追悼:マラドーナ ドキュメンタリー『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』レビュー再掲
1986年サッカー・ワールドカップ、メキシコ大会でアルゼンチンを優勝に導いたスーパースター、ディエゴ・マラドーナが25日、母国の首都ブエノスアイレス郊外の自宅で死去した。W杯メキシコ大会では準々決勝のイングランドとの試合にて、ドリブルで相手選手5人のディフェンスを振り交わしゴールを決めた「5人抜き」や、ゴール手前、宙に舞ったボールをヘディングと見せかけて左手でボールをたたき込んだ「神の手ゴール」など伝説のプレーを残した。心臓発作により60歳という若さでこの世を去ったこの偉大な選手の死を受け、アルゼンチン政府は3日間、全土で喪に服すことに決めた。
アルゼンチン、ブエノスアイレス郊外のスラム出身ということもあり、1986年のワールドカップ優勝が話題に上るが、彼のナポリ時代をつづった映像ドキュメンタリー『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』がとてもよくできており、以前にレビューを書いたので再掲。ネタバレあります。
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アイルトン・セナやエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画を手がけたアシフ・カバディア監督の作品『Diego Maradona (邦題:ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』がなかなか素晴らしかった。
膨大な資料映像(ほとんどは未公開、すべて合わせると500時間分もあったとか)を元に、マラドーナ本人を含め、フィジオコーチやチームメイト、実姉など彼を取り囲んでいた人物達のナレーションで物語はすすむ。
これから先はネタばれとなります。
アルゼンチン、ブエノスアイレスのスラムで生まれ育ったディエゴは15歳でその能力をみとめられ、ユースチーム入り、初めて自分の部屋を与えられる。5人兄弟の末っ子で初めての男の子ということもあり、ずいぶんママっ子だったようだ。スペインのバルセロナでプロとしてプレーするが、1984年にイタリアのナポリに移籍。チームとしてのナポリは特に成功していたわけでもなく、つねに中堅のチームとして甘んじていた。しかし、マラドーナの加入により、ナポリはイタリアンリーグで次々と勝利をおさめ、ついにはあのユベントスを倒すまでに成長した。この背景には、裕福な北vs貧困の南という、まさにイタリアの経済格差の縮図が顕著に表れているといえる。実際サポーターたちの罵り合いは、人種差別的かつ憎悪ともいえる敵意に満ちたもので、耳をふさぐものがある。ナポリをリーグ優勝まで導いたマラドーナであったが、ナポリを本拠とするマフィア「カモッラ」との癒着、コカイン漬け、女性スキャンダルなど、私生活は転落し始めていた(愛人が男の子を出産し「ディエゴ」と名付けたが、マラドーナは関係を否定していた)。そして、1990年のワールドカップ。もちろんマラドーナは出身国アルゼンチン代表としてプレーするわけだが、準決勝で対戦するのはイタリア。しかも皮肉なことに試合会場となったのが自身のホームグラウンド、ナポリだった。試合前のインタビューで、マラドーナは「ナポリはイタリアではない」つまり、ここではナポリ市民はマラドーナをサポートするべきだと言及。結果はアルゼンチンがイタリアを下し、決勝戦へ。ナポリ市民の反感を買い、それと同時に女性問題や麻薬ドーピングなどもついに明るみに出て、遂にはナポリを追われることに...。
ナポリ移籍後、チームを数々の勝利へ導き、ナポリ市民には「神の子」としての扱いを受けていたが、多くのファンに囲まれもみくちゃにされているマラドーナの表情には恐れととまどいが見て取れる。フットボーラー、マラドーナとしての成功が、15歳で一家の大黒柱とならざるをえなかった純粋かつ無教養だったディエゴを幸せにしたとは限らない。地位と名声を得、成功に甘んじ墜ちていく問題児「マラドーナ」の中に時折見せる、純粋無垢だったサッカー天才児「ディエゴ」。その2つの顔を、浮き彫りにすることで迷走するマラドーナの人生を分かりやすく表現している。
観終わった後、少々消化不良な印象を受けた。事実に基づいたドキュメンタリー映画なので脚色できないのは重々承知なのだが、結局彼は幸せだったのか...?という疑問が残るからだと思う。
ただ、最後にマラドーナが愛人が産んだ息子ディエゴを家に招き入れる映像があるのだが(それは30年も経ってからのことだったが)、ここではやはり私も一人の母親として自分の息子がようやく認められたという安堵感を感じた。
とにかく秘蔵映像を含めたアーカイブは観る価値が十分にあるといえるし、編集だけでなく、構成に関しても非常に完成度の高い作品だといえる。