ハニータナカさん(堀内在住/4年目)【ひとから観える葉山#1】
葉山で毎週定期的に使える場を探しているとFacebookで投稿したら、「ぜひ、自分のスペースを使って」とコメントをくれたハニータナカさん。ハニーが開く” 葉山イヤシロヒュッテタナカノイエ”(以下、タナカノイエ)は、そこにいるだけで心地がいい。地中にクリスタルを埋めたり、麻炭を撒いた土台に、無垢の国産材を使った板間、壁は麻炭漆喰を自身で塗り上げ、大きな窓から陽が差し込んでくる。肩書きを見てもわかるように多才なハニーは、妥協することなく、自分で手をかけてこの空間をつくりあげた。場を借りる打ち合わせがてら訪ねて、葉山に越した経緯や、葉山をどう見ているのか聞いてみた。期せずして、「ひとから観える葉山」インタビュー1人目。
人間の本来の営みに立ち帰る
大澤 今年から、タナカノイエの利用は、全てドネーション制にするということだけど、どんなところから、このカタチにしようと思ったの?
田中 タナカノイエのオープンは、2020年の3月20日頃で、ちょうどコロナと重なってたんだよね。オープニングイベントはよかったけど、その後、緊急事態宣言になっちゃって。ここは、ヨガシェアスペースで、ジムみたいな場所だから、規制も強くてさ。宣言解除あたりから、グループじゃなくてパーソナルのヨガで使ってくれる人はちらほらいたけど、利用があまり進まなかった。そうこうしているうちに、熊本でアースバックハウスヨガアシュラムをつくるカルマヨガとか、漆喰を塗る仕事が入ってきたりで、自分が葉山を離れていることも多くなって、基本的に今はスペース利用が少なくなってる。でも、ここの場所を遊ばせているのはもったいないなあと思ったし、地方での仕事もひと段落したから、せっかくのこの気持ちのいい場所をたくさんの人に使ってもらいたいと思って、今年になって、ヨガもスペース利用もドネーションとか物々交換にすることにした。
ドネーションや物々交換にすることで自分が支払えなくても他の物や誰かがまかなってくれたり、他の誰かが払えなくても自分がその人の分までまかなったり出来る。それって人間本来の営みで素晴らしいじゃない。
大澤 そんな時に、私が「葉山で定期的に場を借りたい」と投稿したんだね。絶妙なタイミングだったな。うちも、「半開きの家」と呼んで、人が気軽にご飯を食べに来たり、泊まりに来る場になってるんだけど、そもそも、家とか土地も人間が勝手に「自分のもの」としているだけで、”地球さん”からしたら、関係ない話じゃない?
田中 そうなんだよね。ヨガ的な考え方でいうと、宇宙の中の地球という星の一部で、ここは誰の土地でもないわけ。最初は、人が住みやすい場所にキャンプしたり、定住し始めただけで、そこから人間の都合で区画を決めて、「自分のもの」とくくって売買するようになるけど、それって近代のことじゃない?でも、本来は地球から借りてるだけのもので、アメリカインディアンも7世代先のことを考えるって言うけど、そう言う気持ちでいないと未来に続いていかない。もともと、この家を住み開きしたいというのもあったし、だから、小さくても気持ちのいい家にしたくて、麻炭使ったり、クリスタルを地中に埋めたり、電磁波をカットできるようにしたり、自分がいいと思ったできること全て注ぎ込んで作ったんだよね。とにかく気持ちが良くて、極端なこと言えば、ヨガしなくても、ただそこにいるだけでも気持ちいいヨガしたのと同じくらいの感覚が得られる場所にしたかった。
葉山に出会う:ワイン片手に富士山と夕日のある暮らし
大澤 ところで、そもそも、ハニーが葉山に引っ越そうと思ったきっかけだったり、住み開きみたいなこのシェアスペースをつくった理由って、なんだったの?
