日本美適進化論:フェミニズムとジェンダーの違い
リベラル・フェミニズムという女性の権利を擁護してきた運動は、フランス革命の「人間」であることに「女性」が入っていないことに抗議した女性たちの法的な市民社会への一歩でしたが、時を経て現代では男女平等も基本的には実現し、女性が要求した男性と同権の財産権も私的所有権も参政権も叶いました。法的には整ったように見えても女性の所得が低かったり、幸福度が世界でも最低レベルなのは、経済低迷の長期化による少子高齢化の波と労働力としての社会進出のバランスに挑戦してこなかったことも理由の一つだと思います。無償で行われる私的領域での家事や育児負担をそのままにして、男性を基準とした「社会での平等」を求めた結果、二重負担に苦しむという現状が仕事における所得を獲得できない理由の一つです。パートタイムなど自由な働き方の多様化で専業主婦などが活躍する機会も増えましたが、能力を活かして高収入が得られる仕事は多くありません。
「ジェンダー」は、フェミニズムが進化したものではなく、「文化的・社会的性差」をあらわす言葉として用いられています。1980年以降、生物学や精神分析学の研究により、男女二分法を前提にできないLGBTQなど不可分の関係性が明らかになったからです。社会でさまざまなストレスによりセクシュアリティが誘導・抑圧された結果、多様な非異性愛の存在も認められ、フェミニズム自体がパラダイムシフトした形になりました。1949年ボーヴォワールが「人は女に生まれない、女になるのだ」という、生まれて成長する過程で社会から女性というラベリングをされるという指摘や、地方中心に根強い父家長制のような長子が権力を持つなどの「男女」という性差を社会に当てはめてきたような制度が薄れてくることで、働き方も法の整備だけではない日常的な協力体制が実現できることが望ましいと考えます。