考えると、意外とやりたいことがないことに気づく【公開文通│ セコ→ヒデ③】
いやはや時間が流れるのは早い。忙しいという実感はないが、日々のすべきことをこなしていたら疲れて寝落ちし明日を迎える、その繰り返しでいつもと変わらぬように1週間を積み重ねている。
新しい人と出会う。新しいことをする。新しい場所に行く。そんな「新しい」ことを積極的にしていない。でも日常の中での試行錯誤はしているつもりで、福祉としての、農業としての、組織としての「土台づくり」に力を入れている。
さて、ヒデさんへの公開文通は3巡目。義務的ではなく自然に楽しく書けている。おそらく相手のためでもあり自分のためでもあるからだろう。
▼楽しいことってなんだろうか?
「趣味ってなんですか?」 この質問への回答って意外と難しい。趣味、好きなこと、はまっていること。うーん、何だろうかと考えてようやく出た答えが「ギターを弾くこと」。と言っても、思い立った時に手に取り適当に弾くだけで目的を持ち取り組んでいないので趣味の範疇ではないかもしれない。
では楽しいことって何だろうか。これは僕の特技かもしれないが、何をするにしても楽しんじゃう。困難が待ち受けたとしても、失敗をしてしまったとしても、遊びや仕事と区切らずに人生楽しんだもん勝ちって思っちゃう。「テッテレー」と音楽がなるようなレベルアップだったりミッションクリアだったり日常の中のそういう達成感を得るプロセスを楽しんでいる。
▼やりたいことがあふれているって素敵なこと
やりたいことがありすぎるヒデさん。反対に、僕は意外にもやりたいことは思いつかないし、あまりないのかもしれない。障害福祉に関わり続けようと思ったのは「怒り」だったし、就労支援をしようと思ったのは「悔しさ」だったし、感情を揺さぶられたときに「これをしよう」と舵を切るのであり、やりたいからするのではなく、怒りや悔しさをなくすために「これをする」と思いを強めている。
こういう風に生きたいだとかこんな働き方をしたいだとか「こうありたい」のBeは持っているが、「これがしたい」のWhatは持っていない。
でも、いまふと思ったのは、ヒデさんと一緒にお店をしたりブランドを展開したりモノをつくったりができたら面白いなあと。テイクアウトのお茶屋さんとかゆるいデザインのTシャツとか本を書くと、本業とはまた別にマネタイズもでき、かつオモシロい何か。文字に起こしたら、この思いがさらに増幅されている。
この公開文通を通し、共同プロジェクトの種が蒔かれ、形になっていくのであれば、そんな幸せなことないんじゃないかな。いま、僕がやりたいことが、この瞬間、生まれました。ヒデさんの返事が楽しみ。
福祉の線引きを薄めるために、福祉の中で遊んでいます。特に障害をお持ちの方と一緒に。みなさまのサポートはそれらの遊びに活用します。