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プラクティカル・マジック

1998年・アメリカ映画
監督・グリフィン・ダン

この映画を見る数年前、中学生のころ私は小説をひっそり書いていて、それは一族にかかった呪いの話だった。女の子ばかりにかかるその呪いは解けることなく、いつの間にか物語は終末を迎えることなく放置されたままになっていた。この映画を見た時、あまりにも私の考えた物語に似ていたので、悔しくなったのを覚えている。だけど、この映画には結末があって、ちょっとだけ救われた気もした。

前回に引き続き、ハロウィン期間のおすすめ映画です。オーウェンズ家の一族に掛かる、悲しい呪い。それは魔女と呼ばれ、魔女狩りの犠牲になり島流しされた土地で、恋人が迎えに来てくれることを切望したマリアが、結局誰も来てはくれず絶望の中で、生み出された呪い。オーウェンズ家の女たちを愛する男たちは、若くして死んでしまう。

島流しされた時すでに身籠っていたマリア。

その呪いを受け継ぎ、オーウェンズ家の女たちは近所の住人達から魔女と呼ばれ恐れられていた。事実物語の主人公である二人の姉妹のサリーとジリアンの父も若く死んでしまい、その後を追い母も死んでしまった。そして島に住むおばさんたちに引き取られたのだった。

サリーを演じるサンドラ・ブロックとジリアンを演じるニコール・キッドマン。おとなしくて、初心な姉サリーと、自由奔放な妹ジリアン。二人を引き取ったおばさんも対になっていて、一人はオレンジ色の髪、もう一人はブルネット。

私は小さなころから魔女にあこがれていた。魔女の宅急便のお母さんみたいな魔女。ハーブを調合したりして、大鍋で何かをぐつぐつ煮込んでいる魔女。小学生のころ、本のカタログ販売で見つけた魔女図鑑を、母に頼み込んで買ってもらったり、クラスの出し物の演劇では、率先して魔女役をやった。部屋の押し入れを改造して、魔女の祭壇ぽく飾り付けたりもした。

そんな、私のあこがれに近い美しいお屋敷で、この魔女たちは暮らしている。それはもう本当に凝った作りで、映画に出てくる部屋を眺めているだけでワクワクするのだ。様々なハーブの詰まった瓶が並んだ棚や、所狭しとハーブの育つサンルーム、くるくると回るように設置された階段。

幼いサリーは、恋をするのが怖いから一生恋には落ちないといい、対照的なジリアンは、恋をするのが待ち遠しいという。サリーはサンルームで咲く白い花を集め、それぞれに思いを込めて、存在しない未来の恋人を作り上げ、魔法をかける。存在しなければ、失恋の悲しみに暮れることはないでしょう、と幼いながらに自分の世界観をしっかり持つ彼女。夕暮れに舞い上がる白い花びらが美しい。

それぞれ思春期を迎え、引っ込み思案なサリーは恋に対しておく手で、ジリアンは駆け落ちをするほど恋に対して意欲的だ。しかし、どんなに離れていても二人は繋がっている。

あまりにも恋愛に対して消極的なサリーをみかねたお節介なおばさんたちは、サリーが恋に落ちる魔法をかける。魔法によって作り上げられた偶像のような幸せは長くは続かず、サリーと二人の女の子を残して、夫は事故死した。二人の子供を自分と同じように島のおばさんたちに預け、サリーは悲しみに暮れる。

あまり書いてしまうとネタバレになってしまうので、この辺で私の好きなワンシーンのお話を。

悲観しているサリーの元に、ジリアンが車に乗って訪ねていくシーン。車の中で、ジョニ・ミッチェルの歌が哀しくも優しく響き、劇的に周りの景色が変わっていく。

サリーの娘、オレンジ色の髪のほうを演じるのがまだ幼い、エヴァン・レイチェル・ウッド。彼女はサーティーンや、ダウン・イン・ザ・ヴァリーの演技素晴らしかったなあ。その後、マリリン・マンソンとちょっと付き合っていたみたいで、わくわくしたが破局したみたい。マンソンと破局した人たちって、有名になってマンソンより金稼いでそう。�ディタ・フォン・ティーズのストリップティーズ観たけど、あんな美しい人と結婚していたマンソンうらやましすぎる。トイレで鉢合わせして、間近で見たんだけど、本当に陶器のような肌!

カリスマ的存在感がある有名人には感服します。

ちょっと話はそれますが、皆さん幽霊って信じますか?日本にいた頃は、何か変な感じ?見えるわけではないのですが、変な感じがする、何かいる?ということが度々あったのですが、こっちに来てからはそんな感じが全くないのです。私が住んでいるのは西海岸で、東海岸よりも歴史が浅いのですが、もしかしたらそれも関係しているのかもしれません。日本はすごく歴史の長い国なので、そこに留まっている人々の念のようなものも多いんじゃないのだろうか?なんて最近考えるようになったのですが、どうでしょう。幽霊なんて見えたことがないので、幽霊の存在自体は懐疑的なのですが、人々の念とか、そういうものは生きている人間のものも含めて存在するような気がします。そこに留まっている、変な空気のようなもの?三度ほどその念のようなものを強く感じたことがあります。

一つ目は、里帰りした時に神奈川のいとこの暮らすアパートに滞在し、夜中みんなが寝静まった後、いとこの所有する大量の漫画を時間を惜しみリビングで読んでいた時のことでした。何故か急に、圧迫感というか、悲しみというか、そこに居たらいけないような感じがして、怖くなったのです。電気を消すのも怖かったくらいで、急いでみんなの眠る部屋へ避難して、その次の日故郷の大分へ出発しました。そこで何気なく話していたおばの一言に凍り付きました。あの部屋、事故物件で案外安く借りれてるらしいよ、と。詳しくは知りませんが、前の住人が自殺した物件だったらしいです。いとこは、あっけらかんとしていて、そんなの気にせず、安ければ何でもいいという人間なので、あえてその物件を借りていたらしいのですが、あの圧迫感、幽霊の見えない私でも苦しかったです。

見える、見えないに関係なく、念というものは波長があったら感じることができるのかもしれません。幽霊のお話の続きは、また今度。

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