わたしは怒りんぼさん?/ローゼンタール効果
113日目。
3日前に書いた記事の続きです。
子どもの頃、よく怒っていたわたし。
親を含めた周りの大人たちから、
「まみはすぐ怒るね」「また怒ってるの?」「まみは怒りっぽいんだね」と、言われ続けていたわたし。
そんなわたしは、自分自身のことを「わたしは怒りっぽい性格なんだ」と自己認識していたけれど、それが地味に自分を傷つけていたと、はたと気づいた、という話でした。
『地球統合計画NEO』ケルマデック著 で、ローゼンタール効果について読んだことが、はたと気づくきっかけとなりました。
本書の中では、ローゼンタール効果について、このように紹介しています。
「心理学者のロバート・ローゼンタールは、ある日、学生たちに2匹のネズミを与え、迷路を通る実験をさせたのだよ。実験する際、1匹のネズミはとても知能が高く、もう1匹のネズミは知能が低いと伝えたのだ」
「それってさ、知能が高いって言われたネズミのほうが、成績が良かったんじゃないの?」
「うむ、その通りだ。ローゼンタールは、他の学生たちにも同じ実験をさせたのだね。実際に実験に使ったネズミは、同じ知能レベルだったのだがね。いずれの実験の場合も、『知能が高い』と伝えたネズミのほうが成績が高く、『知能が低い』と伝えたネズミのほうは、成績が良くなかったのだ」
「へぇ!つまり実験してる学生さんの予測に従ったわけか!」
「そうなのだよ。これが、ローゼンタール効果といわれる現象なのだ。
ローゼンタール効果は、ドクターと患者、教師と生徒、母親と子どもの間など、さまざまなところで発生するのだよ」
『地球統合計画NEO』ケルマデック著 / エムエムブックス 刊 p86 より引用
おぉ…おぉ…。
相手が思うような自分になってしまうってやつだよね、これは!
ちいさかったわたしは、こんなところまで、相手の期待に応えたいと、相手が思うようなわたしになっていたのかもしれないなー、と、ふと思いました。
もちろん、相手も人間ですからね。
ホ・オポノポノでいうところの「記憶」から、わたしのことを見てしまうことだってあると思うんです。
でも、それは相手の問題ですね。
同じように、わたしだって「記憶」から他者を見ていることだってある。
相手が思うようなわたしにはならない。
ローゼンタール効果に絡めとられない、そのために、わたしができるたったひとつのこと。
それは、せめて自分だけは、いつも自分を再定義し続けていよう。
せめて自分だけは、自分を発見しなおしていこう。
せめて自分だけは、自分のことを、いつもあたらしい自分として、フレッシュな眼差しを向けていこう。
せめて自分だけは、自分の制限を超えていこうとしよう。
せめて自分だけは、いつも自分に新鮮な好奇心を持っていよう。
それくらいしか、思いつきませんでした。
そして、自分のことをそんなふうに見ることができた分だけ、他の人にも同じような眼差しを向けることができるかもしれない。
相手のことを、いつもまっさらな眼差しで見つめること。
それ以上の愛って、きっとない、って思うんです。
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