マスメディアの劣化はなぜ止まらない?―2024衆院選開票速報からメディア史をひもとく―
そもそもマスメディアが世論誘導をやるのは、ここ数十年見てきてずっとあったとしか言いようがない。
ただまあ、昔は、非常に目立たないようにやってたんですよ…。暗示的なものにすぎず、個別にそうだとは言い切れないものだった。
しかし、2024総選挙の開票速報はひどすぎた。
https://x.com/X9jZhBcV/status/1850497045846794461
https://x.com/creoless/status/1850509050787844469
自民党の派閥抗争から?
2024年秋の自民党総裁選、壮絶なデッドヒートから、石破茂が自民党総裁に選ばれ、令和6年10月1日石破内閣が誕生した。
なぜか野党には石破茂が総理になったことは受けが良かった。
が、組閣直後の官邸写真が「だらし内閣」と言われるなど、SNSで茶化すされるという、散々なスタート。
まあともかくも、この内閣で持つのか?という閣僚人事には従来の自民党支持層からも不安の声が上がる。
そんななか、首相官邸のXアカウントでがやらかす。
首相官邸の中の人が変わったのか…それにしても、敬語の使い方に関する違和感であっという間に炎上、「適正化」という修正版を出す。
そして、解散総選挙…
まあ、自民党総裁選後、石破氏は総理にもならぬ9月のうちから解散話を出していたあたり、不穏な動きではあったのだが、
自民党の公認問題に、党内で既に決着がついていたはずの、不記載問題が持ち出され、12人の候補者が非公認になるという。
どうみても粛清。
派閥抗争もいいかげんにしろ…という大衆の声は石破氏には聞こえなかったようだ。
そして選挙戦が開始したのであるが
萩生田光一氏が立候補した東京24区(八王子近辺)は特に注目だった。同選挙区から、出馬した立憲民主党の有田芳生陣営はと萩生田氏と統一教会の結びつきを印象付ける戦術だった模様だが、ここで追い風が吹く?。
赤旗の「裏金スクープ」から始まった話にマスコミが飛びついたのは言うまでもない。
萩生田氏はこの報道に対し反論している。
結果としては萩生田氏が選挙区で当選、有田氏は比例復活…なのだが、このスクープ自体、どうやって出てきたんだ?の疑惑は消えないままだ。
開票特番での裏金マークの乱発
殆ど悪ノリ
不記載問題の発覚した野党の候補者には「裏金マーク」がない。
もちろん、過去を引っ張り出す人は当然出てくる。
陸山会事件ってのが、あってだね。
立憲民主党の小沢一郎氏の資金管理団体に関する疑惑。
一応裁判で片づいてはいるが。規模がデカい!
さて、裏金マークっていったいなんだ?
とりあえず、基準がないことはほぼ明らかだろう。
となれば、マスメディアの悪質な印象操作ではないか?という疑惑が持ち上がってくるのは当然だろう。
マスメディアの印象操作について、不愉快に思っている人はそれなりにいるようだ。のば
情報媒体は「啓蒙欲」を掻き立てるのか?
印象操作的なものがメディアに紛れ込む…というのは、情報を伝える媒体である以上、ある意味仕方がない部分がある。
だからこそ、限られた電波というそれが公共リソースを利用する媒体であるテレビやラジオでは放送法で、「政治的中立」が放送事業者に対して要求されている。
ところがどっこい、それはしばしば無視されてきた。
椿事件を知っているかい?
1993総選挙前における、朝日放送(テレビ朝日)による、偏向報道疑惑である。日本民間放送連盟の会合であったとされる椿貞良氏の発言に端を発した問題。
簡単にいえば非自民政権誕生のために…偏向報道した疑惑である。
国会で証人喚問等が行われるも、テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏は、指示にについては一貫して否定し、処分は見送られた。
そして、逆に「政治の放送への介入によって放送事業者が委縮する」といった意見もでる始末。
ここで「テレビのやりたい放題」の契機となったと考えることもできる。
それ以前から…偏向は当たり前だった?
とはいえ、放送番組の偏向なんぞ、もっと昔からあったように思うのだ。
ニュース番組ではさすがに控えめではあったが、ニュース解説系の番組はしばしばお気持ちが漏れ出していたし、「このニュース、報道する価値あるの?」というのは1970年台後半からしばしば感じていた。
管理主義教育と麹町中内申書事件
世田谷区長の保坂展人氏の若かりし頃の闘いだが…リアルタイムで報道見てたけど、一審判決時の報道も、なんでテレビニュースになっているのかわからんものだった。殆ど保守・文部省叩きだったろ、これ…。
管理主義教育批判につながるのが意味不明だった。
(管理主義教育ってなに?という疑問を若かりし頃のワシが持ったきっかけなのでよく覚えている。結論からいえば管理主義教育などというものは、存在しない。叩くために使っていた用語である)
その記録本が国会図書館でデジタル公開されているので紹介しておこう。
内申書裁判を支える会のに並んだ人を見るに、日教組シンパの学者や文化人の山…。
下記にも一審判決時の報道のバカ騒ぎが載っている。
NHKを見てみると、一審判決時に「ニュース解説」をやっている記録がある。…ということは、全国ニュースで流れてますよ。
そんなに意味のあることだったんかい?
