マイパブリックと補助線のデザイン:グランドレベル元子さん(コミュニティの教室2-002)
greenzが開いている「コミュニティの教室」2期のオフライン講義2回目は、みんなの熱望に答えていただき、喫茶ランドリーの元子さん!会場もいつものco-baではなく現地集合での開催でした。
開始前からみんな名物のカレーやコーヒーをいただき、談義しながらのスタート。
田中元子さん
1975年、茨城県生まれ。独学で建築を学び、2004年、大西正紀さんとともにクリエイティブ・ユニット「mosaki」を設立。建築やまち、都市などと一般の人々をつなぐことを探求し、国内外でメディアやプロジェクトづくり、イベントの企画などを行う。2015年より「パーソナル屋台が世界を変える」プロジェクトを開始。2016年、株式会社グランドレベルを設立。2018年には『マイパブリックとグランドレベル』を上梓。
01.なぜ「コミュニティカフェ」と名乗らないのか。
「コミュニティ界隈で嫌われている自負がある。」なぜかというと、喫茶ランドリーを始めた当初、来てくれた「私もコミュニティカフェやってます」という人たちと「もって何。」みたいな感じになって、揉めてしまったから。なぜ名乗らないのか。そんな名前のところにカップルは来ないから。デートしたくなる程度の品質は担保したいから。
「コミュニティカフェ」と言われ、ウェルカム感全面に押し出されるのとか嫌。コミュニティとかコミュニケーションが何を指すのかはそれぞれ個別の解釈だろうが、馴れ馴れしく振舞う事とかべたつく感じじゃない。べたつくのも好きだけど、より多くの人に両手を広げていたいと考えた時に、その名前を掲げる事じゃないのではないかと思っていて、出していない。あまねく人の居場所にできるような努力をしたくて始めた。
02.あまねく人の居場所づくり
どんな努力をしてきたのか。「グランドレベル」は2016年からで2年ちょっと。
「1階づくりはまちづくり」という言葉を掲げ、多くの人に知ってもらい、1階がいかに社会への責任を持っているのか自覚してつくっていってもらいたいと考えている。1階はマチの風景になり日常になり、暮らしに関わる。だからこそ出来ることがある。マチの人たちの暮らしをより良くすることは、建物そのものにとってもいい。幸せなエリアに建っている方が資産価値も高いから。
まちづくりとかコミュニティづくりは慈善活動じゃない。がめつい人も、下心ある人も、5-10年とか中長期的な資産価値を考えてやってもいいことだと思っている。
わざと見上げなくても見さげなくても、自然と目に入る風景。人間の視界70度、両目で120度の中の空間を良くしたい。その意図からグレンドレベルと名付けている。
人とマチの日常が大事。日常のクオリティを高めるということは行政の人にはクドクド言わないと伝わらない。何人来場とかじゃない。それで予算判断するとかではない。これをどうやって測るのかがしっかり開発されていないから、まちづくりに関わる人は打ち上げ花火みたいなイベント屋になる。そういうのを無くしたい。
私はこの奇抜な格好(ブロンドヘアに豹柄コート)だけど、非常識なことはしない。「日常づくり」しかしない。
コペンハーゲンの事例
「もう僕ら観光なんて言いません。」豊かな暮らしをしていますから、外からきた人もそれを楽しめばいいんじゃない?名物食ろ名所を見ろではない。日常に自信があるという一言。
スウェーデンの事例
Sweden on Airbnb「国全体が民泊」どこに泊まってもいいぜ。片田舎でも、山にテント張ってでも、どこからでも楽しんでください。
日本でもこう言った機運は高まっている。ガイドブックとかじゃなくて、ごく日常を体感しにお邪魔する感覚。日常観光のスタイルは世界的なトレンドだし、しばらくこの動きは続くのではないかと感じている。
「1階づくりはまちづくり」と言いながらも、あまり勉強せずにやり始めたので、当たり前だと結構バカにされた。でも出来ているところがないと思っていた。現時点で日本はガレージとエントランスホールしかない。一方で、海外の都市研究家や建築家、心理学の人達が「1階(eye level)が私たちが感じ取っている社会だ」と述べていて、研究したりデザインしたりしているし、他国が大きなアワードを取ったりしているところもあり、日本は遅れていると知った。
建物の1階で人間のほとんどが起きている。大資本のチェーン店しか入れないとか高層ビルのエントランスになっちゃうという課題がある一方で、取り組みも盛んに行われている。
Healthy streets approach
-ロンドン交通局・バートレット建築大学の研究結果-
