【麻薬が実】【エッセイ】
常習性に読みたくなる博多っ子の麻実(まみ)が綴る【麻薬が実(まやくがみのる)】エッセイ。
今日のお題は⁈
おなかの傷20cmの謎。
生後11ヶ月、私が生死を分けたトキ。
「今日が、やまです。」
そう、お医者さんから両親は告知された。
私は、ごはんも食べず、噴水の様に嘔吐、診察台に鎖の様なもので抑えられていたらしい。
やけど、持ち直し、死なず。
そんな経験から「私が、あのトキ死ななかったのは、何かを人に伝えていかないかんけんやん。」って思う様になったと。
それからも、キョジャッキー、いつもお腹が痛い、そして入退院を繰り返したと。
学校の皆勤賞なんて無関係な日々を送ったと。
そんな私は10歳のトキに、TBSテレビ【うちの子にかぎって・・・】という小学校を舞台とする学園ドラマにはまり、子役を目指すコトになったと。
しかし、生後11ヶ月から生死は分けるし、入退院は繰り返す。
その頃、もちろん地方アイドルなんてものは無く、子役になりたければ、最終的に東京に行かないけんやった、博多からは遠い。
これまでの病歴から、東京まで子役として送り出すOKを両親は出すはずもなく、せめて地元博多のプロダクションに入るか、渡辺プロダクション博多校のスクールメイツで、お歌とダンスレッスンをしたいと懇願するも、許されず。
この許しを得る為に、なんと4年を費やしたと。
長かった。
そんな許しを得、週末になると博多駅にある事務所にレッスンに通う日々。
その頃のダンスレッスンは、ブレイクダンスが主流。「右から波がきて、左に流します。」という感じ。
南野陽子さんや菊池桃子さんのお歌をボイストレーナーの先生が、生ピアノでレッスン。
とっても楽しくて充実していた中学3年生になる前の春休み中、ちょうどレッスンを初めて1ヶ月が過ぎた頃の日曜日。
「また、きた、お腹が痛い。食欲が無い。朝から、ちょっとしか食べていないのに、お腹が張ってる、どうしたんやろう、私のお腹。」って思ってベッドで我慢し、うずくまって寝とったのを姉が見兼ね、「大丈夫!?」。
5歳上の姉は、小さい頃から、こんな私を見慣れとったけど、さすがにこれはと思ったみたい。
それから、休日夜間担当やった近所のS病院へ。
暗闇の中、エコーを撮られる。
お医者さんは、頭を傾げ「なんでお腹が痛いかわからん。肝臓の後ろに大きな袋があるみたいやん。」
14歳の私は、お医者さんや大人が「わからん。」と言う姿に、もう不安でしかなかった。私は、そのまま入院。
それから、2日間、お腹が痛く痛過ぎて声も出ず熟睡するコトもできず。
痛み止めをお尻にガッツリ打ってもらうだけで過ぎていった。
4人部屋しか空いてなかったけん、隣のベッドに入院していた50代位のお姉様が、「この病院はシニアばっかり入院しとって、らちあかんから、大学病院に転院させてもらい。」って、両親にアドバイスをしてくれた。
では、とK大学病院へ救急車で転院するコトに。
ストレッチャーで救急車に乗せられ、「ピーポーピーポー」と鳴り出した瞬間に、「これでお腹の痛い理由が解るはず。そして、周りの大人やお医者さんたちの痛みの理由がわからない攻撃から逃れられるはず。」と安堵と寝不足で気を失ってしまった。
目が覚めたトキには、大学病院の玄関で救急車から降ろされる瞬間やった。
それから、小児外科病棟ICUに入院。
まだまだ寝不足過ぎ。
いつのまにか眠っていたんやけど、お腹が痛過ぎて寝言で「痛い。痛い。」って言う自分の声で目が覚め、痛み止めを打ってもらう日々。
その間に、血液検査、CT、MRIなど、血管が細い私には、過酷過ぎる毎日。
MRIを撮影する際には、腕の血管が出なくなり、手の甲や足の甲から造影剤を入れる始末。
皮ばかりの皮膚に刺すのは、めちゃくちゃ痛いんよ。
「早くお腹の痛い理由を知りたい。」これが1番の目標になっていた。
生後11ヶ月の頃だけ痛いトキは、激しく泣いていたらしいけれど、それ以降は、いつもおとなしく我慢強かったから、泣き喚くコトもせず。
結果、お腹の痛い理由が解ったと。
【先天性胆管拡張症】
小さい頃から、お腹が痛かったから、病名は先天性やろうって位置付けにしたらしい。
「通常、鉛筆の芯位の太さの胆管が、テニスボール位になっとうよ。」と言われた。