1982年、二審についても何かとりあげているようだ。
結局最高裁では原告敗訴になってる。
しかしマスメディアの報道の、教育行政への影響は見逃せないものがある。
この報道から「管理教育批判」という謎の文脈が発生したことは間違いないだろう。
教育に関する報道の不思議さ
元々教育方面は報道統制が行き届いていたようで…。右翼が街宣車をならべたりする日教組大会などは報道されはするが、日教組の問題についてなどは、テレビでは殆ど報道されてこなかった。
NHK教育テレビで年に
新聞でも、産経が70年台にやった以外はろくにふれられていなかった。
教育に関する報道の多くは保守批判、自民党批判の文脈でばかりながれてきた。1980年前後の校内暴力や、いじめ、登校拒否関連については「子ども達が変わった」の文脈に押し込められた。そして、出てきた謎ワードが「管理(主義)教育」という文言である。
私は1964年で、ドンピシャその時代に中高生時代だったので、私の友人にもカバンつぶしたり夜遊びしているツッパリとか…いましたけどねえ…。
教員にとってみれば「教育現場の荒廃」だったのかもしれないが、児童生徒にとってみれば「そりゃあ、反発するわ」ってだけの話でした。
戦後に日教組の実践教員と教員向けの出版・メディアが、嬉々として現場に持ち込んだ「集団づくり生活指導」が内包する矛盾そのものが、彼らを反発させていた部分は大きいかと思います。
下記の下線部「サークルをそだてて」は、部活動など生徒の活動ではなく、日教組教研運動でご推奨されていた「教員サークル」であると思われる。
家本芳郎氏は神奈川県生活指導研究協議会横須賀サークルを率いていた人であるし、小堀信夫氏は障害児教育畑の人。
日教組傘下の教研サークルの「生活指導」をNHKが全国放送でひろめていた…。これではその後に教育関係でまともな報道ができるわけがないだろう。
放送・視聴覚教育と啓蒙趣味と教育心理学
ラジオが普及したあたりから、放送を教育に使おうといいう考えを持つ人がいたようだ。
その先駆けとなったのは西本三十二氏という、戦前戦中と日本放送協会の局員だった学者である模様。(波多野完治、高桑康雄による記述から)
この西本氏、戦後視聴覚教育に大きく影響を与えることになるのだが、
基本、学者上がりで、デューイの弟子のキルパトリックの弟子なので、デューイ路線ではある。
そして、心理学者の中にも、戦後の放送・視聴覚教育に大きく係わった学者がいる。
波多野完治氏だ。
どうみても…メディアを通しての大衆啓蒙や、影響力行使に非常な関心があったご様子。
さらに、行政に関わって運動を広げるのもお好きであったらしい。
どうやら日華事変後の、内務省警保局による言論統制の一部を構成する「児童文学運動」の首謀者のお一人であられた模様。
リベラリストの皮をかぶってはいるが、世論操作する気満々の人であろう。
ここでは、主題である「マスコミの偏向」からそれるのでここは軽く触れるにとどめるが、信念をもって啓蒙という名の言論弾圧に邁進された方だろう。
波多野氏のような進歩的文化人が、戦後の視聴覚教育、NHK教育テレビ、テレビという媒体の心理効果の研究にも大きく係わってきた。
中立もへったくれもないわけである。
「ジャーナリズム」の勃興から
日本では、江戸時代に既に「瓦版」という印刷によるメディアがあったことは知られている。
瓦版は、時事的な話題と噂話やゴシップ的な話題とが混在していたようである。
明治期に入り、それが急速に活字印刷による「新聞」に変わっていった。
書きものは「記事」と呼ばれるようになり、ネタをあつめて文章にする者は「記者」になった。
羽織ゴロという言葉から
「羽織ゴロ」というのは、元々は立派な身なりをしてゴロツキのようなことをやるといった意味で使われていたが、その後「文士」や「記者」に対する蔑称となっていく。
変化をちょっと調べていくと、
どうやら明治末頃だと「羽織ゴロ」というのは、新聞記者の別名というわけではなかったようだ。
塩水選種法の開発者、横井時敬先生の明治44年の「社会のアブラムシ虫批判がなかなか興味深かった。
※蚜:アブラムシのこと
まあ、私利私欲のために知識や文筆のチカラを用い、他人のフトコロからこっそり財をかすめとろうという不届きな輩とその媒介者…といったところだろうか。
明治44年のといえば「普通選挙法」が可決された年であり、その後大正デモクラシーへと、日本はなだれ込んでいく。つまり大正デモクラシー前夜といった時期である。
石川啄木に関する昭和初期の記述
婦人公論に掲載されたものの抜粋(補足も?)