徒歩や自転車でアクセスしやすい街は自動車社会の街よりも自宅近くの店での買い物が40%も多いと言われている。人々が時間を過ごしたいと思える空間づくりとビジネスとしての業績向上は相関する。
〈ロンドン南東部ブロムリー地区で1階を整備したところ上がった数値〉
・歩行者数が193%にUP
・買い物やカフェで人が過ごす時間が216%にUP
・平均賃料は7.5%UPし、空き店舗は17%削減された
▲現地のがこちら ▼日本で取り上げられた記事がこちら
空き店舗やシャッターが減っていった。こういった試みから、整備をすれば意外とやれるんだと分かる。デザインや素材の力で人を流動させることができるということの証明。
・1階にひとが居ること(街への影響力・コミュニケーション)
・ビジネスの業績向上
・コミュニティの醸成
生きたまちと死のまち。街の中に人の姿が見えるところが、生きたまち。そんな仕組み・仕掛けがなくて人が居られないところを死のまちと呼んでいる。みんなが街づくりに血気盛んなわけじゃなくて、なんとなくみんなが日常を暮らせる街であることが必要。
時間が経過することでその違いによって淘汰されていく。1階がやっぱり大事で、1階をないがしろにすると数十年後死のまちになってしまう。だから、未来を考えたときに、密度がしっかりと残せる、潤い続ける生きたまちをつくることが大切。
その違いは人口ではない。日本は少子高齢化していくので、人口は増えてはいかない。取り合っているが微々たるもので、全体としてものすごく減る。じゃあ、1000人の誰も出歩かないところと100人だけでもみんなが出向く場所があるところだったら、どっちがいいか。それは絶対的な人数じゃなくて、密度があるかいなか。
03.元子さんの活動のはじまり-URBAN CAMP TOKYOから事務所に作ったバーカウンター-
会社を始める2016年より前、元々はメディアで働いていた。メディアづくりは教育と同じでじわじわと変えていけるけど手応えやダイナミックさがない。メディアだけでなく、よりダイレクトにまちに関わってみたいと考えた元子さんが最初に取り組んだのが持ち掛けられた話に対して企画したのが2泊3日の神田のキャンプ。
アーバンとかトーキョーが大好きだった。人が集まっているところが好き。キャンプは全く興味がないけど街全体を「かわいい」って抱きしめたいという思いから始めたゆるいキャンプイベントを神田の4000平米の敷地で開催した。
普通の格好で来る人もいるし、飯盒炊爨失敗したらコンビニに行けばいいし、お茶飲んだり寝転んだりの普通のことをしていてもいつもの風景を違う角度から見る面白さとか背徳感を楽しんで欲しかった。人は沢山集まった。
「つまんない」と言われるのが怖くって準備していた沢山のコンテンツには全然みんなが参加してくれなくて、ヨガ・ライブ・天体観測・御神輿・まち歩きなど沢山やったのに、神輿を出して協力してくれた地元の人が怒るくらい来なかった。
やってみて、「キャンプってそうじゃない。」日々受動的な体験に慣れすぎていたから、コンテンツを無駄に盛り込んでいたことに気が付いた。キャンプは何事もなんとなく自分がやってみるもの。川を冷蔵庫に見立てて、ビールを川辺に刺して冷やしてみるとか、木の枝をハンガーに見立てて服を干してみるとか、そういう実験自体が楽しさになる。プロがクリエイティビティを発揮してドヤるのではなく、普通の人の持っているクリエイティビティを発露させることをやろうと痛感した。
だから、2回目に開催した美術館キャンプはほったらかしにした。でも面白いくらいにみんなが「最高」って言って帰っていった。人がここでキャンプを応援するしかできない。それ以上の押し付けはできない。神田でやった沢山のコンテンツはクレームを恐れたリスクヘッジでしかなかったと反省した。
(スライドに出ているバーカウンターが右側に実在。現在は商品棚
)
その後、4階の事務所を持った。建物全部をひとつのメディアと見立ててやっていたときに事務所の片隅に小さなバーカウンターをつくってみた。名刺交換の際などに「近くを通ったら事務所遊びに来てね」は社交辞令になってしまって来ないけど、「バーカウンター作ったからきてよ」なら来てくれることに気がついた。当時は下戸だったので、とりあえずでお酒を出していた。とりあえず飲ませていた。
「おいしいのかなこれ?」で出しているのに、来た人は「今夜はいくら置いて行ったらいい?」と聞く。毒味もしてないしお金はもらえないから「また遊びにおいでよ」と返事をすることを繰り返していたら、そのうち楽しくなって「あの人くるからこのお酒」「このグラス」「このお花」って毎回がワクワクするようになり、好きな人の誕生日前とか、落とし穴作るような感覚で、人の反応を想像して自分が勝手に楽しむ感じになっていった。
