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【ここに来るまで】 1996年 ニュージーランド赴任記: 20ヶ月の任期を終えた帰国時は二人から三人家族へ
このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育とニュージーランドと出会い、移住し、応用言語学の博士号を取得し、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。
こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。
この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。
1994-1996の2年間は大きな変化の年
公立高校の英語教員になって6年目(1994年)に文部省(当時)と地方自治体が共同で行っている「REX プログラム」(外国語教育日本語指導教員派遣授業)の教員に選抜されました。この時は第5期で全国から22人の教員が選抜されています。
REXプログラムは、公立中学校・高校(一部小学校)の教員を海外の学校に日本語教師として約2年間派遣し、教育・文化の交流を図る事業です。(残念なことに平成25年度の派遣をもって終了)
ニュージーランドへの赴任時は妻と二人でしたが、20ヶ月後の帰国時には生後8ヶ月の長男と三人での帰国となりました。
♦️ 1994年 7月 ニュージーランドの北島のハミルトン市の高校に着任。
♦️ 1995年 7月 長男が誕生
♦️ 1996年 3月 日本に帰国
♦️ 1996年 4月 海外赴任中に置籍となっていた高校に戻り、2年生の担任
生後8ヶ月の赤ちゃんを連れての12時間のフライトは色々と大変でした。特に機内の狭いトイレでオシメを取り替えるのに苦労しました。
20ヶ月の任期だったので、帰国時はすっかりニュージーランドボケの状態でした。しかし、高校2年生の担任を任され、いきなり目がまわる生活が始まりました。
ニュージーランドの先生も忙しいのですが、日本では仕事量も多く、時間の流れも速いことを改めて感じました。子供が目覚める前に出勤し、子供が寝た後に帰宅となって、起きている子供に会えない毎日となり、ニュージーランドのライフスタイルをとても恋しく感じる毎日でした。(つづく)
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