文章の態様(スタイル)が、物語調であるため、どこまでが実際の石川啄木の姿で、どこまでが著者の想像する啄木像であったかははこの文章だけでは区別がつかない。
ともあれ、高橋康文氏は「新聞記者」が荒んで、ゴロツキ同様の不埒な行為をするようになった者を「羽織ゴロ」に含めていたことだけは言えそうだ。
高橋康文氏というのは、こういう方であった模様。
盛岡高等農林学校教授でかつ随筆家としてご活躍されていたようだ。
下記は書籍末尾についている広告である。
石川啄木(1986-1912)は、多くの短歌を残した歌人であったが、本人の実態はというと、歌われた世界とはかなり違う怪しさがあったようであるので、「文人」と「羽織ゴロ」の区別も、後にその姿を描く者、それを取り上げる者の胸先三寸といったところだろうか。
普選法開始後、人々が世の中で起こった物事を知るためのメディアとして「新聞」は必要とされたものの、「新聞記者」というのは、戦前は、さほど上等な職業だとは思われていなかった…というところかもしれない。
まあ、戦前戦中と、新聞が大衆を煽り倒したことは…記録に残ってはいる。
戦後教育とジャーナリズム
ところが、戦後になるとちょっと様相が変わってくる。
いつの間にか「新聞社」の地位が上がり「新聞記事」というだけで「信用できるもの」というラベリングがされるようになる。
誰によって?
そう、学校の先生である。
「新聞」という、形式それ自体が学校教育の指導の素材にされていったのは、戦前である。
ホンモノの「新聞」にならった「学級新聞づくり」は、大正教育運動や、綴り方教育運動とともに、一部の熱心な教員によって指導に取り込まれていく。
黒板の一部を使ったり、ガリ版印刷を用いたり…といった形であったようである。
戦後になると、こういった①綴り方系統の「表現指導」以外にも流れが生まれる。
②社会科に関連して「時事的な問題に関心をもたせるための素材」として、新聞が注目されることになる。
さらに③「読む力をつけるための手近な素材」として新聞を読むことが推奨されたりもする。
そして、1960年台になると、
④集団主義教育に傾倒した教師によって「新聞・文集づくり」に、生活指導の一環としての、反権力的な学級世論形成を期待する論が展開される。
目的は「学級集団づくり」であり、それは日教組教研運動において「特設道徳」に代わる秩序形成を目的として広まった謎の運動である。
日教組反主流派に属していた運動であり、共産党支持者が多かったものと思われる。
なかなかえげつない。
まあ、簡単にいえば、他班のアラ捜しをしろというものである。
本当にえげつない。
火のないところに煙を立てるやりかた…
班替えで班長を選出する場合には「学級新聞」をアジビラとした工作をするようである(↓)。内容はといえば推測に推測を重ねて煽る…というものだったり、「疑念」として問題を捏造するといった形もあるようだ。
まさに、最近のマスメディアのやり方そのままではないか?
ここまでエゲツないやりかたが「指導」として出回っていくのに驚く。
えげつない「班競争」は、その後、多少の批判もあったことから下火になったようではあるが、こういった方法論は、1980年台までは、ふつうに出回っていた。
「正しい思想に基づいた正しい世論づくり」という大義名分があれば、エゲツないことをやっても許される…ということだけを表面的に学習してしまった子が、文章を書ける層のなかに発生してしまっていた可能性は否めない。
(引用した部分は、埼玉県浦和市の小学校で長年教員をやっていた大畑佳司氏が書いたもの。全国生活指導研究協議会の中でも多くの著書を書いている人である)
「情報需要」ほどに「被啓蒙需要」はないという、マスメディアに都合の悪い事実
もともと人間は好奇心が旺盛である。そしてその人間が作った社会は、それゆえに複雑化している。
関係する社会の範囲が広がるにつれ、それなりに知識需要・情報需要はある。
しかし初っ端から「本当の正しいあり方」などを啓蒙されたい人はそう多くはないだろう。
困難にぶち当たり「解決策」や「救われる手段」を求めていくうちに、「世の中の★★こそが良くない、それを知って国民は変わるべき」というイデオロギーに傾倒し、他人様を「啓蒙」したくなる人は、昔からいるんだろうとは思うが、「啓蒙したい人」が満足するほどの「啓蒙されたい人」というのは、昔からそれほど多くなかったのではないだろうか?
新聞、ラジオ、テレビといった今のマスメディアは、長きにわたって「情報」流通の先端であり、「伝える技術」の最先端にもいた。
また、おそらくこれは敗戦やその後の冷戦の影響もあろうが、ジャーナリストの使命感が、「世論づくり」方向に肥大化するような日教組教育も蔓延した。
そのため、
情報需要>>>>>>被啓蒙需要
ということを見失い、「確度の高い事実報道」という己が社会的役割を忘れ、反権力の「啓蒙趣味」に奔ってしまったのではないだろうか。
バブル期には、多少「脱・羽織ゴロ」に成功したかにみえた報道界隈であったが、研究と教育の下支えで、結局は「羽織ゴロ」というアブラムシが増殖したのかもしれない。
マスメディアが「学級新聞」から脱する日は果たして来るのだろうか。
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