祖母は年賀状をやめることができない。
親戚より、突然のsmsがとどいた。
年賀状を書きたいから、住所を教えてほしいとのことだった。
なにこのオレオレ詐欺みたいな感じ!と、ぜんぜん手口が違うけれど、なぜかオレオレ詐欺がぱっと頭に浮かんだ。
連絡先を確認し、本人であることもわかったので、住所を送った。
すると、返信に
「結婚したし、なにかあったときには集まる方々にお年賀くらいご挨拶しないとと思う今日この頃です!」
と。
わたしより5歳年下、きちんとしている‥!
おととしの彼女の結婚式に呼んでいただき、両親と参加したが、それまで会う機会は10年以上なかった。
年賀状は、よい面がたくさんありながらも、かなりセンシティブなものであると私は考えている。
なかなかこどもに恵まれない友人は、こどもが写った写真入りの年賀状は、なかなか心から喜べないと言っていた。
好きだった彼氏と別れた友人は、友人の結婚報告を兼ねた年賀状を見ると涙が出てくると言っていた。
賃貸の家に住む友人は、マイホーム購入を兼ねた年賀状を見ると、切ない気持ちになると言っていた。
こんな経験もあり、わたしは年賀状に大変悲観的で、自分が出した年賀状で、1人でもなにか思うところがある人がいるなら、出さない方がましであると思っている。
自身が結婚した翌年の年賀状(もちろん写真なし、式へ出席していただいた方々への御礼状代わり)を除いて、いただいたら返信するスタイルを貫いている。
となると、年賀状の存在意義とは、いったい何なのか。
ただの自己満足なのではないかという結論に達しそうであったのだが、わたしの祖母を思い出した。
実家では毎年父が、祖母の代わりに年賀状を作成している。
祖父はとうの昔に亡くなっているため、祖母一人が差出人だ。
92歳で口は達者だが、100枚近くある年賀状一枚一枚にコメントをいれることも難しく、ただプリンタで両面印刷された年賀状をポストに投函するだけである。
はっきり言って意味がないと思った。
伝えたいこともなければ写真もなく、自慢したいことがあるわけでもなく、、受け取った人々にも、形式的なものであることは一目瞭然だ。
と思ったが。
祖母は、年賀状をやめることができないのだとふと気づいた。
毎年届いていた年賀状が来なくなると、受け取っていた人々は、祖母の身になにかあったのでは!?と思うのではないかと‥
本人に言ったら怒られそうだ。←
最初は、結婚したし、きちんとしようと思って出し始めた年賀状かもしれない。
自己満足で出し始めた年賀状かもしれない。
しかし、この歳になると、もう自分から言い出さない限りは年賀状を出し続けなければ、多くの方々に身を案じられることになるし、きちんとしようと決意した親戚は、きちんとし続けるためにこの年賀状ループに身を投げたのだ。
年賀状ループは非常に厄介で、やめ時がわからない。
これからも年賀状は出さない人生を歩んでいく。
(お年玉当選番号の発表の日はカレンダーに登録済)