働きたくない人たちの城①
このままでは人生積む。
こんなはずではなかった。
最近よく聞く「自分の人生は自分で決めないと後悔する」というセリフ。
確かにその通りだった。
後悔だったそれは澱のように底に沈み、やがて恨みに熟成する。
悪気なく、無邪気に、強引にレールの上を歩かせた人を恨んでいる自分がいる。
最終的にレールの上を歩くことを決めたのは自分だけれど、
子供の頃の柔らかなコンクリートのような自我に洗脳という刻印を刻み付けられたら歯向かうなど到底考えられなかった。
喜ばせたいと思う気持ちを優先したのは自分だと言われたらそれまでだけど、世の中には、そういうあやつり人形的に育成された事情を抱えている人間だっているのだ。
たぶん、思っているより沢山いる。
「これが一番いいから」「絶対間違いないから」
相手は、自分が歩んできた道が間違いないと信じたくて、そんな風にすすめてくる。そして、それが結果的に間違いだったとしても責任を取ることはないのだ。
現に今、私がこの有様にあっても、じつに他人ごとのような涼しい顔をしている。乗り越えるのは貴方の仕事ですよね、という感じで。
自分たちは年金をもとに悠々自適な生活を送れているのだ。
「私たちは十分頑張ってきたのだからいいじゃない」というのだが、
そのしわ寄せが我々世代に降りかかっていることを意識はしない。
今の会社の将来に不安を覚え、辞めたいと相談した時も
「この業界なら安定しているから。絶対に潰れないから」と絶対に許さない姿勢を崩さなかったが、世の中はこの通りだ。
会社は案の定、傾きかけている。
私がいま直面しているのは、そんな会社での問題である。
経営センスのない経営陣と揶揄されても仕方がないような事態が巻き起こっている。
まず予算未達にあたり、体裁の悪い人員削減を免れるべく、大規模な組織改正を実施した。
ただ、あまりに強引で実態を無視した組織編制と人事異動に、将来性のある人材が絶望し、頑張ってきた人が失望し、貴重な中堅世代がごっそり退職に至ってしまった。
まさに人の気持ちを考えないこと山のごとしだと思うのだが、
この事態に対して出てきた経営層の言葉が
「なんでか、みんな辞めちゃうんだよね」
そんな当社のグループの掲げるモットーは「人を大切にする企業」なのだから、まったく笑えない。
そんな動きの中、私のいた部門も吸収解散となり、私はある部門へ異動を言い渡された。
その部門は、少し前までは、いわゆる「窓際」と捉えられてもおかしくない部門であった。
しかし近年の風潮で、否が応でも強化していかなければならない業務にあり、ただ椅子に座っていればいいだけの時代は昔の話になっている。
また、経営層に密接した業務であるうえに、社内業務全体を監視の上で提言を行うような部門であったため、それなりの経験と知識と良識が求められるような部門である。
お堅そうである。
規則は犯罪にならないならばある程度やぶってヨシと思っている私に合うわけがない。
超行きたくなかった。
あまりに嫌すぎて、辞令の後、人事に思わず直談判するくらいには抵抗した。
人事はどうしても私を異動させたいという考えがあるようで、ふにゃふにゃと適当なことを言いながらもう全く取り合わないという体裁だったのだが、
抗議を重ねる私に対して、閉口し、さも素晴らしい待遇であるかのように、ふと言ったのだ。
「この経験を2~3年こなしてもらってから、経営層の道を考えている」
嘘つきやがれ。
この会社でそんな口約束が果たされると思っていると見くびられていることに憤慨したし、そんなものは不要であると抵抗したが、暖簾に腕押し。
とりあえずいったんは異動しないと話にならないようだった。
後から思えば人事が役員待遇のウソを持ち出して人を入れなければならないほどに逼迫した状況だったのだ。
それは単なる全社的な人材不足というだけの理由ではなかった。
異動してすぐにその真意が分かった。
異動先の部署は、とんでもない有様だったのだ。