人に酒を出すことの楽しさに没頭している自分に気がつき、これが本物の趣味なんだと知った。他人から見て「そんなにお金かけるの?!」ってなるような趣味そのもの。でも段々費用が嵩んでいって原価だけでもちょっと木になるようになっていき、ちょっと心苦しさが生まれた。お金が気になって楽しさが奪われていってしまうのは嫌だし、でも趣味だから勝手にやりたいという葛藤が生まれた。
04.広がるマイパブリック-バーカウンターから屋台へ-
元々街や建築が好きだったんだから、ビルの4階で、知り合いだけやっててもこんなに楽しいんだったら、これを街でやったら楽しいのでは?という思いで街を観察するようになっていき、バーカウンターから派生したのが可動式屋台だった。
そのための屋台なんてみたことがないから、ミニマムで実験できる方法を探して、バスタオルを掛ける梯子みたいなものにお盆を載せて、家にあるコーヒー道具を持ってきた。(流石に酒はまずいかなと思ったから。コーヒーに詳しいわけではない。)友達の事務所の軒先を借りてデビュー。最初は人が来なかったけど、
最初は好奇心パトロールおじさんがきて、二言三言話をしながらコーヒーを入れているうちにワッと人が集まっていって、コーヒーを飲んでいる人同士が話し始めたり、待ってる人と楽しんだりしていった。
人が沢山来る時も来ない時もあるけど、変わらず一人ひとりに一杯のコーヒーを出す、「マイパブリック」。素通りする人が居ていいし、私が街と繋がる公共的な場所をつくれる革命家だ!と盛り上がり、建築家に屋台をオーダーした。
完成したのはワゴンのような屋台で機動性を確保。組み立てたらスマートな形。でもスマートなままで街にでても人は寄って来ないので、花をたくさん買ってつけた。しましまの布で「何屋さんかな?」と思わせるような仕掛けをつくった。
声かけやすくなるフレームがあるから人が来る、声かけた人を見て、別の人が来るようになり、人が集まってくる。
屋台は外と中の境目がぼやける。やんわり見て通り過ぎる人も中がわかる。「こんなことやってる人がいるんだ」だけでも意味がある。コミュニティの外と中の二項対立じゃない、グラデーションが屋台の良さだと実感した。
まちで人の能動性を発露させることが、「マイパブリック」。これは他のひともやっている。
事例1)上野公園で地面に絵を描くおじさん、あつしさん。
お金取らないで水で絵を描いている。美術の先生を引退して日比谷公園で描いていたら、警備員が来ちゃって、困らせちゃう。優しさから場所を転々とし、上野公園へたどり着いた。
事例2)喫煙所を作るおばちゃん
植え込みにポイ捨てされていたのを止めるために喫煙所を作った。本人は喫煙者じゃないのに大きな灰皿を用意してサラリーマンたちを迎える。彼女はおしゃべりの機会をつくって、周りのサラリーマンと仲良くなっていくこと自体を楽しんでいた。そして横には床の間のようなコーンで作った花瓶も。
事例3)NYの公園のフリーアドバイス
看板があって、フレームがあるというのは、「話しかけていいよ」という記号になる。FREE ADVICE をパペットで答えてくれる(PEANUTSのルーシがやってるカウンセリング屋台を思い出しました。)
商業じゃないパーソナルな屋台。自分はたまたまコーヒーだったが、将棋ができたら将棋盤だったかもしれないし、音楽ができるならカホンだったかもしれない。
たくさんの面白さが可視化されていって、そんな出会いが沢山ある街になっていったら素敵なんじゃないか
そんなことが書いてある本がこちら(宣伝風w)
この本を書きながら、準備していたのが喫茶ランドリー(なので、これ以降は本には書いていない。)
05.地域に根ざすマイパブリック-屋台から喫茶ランドリーへ-
グランドレベルを創業すると周りに言っていた時、「このビルの1階に何やったらいいと思いますか?」という相談をされた。ここは元々築55年の手袋梱包工場だった。隅田川にほど近い、下町風情がない方の墨田区、区界の千歳エリア。ここは昔は水運をいかした物流があったから、工場・倉庫が多かった。もともと賑やかな町じゃないし、ここ10年で規制緩和されマンションが増えたけどうらさみしいまち。
自分自身が10年以上住んできた街でもあり、一市民としても「お茶する場所くらいは欲しいなあ。」と思っていた。
世界保健機関憲章(WHO)曰く、
健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。 到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである。
