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9月11日、同時多発テロに想うこと

うとうとと眠っていたようで、目が覚めた時つけっぱなしのテレビの映像を見て、それを理解するまでに一瞬よりも長い時間がかかったのはよく覚えている。ちょうどツインタワーに、一機目の飛行機が突っ込んだところの映像だったと思う。それは映画のようで現実感が無くて、そんな事が現実に起こっている事自体が間違いのような気さえした。そしてあろうことか私は知らない人間の心配をするよりも、すでに購入済みだった飛行機のチケットの心配をした。死ぬつもりで旅に出ようと思った。でも購入したのは往復チケットだった。ロサンゼルスという行きたくて行けなかった場所を見てみたくて、インターネットでルームメイトを探した。その当時はそういうサイトが充実しておらず、掲示板のようなところで部屋を探していると投稿した。一通だけルームメイトを探しているという男性からメールが来た。年の近い女の人がよかったけれど、来ないものは仕方ない、その人に決めた。

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ジャズピアニストというその中年男性は一軒家を所有し、私の他にルームメイトがあと二人いるそうだった。何も知らない私は、会ったこともないその人間を信用して、車で空港まで迎えに来てくれるという約束まで交わした。
 私の購入した航空券はキャンセルにはならず、テロ直後の9月の下旬に私はガラガラの飛行機の4席をベッドのように使えるありがたさと、中東系の人間が同じ飛行機に乗っているというちょっとした嫌らしい不安を抱えつつ、アメリカという地を再び目指した。
 なぜアメリカだったのだろうか?小さな頃から私はその国に、よく分からない魅力を感じていたし、そこには何か未知なるものが待っている気がした。映画の魔力?雑誌で見た白昼夢のような曖昧な美しさ?外国に行きたいという、漠然とした思い。それは一種の逃げだったのかもしれない。どこか私の事を誰も知らない場所に行きたい、一からやり直せる場所に行きたい。ヨーロッパの国々にも憧れた。だけどアメリカは広大で、そこが決め手になったのかもしれない。広ければ広いほど、私はいつまでも逃げる事が出来る。だけど、結局逃げても何も変わらなかった。私は私のままだった。

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 仕事を辞めて三ヶ月異国に行くという私を母は心配して、恋人に相談した。私は持ち前の愛想のよさを発揮して二人を納得させた。納得なんてさせなくても、私は行くつもりだった。一人になりたかった。物理的にも、精神的にも一人になりたかった。死んでしまいたい、消えてしまいたい。この世界からいなくなりたい。いっそのこと飛行機が落ちてしまえばいいのになんて願った。私は自分勝手で何も理解していなくて、生きている事自体が苦痛で、そのくせまだ夢を見ていた。死んでしまいたいと、知らないアメリカを見てみたい、が共存した私の心は複雑だった。
私が乗った飛行機は墜落もせず、ハイジャックもされず、無事にロサンゼルスに到着した。入国審査も難なく終わり、懐疑的だったルームメイトもちゃんと迎えに来てくれて、ユニバーサルスタジオの近くにあるという私が住むことになる家を目指した。そこは緑に囲まれた住宅街で、その家は二つのセクションに分かれていて二世帯住宅のような作りで、一つのセクションは新婚のミュージシャンのカップルが住んでいて、もう一つの広いセクションが私と家主と二人のルームメイトが住むようになっていた。二階建てで広いテラスがあって、小さな庭もあった。私の部屋は一階のリビングルームの横で、ベッドと本棚が用意されていた。

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家主の男は一番小さな部屋にピアノとキーボード、パソコンを置き小さなソファーで寝ていた。ジャズピアニストというその男は、ベトナム帰還兵でアル中で、心に抱えている問題が多くあった。私の隣の部屋の女は私より少し年上で、女優を目指していた。そして二階の大きな部屋の女は、すごく華奢で私の母よりも少し若く、猫を二匹飼っていた。彼女もまたアル中で、仕事をしてはいたけれど問題を抱えていた。私はそこに得体のしれない心地よさを感じた。みんな孤独だった。みんな心に問題を抱えていた。その反面、同時多発テロで世界が一体感になっている事に、疎外感を感じ宙を浮いている気になった。
ジャズピアニストの男は午前中はコマーシャルの音楽を作ると言ってよく出かけた。そのついでに私は彼の車に乗せてもらい、ハリウッドやショッピングセンターで降ろしてもらっていた。10月なのに焼けるように熱く容赦ないロサンゼルスの日差し。そして汚染された砂の混じった空気にさらされながら私はよく高架橋の下を覗き込んだ。飛んでしまいたい、いなくなりたい、そういう思いを込めて蝶のタトゥーを入れた。飛行機ごとビルに突っ込んで死ぬって、どんな感じ?ルティーンのように毎日同じはずだったその日、仕事をしていたその時、働くビルに飛行機が突っ込んできたって、どんな衝撃?ここから飛び降りたら、死ねるかなあ?ちょっと惜しい気がした。

