対話を通して共創(Co-Create)するということ:きっと古くて新しい物事の起こり方
私は、これまで割と器用に色んな仕事をして来たし、様々なプロジェクトを創り上げる中に参加したこともあったけど、何だか本当の意味(?)で「共に創る」ということを体感したことがなかった。
それが、昨年対話に出会ってから、色んな場面で「共に」を感じ、考えながら「創って行く」ことをするようになった。参加者として入ったOIC5期もそうだし、その仲間とのクラウドファウンディング、対話を学ぶ講座2、今度は運営に回ったOIC6期、対話の祭典と体験を重ねている。そして、まだまだだけれども、その心地よさ、「共創」の感覚の兆しを掴みつつある感じがするんだ。
対話でミーティングができるのか
対話の定義は色々あるけれど、昨年参加した「対話を学ぶ講座1」の資料(中村一浩)から引用してみる。
対話とは、意図をもって自分や他者と向き合い、考えや思いを分かち合うこと。相互理解を深め、共通の基盤を作り出す。
何かプロジェクトを創り上げる際のミーティングって、どちらかというと、議論よりな気がするのだけれど、今、みんなと共に創っているものは、ベースは対話によって話が進んでいると感じている。
その場ではどんな形での言葉のやりとりが行われているかというと、こんな対話の実践と原則が基盤にある気がする(「対話を学ぶ講座1」の資料より)。
お互いだけでなく、自分自身も尊重し、その声に耳を澄まし、反射的な応答を保留し、湧き上がるものを声に出す。これは、あくまで私がこの資料を見た際の解釈だけれど、ミーティングの場でもこれが大切にされていることを感じる。会社などの組織では、経験の多寡や立場で発言力が大きくなることがあるのが普通かも知れない。でも、ここでは、誰もがその時の自分自身でありつつ言葉を出す。そして、対話的な話し合いが成立している。
みんながいるから自分であれる〜痛いこともあるけれど〜
私に会ったことがある人は、わかると思うけれど、どちらかというとエネルギーが高く、声やアクションが大きく、言葉数も多い方だ。勢いがあるから、物事を前に進めることがある反面、細部まで目が行き届かないこともある。そんな時、仲間から場に違和感が出されることがあって、これまで何度もはっとさせられた。
殊更自分にベクトルが向いている訳ではなくても、仲間の声を聞きながら、本当に自分の至らなさに恥ずかしい思いをしたり、ショックでモヤモヤすることも多かった。でも、自分の立場を守ろうと防衛しようとするのを保留して、一呼吸おくと、実に学びが多い。自分にない視点を仲間がくれるんだ。
しかし、だからと言って、自分の言葉を吟味しすぎて、場に出さないというのも自分の在り様としては違う気がする。多方面に神経を張り巡らすことで、溢れて来る言葉を押し留めたり、出すことに躊躇することも、流れを止めてしまうことになるように思う。
だから、私は出し続ける。が、それは、怖いことでもある。誰かを傷つけたり、あらぬ方向に進んでしまう可能性を秘めているからだ。それでもなお、安心して自分自身であれるのは、仲間のおかげだ。自分と違う声をそこに響かせてくれる仲間が共にいてくれることのありがたさは半端ない。そして、逆もまた然り。丁寧に進む仲間の手を私が荒っぽく引っ張ることで推進力が出ることもあるし、時には立場が逆転する。それも、多様な声を素直に出せるからだ。
1人の天才では到達できない全体性をみんなで創り上げる
仲間が場に出してくれる声に、勝手に傷つく原因の1つは、自分の不完全さ、至らなさに対する恥ずかしい思いがある。それが自己防衛的な反応を生む。
しかし、全てを把握しきり、全方位的に配慮をして行動することが可能な人間なんているんだろうか?それぞれの生きて来た過程、経験がその人の物の見方を培って来ているし、受け継いできたDNAもあるわけだから、1人の人が見える視点・範囲は限られている。どんな天才でもだ。
だからこそ、みんなと共に創る。5人いたら5人の、10人いたら10人の違う視点・真実がある。それを重ね合わせて行くことで、より立体的な集合的な全体的なものが立ち上がって来る気がする。そして、このことが成立するためには、それぞれが率直に言葉を出して行く必要があるし、1人1人の声を大切にしなければならない。その人を通して、世界に出たがっている言葉が確実にある。どのピースが欠けても、全体性から遠ざかるんだ。
そうしてできたプロジェクトのエネルギーと凝集性の高さを、日々実感している。これまで色んな仕事をしながら感じられなかったこの感覚は、自分にとっては、とても新しいものだけれど、きっと昔はある種こんな風に社会が創られていた部分があるんじゃないかとも思う。個が埋没するのでも、孤立するのでもなく、N=1の重なりから立ち現れる古くて新しい社会を創るんだ。対話しながら、みんなと共に。