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「赤いきつね」CMの炎上失敗から、フェミニズム運動、ジェンダー運動などを思いおこして分類してみる

燃えない要素てんこ盛りのアニメCMに「性的」というイチャモンがついた。

が、「赤いきつね」は強かった。

潮目は完全に変わったっぽい。
そこで、フェミニズム運動、ジェンダー運動などを思い起こして分類してみようかと思い立った。

※この記事、価格はつけてありますが、投げ銭仕様で全文無料公開なので安心して読んでね。


「赤いきつね」は燃えなかった

このCMが炎上させられ損ねた。

テレビでドラマらしきものを見ながら「赤いきつね」を食べているシーンのアニメCMで、「ああ、寒いときのカップ和風麺」って妙にそそるんだよねえ、ああ「どん兵衛」(うちのストックに「赤いきつね」がなかっただけ、もちろんあるときもある)食べようかなと、瞬間、思ってしまった。なかなか魅力的なCMである。

これに「性的」というケチがついたわけだ。

もう、イチャモンとしかいいようがないだろう。

正確には「「性的」といういちゃもんをつけた側の期待していたであろう炎上はしなかった」であり「イチャモン」つけた側に批判がでてじわじわ炎上しているといった感じ

2025/02/20には、炎上分析でおなじみの鳥海先生の分析が出た。

いや、鳥海先生の分析が出たら終了でしょと思ったら、まだ終わらない。

2025年2月21日になっても、どうあっても炎上させたい方面もいるようだが…さあ、うまくいくんだろうか?

ちなみに、上記記事を書いた鎌田和歌氏の煽りは2021年には機能していたように思う。

呉座・北村騒動+オープンレター案件である。
 

複雑怪奇な様相を見せる「赤いきつね」騒動

経過記録は別に備忘録を作っておいた
「赤いきつね」は炎上しなかったが、2025年2月21日以降、炎上予防コンサルのマッチポンプ疑惑がでてきたり、いわゆる「フェミ騎士(あるいはチン騎士)」と呼ばれる男性陣も登場し、そちらが批判を浴びたり…という状況も起こっている。

 

萌え絵叩きとフェミニズム

思えば、マンガ・アニメ、アニメ風イラスト、萌えキャラを使った様々なプロモーションが、燃やされてきた。

「性的である!ケシカラン!!」である。

2015年「碧志摩メグ」 
2018年 「キズナアイ」NHK 
2019年 「宇崎ちゃん」献血ポスター 
2020年 アツギ、タイツプロモーション企画 
2021年「戸定梨香」(千葉県警) 
2022年4月「月曜日のたわわ」(日経新聞) 
2022年11月「温泉むすめ」
2022年11月 大阪駅ゲーム広告叩き

2025年2月「赤いきつね」

やれやれ、挙げればもっとあるだろう…。


国連特別報告者ブキッキオ氏の来日と萌え絵叩き

このニュースあたりから、アニメ・マンガ・萌え絵などは「叩いていい」ものとなっていった気がする。

このブキッキオ氏の報告は、数字を間違えた?(13%を30%と表現??)という話以外にも、かなり物議を醸したので記憶に残っている方も少なくないと思うが、少し復習してみよう。

国会議員の山田太郎氏がこの件に関してレポートしてくれている。

30%援交発言の衝撃!ブキッキオさんの件の顛末(前編) 
30%援交発言の衝撃!ブキッキオさんの件の顛末(中編)
30%援交発言の衝撃!ブキッキオさんの件の顛末(後編)