肉体・精神のケアは専門家じゃないけど、社会的福祉も条件にあるなら、街をつくるとか建物のあり方を変えることで、人の健康に寄与できるのかもしれないと思った。
だから、人との交流や社会との繋がりがエリアの人々の幸せと健康を考える上でも必要であることを実感したし、誰か特定の人だけを幸せにしてもしょうがないと思った。
ターゲティングとかしたくない。新しいお店とかオシャレとか安くて美味しいとかってことは大手資本に勝てないことはしない。だから違うところで戦いたかった。私の個人規模でしかできない価値とは何か。それが
「あまねく人々の居場所となり得る空間」をつくることだった。自由で多様なことが許容できる。それは店主の人柄が良いからとかじゃなくて、空間のあり方でつくれるのではないかと思った。ふわふわした場所にいたら意地悪な人も柔らかくなるし、ギスギスした場所にいたらだれでもイライラする。だから、ここは自由で多様な場所作りはどうデザインできるのかという私の実験。
食べ物がありそうな雰囲気はある照明のつくり方。みたこともないオシャレな感じにしない、既視感。でも、デートにはできるクオリティにチューニングした。
ここが念願の私の城だったら、他の人が持ってきたものとかも嫌になっちゃうけど、優先順位として「あまねく人の居場所」「人のクリエイティビティを発露」にしているから、お客さんが参加してくれるとか持ってきてくれるとか大歓迎になる。だからいろんなことがここで起きる。
ダイニングテーブルのところはオフィスエリアみたいな机も作ったが、最初に場所貸しとして使われたのは主婦友達のパン捏ねだった。ママも子どもも若いコミュニテイ。そんな人たちが一堂に会せる場所はなかった。だからニーズがあった。テーブル下には子ども達のための即席キッズスペースもできて、ママ達も子ども達も両方が我慢することなく過ごせる場所になった。
目論見から外れる面白さもある。「ミシンが置いてあるなら、ミシンのイベントやってもいい?」と言われて開催され、男性のお一人参加もあったり、子どものワークショップ会場にもなったり、地元の企業勉強会にもなったりして、ダイニングテーブルは予想外の風景が広がり、それが成功だと思えた。
「こんなことやっていい?」と気軽に聞ける形になっていき、そうやって持ち込み企画が増えていき、同日開催とかも含めて、半年で100個以上になった。喫茶ランドリー主催じゃなくて、お客さん主催だけでこうなった。
自分がやっても意味がない。どんなに小さくてもどんなに影響力がなくっても、その人がここで何かを実現できた!と嬉しいと思ってもらえて、それが蓄積することが財産だし、大事だと思っている。
06.市民からの発露とそれを促す補助線-喫茶ランドリーでの社会実験-
とはいえ、ここが真っ白な綺麗な空間だったら「これやって良い?」「こんなことしちゃおうかな」という想像が人から生まれてくることはなかった。想像を促せる、思ってもらえるような仕組みやきっかけを散りばめておくことを「補助線」だと思っている。
真っ白な画用紙を渡されて、自由に絵を描けと言われても描きづらい。でも、うっすら線があったらそれを何かに見立てて描き始められたり、顔があったら落書きできたりしちゃう。その人の中にあった可能性やアイデアが誘発される、手を動かしたくなる補助線のデザインを空間を通してやってみたかった。それが喫茶ランドリーの正体。
ソフトとハードのみならず、その2つを「こうしちゃって良いんだよ!」っていうコミュニケーションによっての融合(orgware)でまわしていく必要があると感じている。
納期までにきちんと届く、安定的なプロのクリエイティビティも好きだけど、普通の人の定期的にはできないけど突然暴発するありえないクリエイティビティみたいなものがみんなの中にあるということ感動する。これらが街に表出していくことで日常が潤い、街の素敵さになっていったら良いなと思っていて、それが私のいう「1階づくりはまちづくり」の具体的ないい1階・いい街の形。
これまでの社会はプロの完璧なものを受け取ることが当たり前だったが、でもこれからは補助線のきっかけづくりだけにするという塩梅自体がプロの仕事になっていくのではないかと考えている。
ものも情報も溢れかえる中で、完成品を受け取り、受動することにはみんな飽きている。受け取る側がアレンジしたり能動性を発露させる補助線を引いていくことが必要なのだと感じている。それが、何千人とか何千万円とかでしか測れない一過性の打ち上げ花火イベントよりも本質的な街の価値につながり、持続的な幸福になるのではないか。
07.質疑応答
Q:カフェを場所貸しにしてあげるなかで収益性をどう担保しているのか?
