いじめ案件での「相互謝罪・仲直りの強制」はなぜ起こる?
大分地裁でのある裁判の判決から
大分地裁で、いじめによって私立高校からの自主退学を余儀なくされた女子生徒が、学校と教員を相手取って起こした訴訟の判決が出たそうだ。
このポストの引用ツイート、非常に興味深いものが並んでいるのだが、ちょっとそれは脇において、ソースを辿るとNHKのニュースがでてきた。
このニュースのミソは、バランスの悪い「謝罪の会」で、相互謝罪させてナカッタコトにしようとした教員側のやり方に対して「原告側に損害を与えた」という司法判断が下ったということ。
大分でこの判決がでたのは、なかなか画期的なことだったように思う。
なにせ大分県といえば、日教組王国ともいわれるくらい、教員組合が強いお土地柄である。
一応、学校側代理人のコメントも注目しておきたい。
被告が控訴するかどうかはまだ明らかにされてはいないが、控訴の可能性もあるといった感じのコメントである。
また、共同通信による報道では、教員個人の賠償責任も認めたと報じられている。
なぜ学校教員は、「仲直りの会」や「相互謝罪」に持ち込みたがるのか?
いじめ案件で喧嘩両成敗的に謝罪の会やら仲直りの会に持ち込もうとする案件は、少なくない。
かくいう私も、遠い昔、小学生の時分にそういった動きを食らったことがある。(私の場合、一回だけは応じたが、案の定悪化w。以降は「バランスが悪い!」で教師の提案段階で断固拒否した)。
多対一の「いじめ案件」において、この手の「痛み分け」的な解決の仕方は、事態を悪化させることはあっても解決に向かうことはないだろう。
「謝ったからヨシ!」の無法状態をつくってしまいかねないのに、なぜそういう方向に向かうのか?
「事なかれ主義」とか「拙速に解決をしたがる」とかいう批判が並び、「もっと生徒に寄りそった解決を」という定番の言葉が並ぶことになるが、もうちょっと根が深いように思う。
「討論イベントや仲直りイベントを行うこと」の価値が膨張している可能性を考えてもいいのかもしれない。
1960年代にさかのぼろう
1960~70年台頃というのは「文部省が推奨する教育」vs「教組が推奨する集団主義的教育」という構図があったんだよね。 制度づくりという面では文科省が優位に立っていたが、現場の方法論としては教組方式が優勢になっていった時代。
労組の派手な闘争が下火になった頃から、教組の組織率は徐々に下がったが、生活指導の理論は現在に至るまで生き伸びている。
集団主義教育は、本邦では1950年代末頃から普及をはじめ、1960年代に理論と方法論が整備され、1970年代にはマニュアルが整備されて普及…してしまった。
一世を風靡したマニュアルが「学級集団づくり入門第二版」である。
教員しか対象としない本なのに、38刷を数える大ベストセラー。
この本をベースにした関連の本も多数出ている。
2024年3月現在、古書の値がえらく上がっているが…国会図書館でデジタル公開されているので国会図書館の利用者登録さえすればオンラインで読めるので心配はいらない。↓
※全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」は、「エヒメ集団教育研究会」という民間教育団体(同団体は勤評闘争後に消滅)が作った「集団教育への道(ほぼ田川精三の手によるものと思われる)」をベースにして、指導スタイルや指導テクニックをブラッシュアップして出来上がったものである。初期作は一見すると、米国のS.R.スラヴソンの「創造的集団教育」のような構成であるが、中味はというと革命戦士養成を旨とした、ラーゲリ(ソ連の捕虜収容所)の集団教育のシステムに近い。
学級集団づくり入門第二版という生活指導マニュアル
この本によると
「問題のない学級:一見おとなしく、教師に対しても協調的な学級」 というのは 「自らの危機を認識する力量に欠けているorその力量を発揮する機会を見いだせていない」 とされる。
つまり、教師はその掘り起しをせにゃいかん…ってなことになってるわけだ。 私などは大きなお世話であると思ってしまうのだが、 ない問題を掘り起こすのが教育的指導であれば、いじめが発生しても、教師にとっては
「掘り起こすことなく問題が発生してラッキー」
だし
「討議に結び付ければオールオッケー」
ということにもなる。
さて、ここで「全生研方式」での教員の達成感に目を向けてみる。
「問題が起こりやすい班編成」→ちゃんと指導している
「問題が起こる」→指導の目標達成
「糾弾合戦起きた」→集団の力を教えることができた
「決議に従うクラスになった」→自治的集団を作れた
非常に達成感を獲得しやすいシステムだ。
「フェアであること」を捨てて、集団主義教育に帰依すればいい。
運悪く、外部からやり玉にあげられることさえなければ、完璧な「民主的で自治的なすばらしい教員」でいられるシステムである。
(ヒエラルキー下層の場合は内部的には自己批判をもとめられたりはするようだが…)
煙幕も用意され…
一昔前なら、SNSもなく、外部からやり玉にあげられたときに煙に巻く、煙幕システムも機能していた。
教育学者や教育評論家が、長年かかって教育ぬるぬる話法を作ってきた。何をおいても「教員を守る」ための循環レトリックである。
どんなアンフェアな「実践」でも、批判は全部切り抜けられる。
ちなみに「全生研方式」の学級集団づくりのテクニックは、だまし討ち的なアンフェアなものが多数転がっている。
「突然キレだす教師」という謎の現象にテンプレがあったという話↓
こういった「(人民)民主的で自治的な教員文化」が、あちらこちらで「フェアネスの欠落」や「モラルハザード」を招いているように私には思える。
討議や話し合い(最近は”対話”もかも)の「聖化」によって守られるのは、教育学者と一部の実践家教員だけである。
戦後学校の現実の上では「民間教育運動」に端を発した「集団主義教育」が大きな影を落としているが、教育学者はそこには決して触れようとはしない。
ここまで見事にスルーしているとある意味すがすがしくもあるが、「悪いことはすべて文部省か自民党のせい」では、そろそろ済まなくなっているように思う。
教員の「いじめ放置」や「仲直り強制」に心理的インセンティブを与えかねない教育学の態勢こそが、問題のような気がしてならない。