ちなみに、このおばちゃん、Colaboの仁藤夢乃氏んところでも「ヒアリング」したらしい。

あら、伊藤詩織さんと伊藤和子さんが写ってますねえ

そもそも視察の対象がそこかよ?…という問題もある。

山田太郎氏の危惧のうち主要ポイントの一つは
「こども・女性の性被害」と「マンガ・アニメ文化」を直結されかねない、
という点にあったようだ。

とにもかくにも、
これ以降

「若い女性を描いたマンガ・アニメ絵=性的消費」→「性被害に繋がる」

といった図式が「堂々と」主張されるようになったし、

「若い女性を描いたマンガ・アニメを消費する男」=「女性差別者」は矯正されるべし。

みたいな主張もSNSで見受けられるようになった。

SNSにおけるラジカルフェミニズムの誕生…といったところだろうか。

フェミ炎上の構図

多くの炎上に「学者や弁護士」とかいうのが、介在してきた。

下図の④の部分である。

「差別」の専門家、「人権」の専門家、「ジェンダー」の専門家など、オールドメディアや出版というベースの繋がりを持つ人達が登場し、なにやら「がなりたてる」に近い様相でいろんな声を黙らせていく。

このやり方…定式があるようで、うさぽんが見つけてくれた論文にそれが書かれている。

なんでも「薔薇棘勉強会」というものがあって、そこがジャーナリズムを通して世論を積極的に操作して、政策や立法に反映させていこう…というものらしい。

『世論は「目標に応じて」作るもの』という前提が、透けて見えるのが、ちょっと空恐ろしいですねえ。

目標とは何なのか?

「私が思ったかわいそう」から「社会起業というアクションを起こす」のであれば、いくらでもネタはつくれますね。

それをやり続けるのが「新しい時代のグローバルな女性リーダー」ということなのかもしれません。

ただ、最近ちょっと雲行きが怪しくなっているようです。

フェミニズム運動のパターンを分類してみる

雲行きや風向きを見る前に、ちょっと分類してみましょう。

これまでのフェミさんらの闘いっぷりから、ありがちなフェミニズム運動を分類してみる。

①「キモイ」で黙らせる系
②「
#Metoo」と「二次加害」で黙らせる系
③「病みリスク」「自己認識の重要性」を強調して黙らせる系
④社会の「ジェンダーギャップ」や「ケア労働の不均衡」を強調する系
⑤こんなに女性・女子が辛い思いをしている、放置してていいのか?とゴリ押しする系。


①「キモイ」で黙らせる系

これは一番端的な例は、マンガ・アニメ叩き、オタク叩き、おじさん叩きの類ですね。

長々とした「いかにキモいか」と「不快なものを見せられた被害」が語られることが多いです。

「キモい男性視点のコンテンツ」であることが「キモイ」とされます。

「赤いきつね」に対するいちゃもんもこのパターンでしょう。

②「告発(Metoo含む)」と「二次加害」で黙らせる系

2016年頃からフェミニストの間で流行りだした?「Metoo運動」ですが、たいていは「信ぴょう性問題」を「二次加害」とか「セカンドレイプ」として糾弾することで、異論をはさませずに「広範な事実」としてしまうパターンです。

ジャニーズ叩きも典型的な典型的なそれであったかと思われます。

「二次加害は許されない」「それはセカンドレイプにあたる」

というセリフとともに、

「差別だ!当事者の気持ちになって考えれば、そのセリフは言えぬはず、ケシカラン奴め!」

という罵倒が投げかけられ、論評すらできなくなる。

「被害」を広めに捉え「女性に対する差別発言」まで含めると、些細な事でキャンセルカルチャーやら訴訟にまで発展するケースも散見された。

一部、訴訟自体が「戦術」として使われた部分もあったようにも思う。

 

③「病みリスク」「自己認識(or自己受容)の重要性」を強調して黙らせる系

これは近年では「トランスジェンダー」でよく使われますが、摂食障害や、(家庭の封建制によるとされる)非行や違法行為への耽溺(薬物使用含む)、依存症、発達障害でもしばしば同様のロジックが使われてきました。

①「アイデンティティの危機=病みリスク」が大前提で、
②アイデンティティの危機だから本にの自己認識の受容によって支えるべき

というロジックです。

「彼らを(or我々を)包摂し、支えなくていいのか?」というのが殺し文句です。

ここはアカデミックな屁理屈がよくならびます。

 

