象さんの周波数。〜「ぱちもん」のこと〜
わたしの記事を最初から全部読んでくれて、そのほとんどにコメントをくれて、わたしもそう!おんなじ!そういう時ある!って、わたしの全部を肯定してくれて、そして、あっという間に、noteから消えてしまったひとがいる。
あまりにもわたしと考えることが似ていて、今まで誰とも共有できなかった気持ちを、いとも簡単に、そりゃそうだよってわかってくれたひと。
わたしたちは双子だね。探してなかったけど、生き別れた双子の片割れを見つけたんだね。って言いあって、おんなじ名前で呼びあった。
今悩んでることも同じことだった。だから分け合った。心強かった。
似ている、そっくりだって、確認してるときは、すごく楽しかった。やっぱり?そうだよね!そういうときそれ言って欲しかったんだよねって。
それはたぶん、顔も本名も年齢も知らない相手だから、「違う人」として接していたから。「似てる」「同じ」を発見するのが嬉しかったんだと思う。
でもいつのまにか、「同じ人」と思い合うようになってしまって、そうすると、違うところや理解できないところばかりを見つけるようになった。
ささいなことも、わかってもらえないのは寂しかったし、理解してあげられないことにも苛立った。質問をし続けて、答え続けて、気がついたら、傷つけあっていた。
わたしが書いたこの記事に、彼女がくれたコメントがとてもとても好きだった。
noteから消えてしまったひとがくれたコメントは、同じく消えてしまうから、もうそれは読めない。
森翼さんの「ぱちもん」という歌の、
そうです ぼくは にせものです
なのに 選んでくれて どうもありがとう
っていうところで、わたしはいつも泣いてしまう。理由はわからないけど、なんか、泣いてしまう。って書いた。
(偽物という字は)人の為って書くんだよ だったら偽物だってかまわないかな
って歌詞がある。
「為」という漢字は、もともと「象」からできている。だから象さんにしか聴こえない周波数で届くなにかがあって、そのなにかを受け取れるひとだから、泣いてしまうんだと思う。
そんな言葉だった。なんか、わたしが、思い出して書くと、あんまり素敵じゃないな。すごく素敵なコメントだったんだけどな。
象さんの周波数。それが聴こえるわたしたち。
そんな気持ちを込めて、ヘッダーに、向き合ってる象を刺繍した。
🦣
しばらく連絡してなくて、話しづらいから、CDを送りました。
「ぱちもん」。この歌も好きになってくれた彼女に。愛をこめて。