プライドパレードにも「あなた方は地獄で焼かれます」とか言うプラカードを掲げた男の人が一人で喚いていたんだが、逆に感心してしまった。この人はよくもまあ一人でこの世の人間が全て敵というような場所に乗り込んでこれたなあ、と。特にヤジを飛ばしたり反論するような人間もおらず、良識ある人間が多かったのが救いだ。その人も隣人を愛しなさいという根本的な事をわかっていないと思うので、表面的な嫌悪なんだろうと思う。

私は「HINOMARU」は何も悪くないと思うが、皆さんはどうでしょう?


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