④社会の「ジェンダーギャップ」や「ケア労働の不均衡」を強調する系

女性のキャリアアップに関するハードルの高さ、家庭内役割における子育て・ケア労働の不均衡を強調して、「女性へのあらゆる支援の必要性」をパターンです。

出産・育児の負荷問題ともペアで語られるし、不妊治療等の問題とも絡んでくる。

女性に対する「アファーマティブアクション(優遇措置)」が中心に語られる。

「女性がいかにキラキラした社会のリーダーになるか」が中心になるようで…大衆とはあまり関係ないなあ…と思わなくもない。

「おお!今日は小豆がうまく煮えた!」「今日のだし巻きはいい出来に仕上がった!」レベルで満足している猫又ババアには縁遠い世界にしか見えない。

「少子化をどうするのか?」というのが、錦の御旗のようである。
 

⑤こんなに女性・女子が辛い思いをしている、放置してていいのか?とゴリ押しする系。

海外バージョンだと女児の労働や小児売春の話、文化的な女児身体への侵襲問題などが主に取り上げられる。

国内バージョンだと、DV問題、女子の進学差別(?)、シンママ家庭の経済的困難、離婚後の養育費問題等が取り上げられる。

「こういうかわいそうな現実を放置していいのか?」という、共感に訴える錦の御旗があげられる。

フェミニズムに吹く風向きは

①「キモイ」で黙らせる系の情況

①は赤いきつね案件で、完全に風向きが変わったのが見えちゃった感じだ。赤いきつねは強かった!

完全に「「赤いきつね」を炎上させようとした側」が炎上しているといった状況である。

ちょっと復習してみよう

2015年「碧志摩メグ」 
2018年 「キズナアイ」NHK 
2019年 「宇崎ちゃん」献血ポスター 
2020年 アツギ、タイツプロモーション企画 
2021年「戸定梨香」(千葉県警) 
2022年4月「月曜日のたわわ」(日経新聞) ★
2022年11月「温泉むすめ」
2022年11月 大阪駅ゲーム広告叩き(尾辻かな子氏)

2025年2月「赤いきつね」

風向きが変わり始めたのは2022年の「月曜日のたわわ」案件ではないかと私は見ている。

2018年には、治部れんげ氏によるこの本が、日経新聞社から発売されている。

その日経新聞に、2022年に「月曜日のたわわ」の全面広告(広告主は講談社)が日経新聞に掲載されたわけである。


当時、ツイッター(現X)のお薦めなどによくでてきていた、ハフィントンポストには、批判的な記事が並んでいた。

まあ、この日経の全面広告は「女性の”声”(といってもジェンダー学者だが)を活かすのがビジネスのマナー」といった、フェミニズムルールに反するものであったので、フェミニストサイドから反発が出ることは当然といえば当然である。

だが、日経新聞社も講談社も沈黙を貫いた。

この辺から「萌え絵に関するフェミニストの言い分にはスルーしても大丈夫」といった対応をする企業も出はじめる。
 

②「告発」と「二次加害」で黙らせる系の情況

②は、フラワーデモのフェミニストたちが草津Metoo案件で思い切りこけた。ああ、それ以前にもジェンダー法学会案件で既にこけ始めていた感はありました。

2021年春に勃発した北村-呉座騒動+オープンレター騒動は、実際のセクハラでもなんでもないものが「女性に対する蔑視・差別」というお題目で「不適切」「差別」「セクハラ」「二次加害」とずいぶん拡張された。

概要はこの辺が参考になるだろう。


報道の流れがどうであったかについては、下記まとめてある。

雑誌メディアやテレビメディアは、相変わらず「告発系」が2025年に至るまで、「告発」を持ち上げる雰囲気がある。

フジテレビ中居スキャンダル問題にかんしては、告発したメディアが「文春」で、告発されたのが「フジテレビ」というテレビメディアだったので、かなりややこしいことになっている感じである。

メディアとジャーナリズムのほう、その他の産業よりも「遅れている」のかもしれない。

 