結果、お腹を開腹手術し、胆嚢摘出、肝臓と腸を結ぶ間に胆嚢の代わりの袋を作る手術をするコトに。
手術ができる条件は、お腹の痛みが無くなるコト。
「やっと痛みがなくなったトキに、手術をして、今度は手術の痛みに耐えんといかん。」と言われた。
14歳って子供やけど、私は自分のコトを客観的に、周りの大人たちのコトを冷静にみていた。
そう、子供って、そんなモノだったりする。
「痛みから解放され、また痛みか。生後11ヶ月からの痛みや、やりたいコトをやれなくなった日々を考えたら、手術すればいいやん。やるしかない。」
入院してから、20日が過ぎた頃、手術日が決まった。
執刀医が、母に手術の説明をする。
母「お腹に20㎝の傷を残し、この子は、お嫁に行けますか⁈」
お医者さん「はい。大丈夫です。行けます。」
この話しだけ、いまだによく覚えている。
愛情表現が苦手な母の、めいいっぱいの愛情表現やったと思う。
手術前日、麻酔科のお医者さんが、私の体重や顔色を見に来た。
麻酔の量が少しでも違うと、致命傷になるから。
手術前日、看護師さんに、カミソリで陰毛を剃られる。
「恥ずかしいより、怖い。ケガしないかとヒヤヒヤした。」
手術当日、全裸になり、ストレッチャーに乗せられ、大学病院の蜂の巣の様にたくさんある手術室に入った。
「始めるよ。右を下にして横になり、丸くなって。」と、麻酔科の先生に言われた。
丸くなると、脊髄に麻酔薬を注射された。
脊髄に注射って、骨にズーンときて今までの注射の中で1番痛かった。
「痛い。」と思い耐えている間に、私は、麻酔が効き眠った。
3時間予定の手術は、6時間かかったらしい。
目が覚めると、手術をしたお腹が痛い。
痛過ぎて、ベッドから起き上がるコトもできなかった。
が、翌日から、看護師さんに、「腸が全く動いてないけんいかん。このままやったら、腸が癒着するけん、今日からトイレは、ベッドから降りてポータブルトイレでせないかんよ。」と言われ、「おに〜‼︎」と、叫びたい位やった。
なんとかベッドの柵を持ちながら起き上がり、床に降りる。
この動作にお腹が痛過ぎて、5分位かかる。
そんな生活を1ヶ月位続け、やっとアミラーゼという膵臓の数値が一定になり退院。
トータル2ヶ月の入院やった。
その間、毎日、病院に洗濯したパジャマを持って会いに来てくれた母に感謝。
父もお仕事の休日には来てくれて、お友達や親戚もみんな来てくれた。
本当にうれしかったよ。ありがとう。
お医者さんや看護師さんも、みんな助けてくれてありがとう。
退院後は、中学受験に失敗していた私は、高校受験に挑まなければいけなかった。
4月〜5月、1度も学校に行けていない。
高校受験に必要な5科目(英語、国語、数学、理科、社会)、全ての先生が中学2年生のトキと変わっていた。
何人ものお友達が、全教科のノートを私のために作ってくれて、手術後は、病院で教科書と一緒に読んでいた。
本当に、お友達にも感謝の毎日やった。
が、術後、細かい文字を見てはいけないコトを知らず、近視になってしまったと。
これは、ショックやった。
そして、1学期の体育の授業は、激しい運動は禁止やったから1度も出席できず、人生初めての5段階評価の悪い方2をもらい、また、ショック。
他の全教科も、3やって、さらにショック。
今までこんな通知表をもらったコトがない‼︎
でも、誰にもツライとは明かせなかった。
へんなところで、相変わらず我慢強い。
「ツライよ。」って叫べれば良かったかな⁉︎
今日は、ここまでで、お話は終了するね。
今の世の中は、私の14歳の頃とは全く違う時代で世界。
こんな時代、あなたは、どう生きると⁈
1つだけ言えるのは、今、ツラかったら、「ツラいよ。」って少しでも声をあげてみよっ。
でも、ツラくても自暴自棄になったり、自ら命をたったりしたらいかんよ。
やりたいコトが、やりたい歳にできなかった確かにツラかったけど、「なんで私だけが、こんなツライ思いをせないけんと⁉︎」って思ったコトがなかった私って明るいよ。
みて‼︎私は、まだ生きてるとよ。
46歳になってるとよ。
もちろん廻りのみんなに、いつも助けられてる。本当に感謝しかないよ。
一緒に今を、これからを生きよう‼︎
初めて見る世界に挑戦しよっ‼︎
本日は、【麻薬が実】をお読み頂き、ありがとうございます。
また、次回、こちらでお会いしましょう。