孤独っていう嗜好品をたしなむ程度に味わう。そしてあたため合う。
高校生くらいから20代半ばくらいまで、わたしは心と体がとっても軟弱だった。
過呼吸、パニック障害、自律神経失調症、月経困難症、突発性難聴などなど。
当時は名前ついてなかったり、一般的に知られてなかったりで、全部「神経質なんだね」で片付けられていたから、自分は弱い人だと思っていた。
そのせいで、いちばん楽しいと言われている時期を謳歌できなかったわけなんだけど、唯一それでよかったなーって思うことがある。それは娘たちのいろんな不調を理解できること。
なんなら、娘たちのために、ひととおりの不調を先に体験しといたって思ったら、無駄ではなかった!とか思う。
それでね、こないだ朝の情報番組を見ていたら、「孤独との向き合い方」っていうのをやっていて、なんていうかもう、そんなのできたら苦労しないよ!ってことばっかり言ってて、ちょっと呆れてたんです。
もしこれを、孤独感を克服しようと真剣に観ていたら、できない自分を責めちゃったりしないかなとか、これを観た誰かが誰かにアドバイスするのに使ったら、傷つけちゃうんじゃないかなとか、考えてしまったり。
それで、なんと、死亡率が、孤独を感じてるひとと感じてないひとでは、タバコを吸うか吸わないかくらいの差があるとか言ってたんです。
なにそれ。脅迫?
タバコをやめるみたいに、孤独を感じるのやめるなんてことできるのかな?できないよね。
でも、わたしは、孤独を感じないひとになんてなりたくないって思った。
だって、孤独感も知らないひとは、誰にも寄り添えないだろうから。
世界中でひとりぼっちだって思う夜もあったり、誰もわたしに興味ないんだなって消えたくなることもあるし、小さなことで今まで表だったカードが全部裏返しになったみたいに思っちゃうときもある。
だけどその分、そんなみんなに寄り添える。大丈夫。わたしも同じ。ひとりとひとりでふたりじゃん?って言える。
ネガティブ上等だわ。
なんでもかんでも、明るいほうがいいわけじゃないし、健康ならいいわけじゃないし、前向いてりゃいいわけじゃないよね。
好きなひとには笑っててほしいって思うのも、ほんとはエゴなんだろうけど、それはやっぱり思っちゃうかな。
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