③「病みリスク」「自己認識(or自己受容)の重要性」を強調して黙らせる系の情況

ここは「差別だー!」を叫びたい系統である。

LGBTQ運動方面の人たち、が目立っていたのがここ数年である。


「当事者研究」方面のアカデミックな人達も、ダイバーシティ&インクルージョンをアピールポイントにする東大を中心とした世界の中では活躍されていた模様。

だが、LGBTQ運動にかんしては、2024年春の「トランス本(産経)焚書騒動」のあたりからどうも風向きが怪しくなってきた。

トランスアライ的なジェンダーアクティビスト視点では『あの子もトランスジェンダーになった』(KADOKAWA)が無事2023年暮れに出版中止においこめたはずが、産経から『トランスジェンダーになりたい少女たち』というタイトルで復活発売されることになり、もしかしたら、だいぶ沽券が傷ついたのかもしれない。

この件を見ると、やはり「出版業界」そして「大学」が、かなり世論に影響を与えていたように思う。

上記記事では1960年台末のある件との比較をしてみたが、その時代よりも言論の自由がなくなっていたのが出版の世界のようである。

そして、2024年にはLGBTQ団体の不祥事も出てくる。

くすぶっていたLGBTQ運動への反発はこのあたりから急速に強まっていったように思う。

もう…「虹ヤクザ」というセリフまで…

 

⑤こんなに女性・女子が辛い思いをしている、放置してていいのか?とゴリ押しする系


貧困支援方面で男児の排除問題が浮上したり…、善意の寄付がかなりの部分広告費に回っている?問題が浮上したり、弁護士さんたちの離婚講座の問題なども浮上…。

海外案件については、米国のUSAIDの腐敗の問題で、世界中に待ったがかかっている上に、ユニセフ案件でもあるシェラレオネ問題を伊藤詩織氏が扱っていることが、問題をさらに難しくしている。

伊藤氏の映画案件で、なにやら仲間うちでの「傷ついた」合戦のご様子でもあり…先行きは非常に不透明。

 

④社会の「ジェンダーギャップ」や「ケア労働の不均衡」を強調する系の情況

なぜ③の次に⑤に飛ぶ?と思われた方もいただろう。

そうだ、残るは④だ。この領域は、まあ無傷っちゃ無傷です。

なにせ、ヒロインがいない(まあ、犇めきあう(ひしめきあう)くらい多いともいえるが)のと「立ち回りと屁理屈がうまい」のもポイントであろう。

出てきては批判を浴びるのは、せいぜい上野千鶴子先生くらいのもので、他の「女性リーダーたち」は、キラキライベントに出たりはするものの、ネット上の抗争に顔を出すことも名前が上がることも少ない。

大衆の見えないところでどういうことをやっていたのかは不明だが、こと、女性ジャーナリストたちは、女性社会起業家やジェンダー学者と連帯する形で、案外動いていた可能性はある。

だが、無傷ではいられないかもしれない。海の向こうの米国でトランプ政権が誕生し、USAIDの腐敗問題が取りざたされるようになり、ちょっと話は違ってきそうである。

本邦に「社会起業」を持ち込んだ1人とされる、渡邊奈々氏(アショカジャパン代表)は、前述の「薔薇棘勉強会」の始まりにもかかわっていたようであるし、

そのアショカジャパンのWebサイトのトップページには、やはり本邦の「社会起業」の第一人者である鈴木寛氏のメッセージが載っている。

ああ、「フローレンス」と違って、あまり取り上げられない「カタリバ」については、私が去年掘り返した記事があったっけw。

 
「アショカ」の話に戻ると

民主党政権時には鳩山由紀夫が、この「アショカ」の創設者であるビル・ドレイトン氏を囲んでの総理懇談会(「新しい公共」円卓会議関係)を首相官邸で開いているようだ…。


で…,USAIDとアショカの関係調べてみたら…。
南米向けの資金の入り口として、さっくりでてきた。

なんか「グローバルな女性リーダー」よりも手前に、「グローバルな理想」があって「グローバル女性リーダー」は、そのための駒でしかないような気してしまうのは気のせいだろうか?

グローバル女性リーダーたちや、グローバルな女性ジャーナリストたちは、いま何を考えているだろう?



お読みいただきありがとうございます。


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