逆にたくさんのイベントがあることによって公民館程度ではあるが会場料が発生し、収益性の担保になっている。公民館よりお洒落だから借りてくれると思ってたし、全体貸しじゃなくて区画で貸しているし、5,6人とかの小さなコミュニティが欲するサイズに合っていた。
Q:ランドリー部分の収益は?
洗濯機は2割くらい。最初はコインランドリーメインにしたかったし、24時間にしたかった。でも、予算が足りないことに気がつき、建築家に「ランドリーカフェで、他の用事もできるようにするなら普通の洗濯機で良いのでは?」と言われ、普通のにした。楽になった分のお金でミシンもアイロンもと発想するうちに、色々な道具があって家事をしにくる、街の家事室にしようとなった。
洗濯機はみんな持っているけど、家事室持っている人はいない。家だと狭くて取っ散らかるから、気持ちよく広々と家事を楽しめる場所がある人ってなかなかいない。一瞬インスタ映えするところにもしようかなと思ったけど、「あまねく人々」の場所と考えたらラブリーな装飾では主婦に限定してしまって男の人やお年寄り、お一人様が来にくくなる。だから、全体のデザインが調和する方向に着地した。
Q:色々なコミュニティ・使用目的の人が同時にいる時、どう融合を保つ?
「融合しなくてもいいや」って思ってほったらかしている部分もある。
例えば、在勤者と在住者をどう組み合わせるとかとかいうけど、そんなの無理矢理出会わせても白々しい。それは苦手だから、コーヒー飲みに来たサラリーマンと街の人が勝手に出会って話しかけても良いし、話さない人は話さなくてもいいと思っている。
異質な人が街にいることをまず目に慣れさせる。知ってもらう。それだけで十分でもある。なんかいいじゃんと思ってくれる人がそこにいたらいい。落ち着かない人は落ち着いた店に行ってもらったらいい。それがどこまでできるかなという場所にしている。
自由で多様でそれが許容しやすい環境づくりの実験だと説明したが、正直なところ実験がこんなに上手くいくとは、すぐ実現できるとは思っていなかった。自分より許容度が高い人がいっぱいいて、そのいろんな人がいることに支えられている。
スタッフは押しかけ女房的な感じできてくれた人たち。プロ飲食店じゃないこともわかって維持してくれている。マニュアルはないし、スタッフにもその人らしくいてほしいと思っている。愛想いい人もちょっと不器用な人もいていい。一本の軸にみんなを合わせようとしなくていい。整えない。小言やルールで動かせるのは数ミリ。そんなことでその人のいいところやポテンシャルを潰したくない。できるだけ自由に、小言を言いそうな時は立ち返るし、「いろんな人を受け入れる場所であるということに反していないか?」と自分を問いただす。
なんかここにいると許されているとか楽しいっていう感覚、場所の雰囲気やカルチャーは蓄積されて伝わっていく。そしてお客さんにも伝播する。結果、ルールなしでも秩序が生まれ、一見さんがベビーカーひきあげていたり、食器を戻してきてくれたりしている。
Q:コミュニケーションの補助線はどうやっているのか?
