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偉そうに言ってみる

どんな仕事でも、悩みや困難はつきもの。

日本語教師になりたての頃は、学生との“距離感”で悩んだ時期がありまして。

対学生とはいえ、人間関係ですから、悩むこと、あるんですよねぇ。

新米の私が、あるクラスの担任になった時のことでした。

学期が始まった数週間後に、学生達が求めてくる“距離感”に違和感を感じ始めたんです。

学生達、
先生、連絡先教えてください!
電話で会話の練習相手になってください!
休みの日に〇〇へ行くので、一緒に行ってくれませんか?
という感じで、何でもかんでも助けを求めてくるんです。
しかもプライベートな時間に。

いやいや、私ボランティアじゃないんだから、プライベートまで仕事したくないよ。

そう思い断り続けていると、数名の学生達が、あからさまに私に対して不満な態度をするようになってきまして。

いやいや、やり方は教える、でもはそこまではできないとなだめていると、〇〇先生はやってくれたもん、と。

話を聞いてみると、前担任は休日まで色々とプライベートのケアをしてあげていたそうで、学生達にとってもそれが当たり前になっていた模様。

甘すぎ、、じゃないですか。

手伝ってあげることを否定するつもりはないけども。

ただ、学生達にとって、教師はいつまでもいる存在じゃない。
日本語も、日本での生活も、自分一人でできるようにならないといけないし。

それを外国人である彼らに教えるのが、私達日本語教師の役目だと思うんですが。

実は、この職業をし始めて、過保護な教師の多さにかなり驚いたんですが、、私だけかなぁ。

失礼ですが、それって結局、自己満だとしか思えないんです。
求められることで満たされているというか。

このような教師ばかりだと、学生はいつまでたっても自立できないような。
こういう教師にかぎって、注意すべきところ、怒るべきところは他人任せだったりして。

日本語教師のゴールは、彼らにとって要らない存在になること、じゃないのかなぁ。

ひよっこのくせに、いっちょまえですが、これは変えずにやっていきたいのです。

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