田中 最も遡ると、2000年前後くらい、大学を卒業して間もない頃に、妻のさやかと「きれいな海が見たい」ってことで、一色海岸に来たことが、葉山との出会いの最初かな。「世界の厳選ビーチ100」(CNN)とかにもなってるじゃない?それで、来てみたら、「なんじゃここー」みたいな感じで。大学は茅ヶ崎だったから、海にはよく行ってたんだけど、一色海岸の海の家BlueMoonが見たことないくらいお洒落で驚いた。クラブ通いしたり、DJやってて、当時はかっこいいものにこだわりがあったから、すごく惹かれたんだよね。それに、こんなに小綺麗な海の家があるのに、人は少ないし、海もきれいだし。それで夕日見たら、富士山は見えるし、「ここは、あかん」って感じになって。海の家だけじゃなくて、近所のご夫婦とかが、椅子やテーブルを持ってきて、夕日見ながら、ワインなんか飲んでたりするのを見て、このナチュラルライフな感じ、人生で一度はやってみたいなあと思ったわけ。それから、毎年葉山に遊びに来るようになった。まあ、まだ海でワインはやってないけど(笑)。実際越してみると、ワインなんか飲まなくても、夕日と波の音だけで、十分だった。
地に足がつき、野性的な感覚を取り戻す
大澤 でも、そこからすぐに引っ越したわけではないんだよね。
田中 そう。大学卒業してから、デザインとかウェブの制作とかをフリーランスでしていたんだけど、あることから、取引先が渋谷で立ち上げた会社の役員をやることになった。そもそも、通勤とか満員電車と定時出社とかが嫌でフリーランスをしていたから、通うことがストレスになってたし、とにかく仕事が忙しくて、夜遅くまで働いていたら、心身ともに調子が悪くなってきて。会社に勤めるのではなく、シェアオフィスみたいなものを作って、好きな人だけ集まって、協業できるようにしたいなというのが、こういうところを作るきっかけなんだけど。でも、最初はクリエイティブな人たちと面白いことをするみたいなことを考えていたから、世田谷とか、清澄白河あたりとか、クリエイターが集まりやい場所を考えてた。
そんなとき、妻のさやかが、ヨガに誘ってくれてさ。だいたい、さやかが最初にいろんなきっかけを作ってくれるんだけど、ヨガをやってみたら、仕事のしすぎで起きてた体調不良が改善するわけ。凄い!これは同じような境遇の人やみんなに広めるべきだと思ってさ。それで、自分が考えているシェアオフィスでもヨガをできたらなと思ってたら、2017年にハワイ島のケイコ・フォレストさん(注1)のエコビレッジでZuddhaYoga(注2)という流派のティーチャーズ・トレーニング200時間が開催されるのを知ってさ。でも、1ヶ月仕事を休まなくてはいけないし、2人で行くとなると、結構な費用がかかるし、最初は迷ってた。そんなとき、30代半ばで亡くなった友人の年回忌があって、「いつ、死ぬかわからないから、会いたい人にあって、やりたいことをやらないと」って話を自分でしてたんだよね。それで、ハッとなってさ。ちょうどそのトレーニングの申し込み期限の直前だったから、自分が言ってるのにやってないって思って、後押しされるようにして申し込んだ。
ハワイ島のトレーニングの場所は、ケイコ・フォレストさんの持っている広大な敷地で、日本では当時は珍しかったオフグリッド。電気は太陽光パネルだし、水は雨水を濾過してて、畑でフルーツ取れたりして、自給自足的な生活をしてるところだった。現代文明と切り離されたような中で、朝4時半くらいからから夜10時頃まで、座学あり、ポーズ系のワークあり、キールタン(歌)ありの生活で、20日間くらいしてると、ノイズがすごく少なくて、地に足がついていくというか、自然の中で、どんどん野性的な感覚を取り戻していった。ヨガのポーズも、最初はできないことも、コアの筋肉が鍛えられて、自分の内側の電気が通るようになると、自然とできるようになっていってさ。40代に入って肉体的な衰えを感じていたのが、できることが増えていくのを体感して、まだ成長できるんだというのと実感したんだよね。できないと思っているとできないけど、意識の問題なんだって。20日間、日が昇る前に起き、日が沈んだら寝て、食事もヴィーガンで、自然に近い中で生きていると体が変わってきた。
大澤 もともと、そういうナチュラルライフみたいなのが好きだったの?