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ルームメイトたちは気ままに暮らし、好きなだけ酒を飲み、音楽の話や同時多発テロの話題で盛り上がった。夕食は誰かが作り、それをみんなで一緒に食べた。孤独が私を死に憧れさせたのかもしれない。ジャズピアニストと華奢なルームメイトは酒を巡ってよくケンカした。初めはお互いのビールなんかをどうぞ飲んで、みたいな感じでシェアしていたのだけれど、ある時から華奢なルームメイトが買わなくなり、ジャズピアニストの買ってきたビールを飲むようになった。そこで、ピアニストが怒ってしまい、冷蔵庫のビールを入れている場所にカギを付けた。
私は聞き上手だから、よく二人の相談相手になった。ジャズピアニストはベトナム帰還兵で、その時まかれた枯葉剤の影響かはわからないけれど、彼の一人息子には生まれつき腕が片方ないそうだ。そして妻の死が残酷だった。玄関の鍵をかけ忘れ、強盗に入られその時たまたま一人だった妻が襲われ、刺殺されたのだ。彼が第一発見者だった。そのせいか、彼は玄関の鍵がちゃんとかかっているか何度も確認し、玄関には二種類の違うカギを付けていた。酔いつぶれると彼は妻の名前を呼び、狂ったようにピアノを弾いた。華奢な女は私と同じ年に生まれた息子を7歳の時に喘息の発作で亡くした。彼女は苦しむ息子が腕の中で死んでいくのを救急車が来るまで、何も出来ずに見ているしかなかった。その後夫と別れ、それ以来一人だ。

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私が異国へ逃げたように、彼らはアルコールに逃げた。そうするしかなかったのだ。でもそれはある意味破滅への長い道のりなのかもしれない。アルコールや薬物は、周りの人間を巻き込んでしまう。罪のない人間が、その作られた狂気の犠牲になる事だってある、厄介な中毒だ。彼らも周りの人間を巻き込んだ。私にも突っかかってきた。酒に飲まれて我を失っている人間は怖いし、酔いに冷めた後は普通に戻るのだから、理不尽な感じがした。
 アメリカの同時多発テロから16年が経った。この同時多発テロではありえない数の人間が犠牲になり、その犠牲者を取り巻く人間の数を考えたらとてつもない数字になるのだろう。犠牲者をただの数字で表すなんて、一人の人間としてすごくやるせない感じがするし、犠牲者、という括り付けがあまりにも寂しい。その人の人生は一体何だったのかって気がする。同時テロ後、マンハッタンではアルコール依存症の割合が28パーセント増加し、その他の都市でも18パーセント増加したそうだ。犠牲者の家族や、恋人、親しかったであろう友人は、そのやり場のない心の葛藤をアルコールという逃げ道で取り繕っているのかもしれない。その犠牲者には一人ひとり夢があったし、大切な人がいた。私と同じように死にたいと、生きたいが共存していた人もいたかもしれない。守らなくてはならない人間がいた、帰る家があった、やらなければいけない事があった、明日待ちに待った映画を見るはずだったかもしれない。何もわからないまま死んでいった人もいるし、逃げ場のない絶望の中飛び降りた人もいる。人を救助しなくてはならないという、使命という犠牲。沢山の消防士も犠牲になった。 

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暴走族・家族をテーマにした紡木たくの「ホットロード」にはこういう風に書かれている。
”ひとりひとりは そんなに悪い子じゃない よーな気がしちゃった”
集団では悪であっても、一人一人の次元ではみんなそんなに悪くないのだ。テロリストたちもそうなのであろうか?多分、きっとそうであろう。きっと一人一人は優しく、まじめなのかもしれない。心は自由なのだから、いつもは優しい人間が危険な思想を内に秘めている事だってあり得る。真面目で頭の良い人間が、特定の国を憎み、その国民を憎んでいるかもしれない。それが集団となった時パワーが増し、テロやクーデター、革命が起きるのだ。人間は一人では無力だ。集団になれば声が届く。良い方向にも、悪い方向にも。だから人間がいる限りこの世の中から戦争は消えないし、虐殺やテロも後を絶たないと思う。例えば人が死ねば、犠牲になれば何かが変わる、それはただの幻想なのに、その衝撃の大きさに人は人を犠牲にし続ける。一人一人は良識のある人間なのに、集団になるとたちまち腐ってしまう。人間はどうしてこんなに特殊なのであろうか?一人一人が人間として認められる平等な世界、それは夢かもしれないけれど、もしもそんな世界が未来に存在するとしたら、私はもう少しだけ生きてみようかという気になった。死を選ぶには、この世界はまだ面白いところに思えた。もう少し人間と向き合ってみようかと思って、まだ生きている。 

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