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娘が私のサンガだった!〜地球の仲間をサンガに〜

年末年始にタイのプラムヴィレッジのリトリートで500人の参加者、100人の僧侶と実践の毎日を送っていた時、ふと「ああ、ずっと(19歳の)娘が私のサンガだったんだ」と言いう洞察がやってきた。

仏教には仏法僧(ぶっぽうそう)という3つの宝があるという。目覚めた人(ブッダ)、理解と愛の道である教え(ダルマ)、調和とはっきりした心をもって生きる集団である共同体(サンガ)だ*。僧侶の集団であるサンガは、お互いの修練を支え合うと共に、日々の暮らしや老い・死を共に生きる互助組織のようだ。このリトリート中、私たちも参加者同士で支え合い、ダルマシェアリングで気づきを分かち合い、それぞれの修練を助けていたと思う。人は1人でも気づきの多い生活を送ることはできるが、生老病死、四苦八苦は、人の間で起こるものだから、支え合うことそのものが、気づきをもたらしてくれるものだと思う。

娘との対話的な生活が意識的に始まったのは、5年前の彼女が中学2年生の頃だったように思う。それまでも、たくさんおしゃべりはしてきたが、「親」というスタンスで関わっていた部分が多かった。それが、日々の暮らしの中で、また、私自身の気づきの生活の中で、既成概念的な「親」を脇に置き、自動的、脊髄反射的対応をするのではなく、毎回自分に立ち返って、「これは、私の言動なのか、社会的概念によってもたらされたものなのか」を徐々に意識して関わるようなってきた。

簡単なことで言えば、「親だから当然のように食事をつくる」のではなく、「そもそも親が食事をつくる必要があるのか」「必要があるとしたら、なぜなのか」「どういう食事をつくるのか」「もしつくるならそこにどんな願いがあるのか」それを考え尽くしたとき、食事をつくることが義務ではなく、私の願いと感謝になった。

とは言え、社会的概念、長年によって積み重なってきた私の偏見、固執した考えはそう簡単に外れるわけもなく、この5年間に渡り、親子という概念はもとより、毎日の生活の中にある困難や気づきを、食事の時、習い事の送り迎え、さまざまな場面で、娘と対話してきた。忌憚なく、同時に愛を持って話せる相手がいるというのは、本当にありがたい。似ている部分と違う部分、お互いのものの見方の違いやこだわりの差を生活のあらゆる場面で点検できることは、私を大いに成長させてくれたと思う。

「親子」という社会的に強固な概念、レッテルを貼られる関係性としてご縁をいただき、だから生活を共にしていくというのっぴきならない関わりをもつからこそ、一層深くものを見ないといけないことも、とても重要な要素なんだろう。社会通念から見たら不思議な関係性の部分もあるから、私も娘も理解ない言葉を他者からもらったり、ジャッジされていることを感じることもあったが、そのことについても、反発するのではなく、何が起こっているのかを話すということをしてきた。

リトリートに行って、意識的な生活を支え合う仲間の中に入り、改めて、娘との関係が、生活と気づきを支え合うサンガであるということに気づいた。大切な存在であるけれど、個であることを尊重し、依存しすぎることなく、互いを触発し合う相手てありたいのだ。そう思って帰国し、10日間ほど経った今、8人で住んでいる家族(母、私、娘、弟家族)も私にとってのサンガでありたいと思う。別に「サンガであろう!」とは言わないし、宣言もしないけれど、血を分けた仲間だから義理で一緒にいるのではなく、意識的に共に生きることを選び直した仲間として、互いの生活と気づきを分かち合う存在でありたい。もちろん小学校1年生の姪っ子も。

そして、対話仲間や、SNS上で互いの気づきを分かち合う人も、実は人知れず(?)、私は自分のサンガだと思っている。だから、自分の言動が相手を躓かせないか、お互いの修練を滞らせるようなものになっていないかを点検しているつもりだし、また、みんなの日々の言動に大いに助けられ、私も今日も生きようと思える。皆さんに恥ずかしくない生き方をしたいとも思う。

僧侶の集団であるサンガは、布施で生きているから、「お布施をしてもいい」と思えるような集団であるために、さまざまな戒律で生き方の指針があるらしい。在家の人たちに好かれないと、布施をもらえないから僧侶はやっていけないのだ。これを少し?広く解釈するとこうならないか。私たが日々食べているもの、太陽、水、空気、これはすべて、地球から我々への布施である。私たち人間は、地球や他の生き物たちに好かれないと、生きていけない。私たちはそれに相応しい、布施をもらえるような生き方をしているのだろうか。僧侶たちはサンガ全体が好かれる集団であるように、お互いを励ましてきた。ならば、私たちも、地球から好かれるように、互いの生き方を励まし合うべきなのではないか。

娘が私のサンガであった。そして、この地球上に生きる全ての人も、私のサンガなのかもしれない。

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