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【未来の仲間ナティーアに向けた日記2021/8/8】自分の言葉を取り戻す/日々言葉と出会い直す

2021年の日本は、COVID-19の流行の中にあり、これまでのパラダイムでは立ち行かないところにいるように思う。今だから書き残せること、在野の特に名も無い人間だからこそ置ける言葉があるのではないか。ある日、未来の人類について考えていた時、「ナティーア」という女の子の名前が思い浮かんだ。この日記は未来の仲間「ナティーア」を思いながら書く日記である。

2021/8/8(日曜日・山の日)
一粒万倍日・獅子座新月・ラインオンズゲート
【News】2020東京オリンピック閉会式、東京過去最多4066人が新型コロナウイルスに感染

今は21時。今日からこの日記を書こうと思っていたけど、1日たくさんのことがあったから、すっかり忘れていた。明晰な状態で書こうと思っているのに、すでにワインが傍にある。初回がこれでは思いやられるけれど、まあ、仕方がない。これが私だ。(しかし、明晰さってなんだろう?)

なぜ、これを書こうと思い至ったのか。それは、昨年から「対話」をするようになってから、1人1人から発される声の唯一無二性に気づき、だからこそ、名も無い自分の声をどこかに残しておくことが大切なのではないかと思ったからだ。

もっと言えば、私たちは、時代の大きな転換期にいる。世界同時多発テロ、東日本大震災、リーマンショックなど、私たちの生活に大きな影響を与える事象に出会い、今、とどめかのようにコロナがやってきた。この時代の記録を書き記すことは、きっと何かの意味がある。特に、未来の誰かの視点に立った時には。そんなことを思ったとき、突然「ナティーア」という女の子の名前が降ってきた。だから、これは未来の仲間「ナティーア」を頭に思い浮かべて書く日記である。

それにしても、今日はオリンピックの閉会式なんだ。全く知らなかったよ。最近、ニュース見てないし。たまたま来た近くに住む仲間が教えてくれた。

さて、今日は運営に関わる「対話をまなぶ講座3期」の初日の日だった。コロナになってから、オンラインでの対話がデフォルトになってきて、今日も北海道から鹿児島まで様々な地域の人が入ってきてくれた。話題提供をしたのは、かず。こいつは、「自分を生きる」ことに覚悟があるやつだ、と私は感じている。大事なのは「できている」か「できていないか」ではない。「覚悟があるか」なんだと、私は思う。

テーマは「対話と言葉」。私にとって対話とは、自分の内側の言葉を出す場という感じがある。対話をするようになってから、言葉と自分の距離が明らかに近くなった。自分の言葉を取り戻してきている感じだ。「自分の言葉を取り戻す」という感覚は、未来の人にとってどんなものなんだろう。「自分と言葉の一致」そんなこと当たり前なのかな?そうであることを願うよ。この時代の私たちは、特に小学校という場所で「教育」が始まる頃から、自分とつながる言葉は横に置かれ、「この場では何が正解か」という言葉を探るようになっいる感じだ。

今日は自分と言葉の間にスペースができた気がする。「言葉」は所詮断片しか切り取れない。仏教の話と重ねてみると、言葉は月を指す指のようなもので、月そのものが見えてしまえば、指=言葉は忘れていいのに、現代ではその指=言葉に固執し、月を忘れがちになっている気がする。人間は刻々と変わる存在だ。言葉と自分の意味の関係も瞬間、瞬間で流動的でいい。いや、それでしかない。だからこそ、消え入りそうな今の言葉と意味の関係を切り出す必要がある。

そんなことをしていたら、毎日が進まないんだろうけど、全ての物事と、全ての言葉と、日々瞬間、新しく出会い直すことができれば、私はその場で世界をつくり出せるだろうに。そんなこと完全にはできないと手放しつつ、諦めない。その先に自分が歩くところが見える気がする。

ああ、文章でも私はハナシナガ族だ。今日は、この辺で、やめておこう。


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