例えば、お客さんからぽろっと出てきた話に「じゃあ今度このお店でやる?」ってハードルが低いよって、出来るよって伝わるよう声かける。
あとは、ほったらかしにしてもダメだから、先に日にちを抑える。モチベーションがある人を追い込む(ちょっと背中を押す)。
私設の公共づくりという実験に興味があるからこうしている。その風景の像の解像度が高ければ高いほどスタッフやお客さんにそれを共有できる。だから乖離が生まれないし「そうじゃないんだよな」ってコミュニケーションミスにならない。
Q:限られた場所・予算だったらどうすれば良いか?
一人しかいないとか金がないとか大好物。
「殺風景な玄関になってないか?」花一輪置くだけでその風景がまちになる。だがしかし、花って実はハードル高い。だったら、ベンチでもいい。何か仕掛けを作っておいて、それに誰かが反応するのが面白い。相手の心に残ってくれるのが大事。全員になんとなくアプローチするより、まず最初の何人かがハマることをやってみるがいいのではないか?
Q:キャッシュポイントにするしないの線引きはどこでする?
設備投資はミニマム。人件費もミニマム。そこで出せるメニューしかない。私が食ってくための事業だったら収益高めるけど、公民館が作りたかったし、身の丈にあった経済しか回せないとおもったから、最低限のサービス。でも、スタッフの「野菜の水分からつくるカレーは美味しいの。」には逆らえない。多少儲からなくとも、みんなが嬉しいことだったらやる。メニュー自由に開発していいし、合理的で稼げるメニューをつくることよりも合理性を超えて、スタッフのモチベーションを奪わないことの方が大事。
もっと手も目も離れたら、別のお店みたいな進化を遂げているかもしれない。でもスタッフやまちの人の声からそうなるんだったら、それがいい。
スタッフのモチベーションが高いのがビジネスとしても一番合理的なんじゃないかなって思っている。
Q:今ワクワクしていること、今後やりたいことは?
まず、ここを5年10年続けたい。あそこが灯りがついているのが当たり前って思ってもらえるという価値の追求をしたい。
私設の公共づくりは企業さんも個人でもやりはじめている。今後活発になっていくだろう、その先どんな社会になるのだろうと考えているのが楽しい。
今のスタッフは「ここに来るまでは普通の主婦でした」とか「ただのママでした」とか言う。でも普通の主婦とかママなんていやしないと彼女たちと関わって学んだこと。ちょっとした面白いことやアイデアが沢山出てくる。だから、普通のと思わせてしまう社会に抵抗を感じるし、そうじゃなくしたい。
08.最後に-元子さんの考える「私の職能」-
私がやっているのは、ディスコで例えると「一人目の踊り子」。夕方のまだ誰も踊っていなくてフロアが寒い状態のなかで、率先して踊り始めること。これが街の中で自分が出来ること。重要な任務がいくつかあり、
①その踊り方は2・3人目が入った時にアレンジはされるが、グルーヴは変わらない。だからグルーヴは大事。ノリは伝えられる。それでいい。
②いろんな人が来て温まってきた時に、いい感じで去ること。ずっと期待される側になるのは、能動性を奪ってるからダメ。
③一人目の踊り子なんていなかったかのように、他の人が一番前に立っているようにすること。
町の踊り子になるなら、まず率先してやって「こんな風で良いのよ」ってみせるし、そのあとは去り際も大事。ずっと真ん中で踊っていたい人は自分の箱を用意すべき。
まとめ・感想
私が好きなデザイナー「ブルーノムナーリ」がデザインを通して普通の人・受け取っている側のクリエイティビティを発露させようとしていたのにすごく近いなとワクワクしながら終始聞いていました。彼は美術やデザインに対して一貫して「誰もが楽しみながら美術やデザインに触れ、そして自分でも創作できるようにするというものだ。」というメッセージを込めて表現していた人で、元子さんの思想にも近いものを感じました。
「一人目の踊り子」と聞いて思い出したのは、デクル・シヴァーズの社会運動の始まりについて述べた動画でした。元子さんの場合は一人目の踊り子をワザとやることで、その運動自体をフォロワーのものにしているんだなと思いました。
シビックテックのCode for Japanで働きながら、小児発達領域の大学院生をしながら、たまにデザインチームを組んで遊んでいます。いただいたサポートは研究や開発の費用に充てさせていただきます。