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「結果として」つながる世界へ〜およそ人間的なもので私に無縁なものはない〜
同時多発テロから20年。今朝のこの新聞を見て、すごくざわざわした。この「団結」に何とも言えない怖さを感じたのだ。
バイデン氏は「我々は米国に危害を加えようとする者は必ず追い詰め、代償を払わせる」と強調した。
多くの人が辛い思いをした事件だったことは間違いない。でも、この「団結」は、何だか更なる分断と対立を生むような気がする。
幸せでありたい思いは、どんな人にも共通してあると思っている。ただその「幸せ」に至る道の中で、大切なものが違うから分断してしまうだけで、根っこは同じなんじゃないかなあ。
団結するぞ〜!って横で手をつなぐと、仲間に入れない人が出てくる。
一方で、「もともと共通のものを持っている、みんな人間だよ」と思えて1人1人が行動すると、「結果として」つながっている世界が立ち現れるように思う。(だって、もともとつながっているから。)
「出現する未来」に書かれているマヤ・アンジェロウの言葉が思い出される。彼女は10代でレイプされた後の自己発見の旅と癒しの中で、次のような言葉を語っている。
『最後に私は悟らねばならなかったのです。私をレイプしたのは私であって、男のなかの怒りは、私にもあったのだと』。マヤは2000年前のアフリカ人の言葉を引用して締めくくった。『私は人間である。およそ人間的なもので私に無縁なものはない』。 P.154
これを書きながら、こみ上げて来るものがある。ここまで深く自分の中に潜って、言葉に表現してくれたマヤの勇気には称賛と感謝しかない。
「およそ人間的なもので私に無縁なものはない」というところに立てたとき、世界はきっと変わる。そこからだ。1人1人が。もちろん、私も。