田中 半分くらいはナチュラルとかも好きだったけど、ウェブ制作とかもやってるように、コンピューターとかテクノロジー系が好きだったし、クラブで音楽やっていた時も、ミニマルテクノとか機械的なものに惹かれる傾向があった。でも、一方で、山男だった父の影響で山登ったり、スキー・スノボしたり、キャンプも好きだったし、両極端だけど、偏りすぎるとバランスがとれなくなるから、コンピューティングをやりすぎると、自然の中に入りたくなってたと思う。
体験の重なり:自分の感覚を大切にし続ける
大澤 それで、ヨガに出会って、ハワイに行ってから、葉山に来たってことだよね。
田中 帰ってきたら、もう、シェアオフィスじゃなくて、ヨガのシェアスペースをやろうという風に変わって行った。その方が地球のためになると思ったし。ヨガナンダというビートルズにも影響を与えた瞑想メインのヨガの先生の映画を観たんだけど、ベトナム戦争当時、アメリカで瞑想を広めて戦争を止めるような活動をしてて、「地球を救う」というようなことを言ってたんだよね。「そうか、ヨガで地球を救えるんだ」って単純にその時思った。思考を変えることで、世界が変わるなら、自分に気づくためにヨガをやってもらえたらいいなと思って、ヨガにシフトしていった。
大澤 会社勤めの経験からクリエイティブなシェアオフィスを思いついて、その後のヨガとの出会いや、友人のこと、ハワイでの体験を経て、今のタナカノイエのカタチに近づいて行ったんだね。
田中 そう。それで改めて場所を探し始めて、でも、なかなかこれだと思うものに出会えないまま、初めから考えると3〜4年200件以上のいろんな物件を見る中で、2018年になって、海も森戸神社も近い、今の土地が出てきたんだ。
大澤 200件以上か、すごいな。そういえば、この辺の物件は、みんな見たことあるって言ってたもんね。自分にしっくり来るものが何かをわかっていて、それに出会うまで結構長い間探してたんだね。実際、葉山に越してきてどうだった?
田中 シェアオフィスだったり、ヨガのシェアスペースだったり、もともと「シェア」に対して興味があったから、葉山の人の人懐っこい感じがいいなと思って、この場所を選んだ。何年もかけて、本当にあちこちの物件を見に行ってたけど、他の地域と比べて、葉山の人は気軽に挨拶してくれるし、特に子どもが「ねえねえ、どっから来たの?」って声をかけてくれるのが嬉しかったな。近所の人の顔を知ってるからこそ、知らない人が来ると関心を持ってくれる感じがする。でも、越してきたタイミングとちょうどコロナが重なっちゃたから、人と交わる機会が減っていて、それをちょっと残念に思ってる。
大澤 「シェア」の考えもそうだし、ハニーは、人と交流することを大切にしているんだね。
田中 もともと、みんなとシェアをすることで、そこから生み出されるものへの期待があったし、だから、ここも、自然と人が入ってこられるような開放的な空間にしてる。実は、母方の祖父が、神奈川県の丹沢山麓の中腹に山小屋を持ってて、子どもの頃はよく遊びに行って、店番とかもしてたんだよね。そこには山に登りに行く人や、下りてきた人が立ち寄って、お茶飲んだり、いろんな人が来て、話をしてた。正月時期になると、お年玉をもらったり、人と交流するのが好きで、そういう場所を持ちたいという感覚もある。
大澤 子どもの頃の丹沢での思い出や、ハワイのティーチャーズトレーニングの経験、カルマヨガの考え方、いろんな体験が重なって、タナカノイエをより開いて行くという今があるんだなあと思った。そのタイミングで使わせてもらうことができて、とても嬉しいし、いいエネルギーを巡らせていきたい。これから、よろしくお願いします。
(2023.01.10)
(注1)ケイコ・フォレストさん 「ヤナの森の生活」翻訳出版、TRANSITの寄稿もしているハワイ島プナのジャングル在住の作家・ナチュラリスト。終わらせ屋。有名人から旅人まで辿り着く聖地エコビレッジ「THE VILLEGE」運営。
(注2)ZuddhaYoga 熊本在住カナダ人ウェイロン・ベルディング創設の今どき珍しいキラキラしていないプロパースタイルのヨガ。古来からのヨガの伝統、哲学、スタイルを大切にしている。Zuddhaとはサンスクリット語で純粋の意。