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これまでのあらすじ2020

今年は年始から忙しかった。
正月休み明けにムック1冊分の原稿を入れなきゃいけなかったから、実家でもずっと原稿を書いていた。
東京に戻ってからは通常の締め切り週間。
3月までが繁忙期な媒体の取材と原稿書き。

そして1月23日から28日まではバリ島へ。
今年の春節は1月25日だった。
観光地の異様な混雑を避けるべく毎年春節チェックをするのに、今年は忘れていた。
でも、思いのほかバリ島は混雑していなかった。
すでになんとなくコロナの話は出ていた頃で、武漢地域の人たちは出国禁止になってたんだと思う。
「今年はコロナのせいでお客さんが少ない」とスパの送り迎えをしてくれた運転手さんが嘆いていた。
でもまだまだ深刻度は低く、運転手さんも
「テング熱のほうが危ないよ。私も一週間入院して何も食べられなかった」
と笑って話してくれた。
私は、すでに蚊に刺されていた腕をポリポリとかいた。
「テング熱になったらグァバシュースを飲むといいよ」
という豆知識はいつか役に立つのかな。とりあえず覚えていようと思う。

バリ島から帰ってくるとコロナの存在感が増していて、浮かれた南国の島日記を書くのは遠慮した。

でもコンサートは普通に行われていたし、取材も日常どおり。
取材で行ったドラマの撮影現場にはエキストラさんがたくさんいて、
「コロナ、こわいね」ってなんの実感もなく話していた。

2月下旬、だんだんとコロナが近づいてくる。
取材に行く際、マスク着用が義務づけられるようになった。
世間からすると少し遅かった気もするけど、マスクをしたままインタビューというのはそれまでの感覚だと失礼な気がして、落ちつかない感じがした。

3月に入って行われた企業ものの取材は、zoomで行われた。
とはいえ、ライターである私や編集、代理店の人たちなどは1つの会議室に集まっていた。
何かあったときの責任を回避するための形。
この頃はまだ、コロナに対する恐れがその程度だったんだと思う。

3月に入ってから、少しずつ取材自体が減っていったように思う。
意気込みを聞いた舞台やライブがどんどん中止となっていく。

3月24日、夜。
国がやっとオリンピックを諦めてくれたおかげで、コロナが現実になった。
3月28日、29日の週末には初めて外出自粛が呼びかけられた。
とはいえ、その日も前から決まっていた取材を粛々と。
六本木の街にはそこそこ人がいた。

志村けんさんが亡くなったと報道があった日もテレビ局で取材。
現場の緊張感は高まっていたけど、止める判断も難しいという状態。
初めての事態に、誰もどうしていいのか分からない戸惑いでできていた1日。
取材相手の心の中も穏やかじゃないだろうに、楽しく話をしてくれるプロ意識にひれ伏した。

そして4月7日に緊急事態宣言。
その前日の取材を最後に、私は家に引きこもっている。
出かけるのは週1程度のスーパーぐらい。
電車には20日近く乗っていない。
とはいえ書く仕事は残っていたし、普段から取材がなければ家から出ないので日常の延長のようでもある。
よく寝て、時間があるからちゃんと料理をして3食しっかり食べて、また寝る。

この生活は、いつまで続くのかな。
5月になったからといって、今までみたいに取材ができるようになるとは思えない。
このまま無職になって転職を考える必要もあるのかもしれない。

一生に一度の経験になりそうだなと思うので、明日から日記を書こうと思い立った。
家から一歩も出ない日記。
書くことを作るために、何かをしようと思えるかもしれないし。
もう、書く原稿もほぼないし。

3日坊主になりませんように。



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まみろっく
最後まで読んでくれてありがとうございます! 夏は引きこもりたい派です。冬だって引きこもりたい派です。