大ヒット曲『Unbelievable』が30周年のEMF。教えている生徒たちはEMFのことなんて聞いたこともないのに、面談で親たちからサインを求められると、ちょっと変な感じがするね。
『Unbelievable』が30周年を迎えたとのことで、英ガーディアン紙のにジェームスとイアンのインタビューが載っていたので、全訳。
ジェームス・アトキン(シンガー):『Unbelievable』は、イアン〔・デンチ、ギター〕の功績といえる。僕はただ、カッコよく歌っただけ。僕は、デリー〔・ブラウンソン、サンプラー〕とザック〔・フォーリー、ベース〕とEMFを結成したものの、方向性はほとんどなかった。当時、ミュージック・ショップで働いていて、そこでイアンと知り合ったんだ。イアンは僕らより少し年上で、グロスターの音楽シーンでは知られていて、バンドのソングライティングの経験もあった。
バンドを EMF(Epsom Mad Funkers)と命名したものの、曲はなかった。そこでイアンのお母さんのピアノとかなり旧式のシンセサイザーで10曲書いた。それが『Schubert Dip』さ。僕は、「シカゴ・ハウス、つまりデトロイト・テクノがやりたい」といったんだ。でも、イアンは僕らをインディー/ダンスへと導いた。彼は、自転車に乗っている最中に『Unbelievable』のメロディーが浮かんだと言っていた。僕はあまりにも経験不足で、オリジナルの4-トラック・デモでは、僕の声はシングルよりも、女っぽく、投げやりな感じに聞こえたよ。
僕らはまだ10代後半で、無敵だと思っていた。いくつかのレコードレーベルが、ロンドンに招待してくれたけど、僕らは、Forest of Dean(地名、地元)で僕らが作り上げたこのシーンを見て欲しかったから、逆に彼らに見に越させたんだ。地元では、僕らのギグを見ようと、パブの窓をよじ登って入ろうとする奴らもいたから。Virgin、Island そして EMIからレコードディールのオファーを受けた。契約で金が入ってヒップ・ホップ・ファッションを取り入れるため、ぶかぶかのパファージャケットを買ったんだ。
『Unbelievable』が30周年を迎えたけど、今でもよく聴かれているよね。 Kraft社の ”Crumbles”というチーズ・パイの趣味の悪いTVコマーシャルでも使われてた。“They’re crumbelievable”というキャッチフレーズとともに。スーパーマーケットのAsdaも『Unbelievable』を使用したいと言ってきたから、「いいよ。ただし、”Asda-price”という表示を使わないなら」と言ったら、諦めやがったよ(筆者注:低価格を売りにしているスーパーマーケット)。この曲はスローテンポだし、カバーするのも難しいと思う。 The Voice(イギリスのオーディション番組)で、 will.i.amがラップでカバーしているのを見たときは、飲んでた紅茶で息を詰まらせそうになったよ。
未だに曲は書いているし、著作権使用料で暮らすことも考えたけど、10年くらい前にセカンダリー・スクール(中・高校にあたる)の先生の資格を取ったんだ。教えている生徒たちはEMFのことなんて聞いたこともないのに、面談で親たちからサインを求められると、ちょっと変な感じがするね。
イアン・デンチ(ギター):僕の母はあの時の僕を見て、人生を台無しにしたと思ってた。オックスフォード大学でファインアートを専攻してたんだけど、中退して、グロスターの汚いベッドシット(後で分かったことだけど、シリアルキラーのフレッド・ウエストが隣の部屋に住んでいた)で暮らしていたんだ。Apple Mosaicというバンドで8年活動してたんだけど、鳴かず飛ばずで、ある日、シンガーに「もう何曲かやってみようか」と言ったら、「いや、今日は彼女にディナーを作らなきゃいけないんだ」と言われて、それで終わり。それで、僕もカーディフ大学に通ってい当時のガールフレンドに会いに行ったら、負け犬だと言われて、その場で振られたんだ。
当時よく通っていたミュージック・ショップ Glos Music Coでジェームスというクールな奴に会ったのは覚えている。彼に、「俺ら、バンドをやってるんだ。アフガン・コートを着て、デスメタルをやってる。 the Forest of Deanに会いに来いよ」って何度も誘われて、ある日電話をかけて、10分後にジェームスとザックと落ち合った。その後は酒を飲みにいって、3日ほど家に帰らなかった。
EMFというバンド名はあったものの、曲はなかった。それで「じゃあ曲を書いた方がいいな」ということになって、何曲か書いたんだ。ある日、自転車に乗っていたら、まだ好きだった元カノのことを思い出して、あるアイデアが浮かんできたんだ。“The things you say / Your purple prose just gives you away / The things you say / You’re unbelievable.” というフレーズとともに。僕の父はクラシカル・ギタリストで、僕はクラシック・ギターも学んだんだけど、同時にブルースも好きだった。そこでギターリフはブルース・モードからフラメンコ・モードに移行していく。まるで僕の人生の2面性がお互いに反発しあっているようにね。
サンプルはとても好評だった。曲中の”Oh”の部分は、アメリカ人ミソジニストのコメディアン、アンドリュー・ダイス・クレイのサンプルなんだ。どういうわけか、彼は Def Jamと契約していて、サンプルを使うため、Def Jamのオフィスに連絡したんだけど、返事がなくて。ところが、その後EMIとの打ち合わせのため、LAに飛んだところ、 Rainbow Bar and Grill で偶然リック・ルービンと会ったんだ。 だからサンプルを使わせてくれないか、と打診した。「明日の朝FAXして」と言われて、その後、リックは無料でサンプルをクリアにしてくれたんだ。
『Unbelievable』はUKチャートでは3位止まりだったけど、USでは1位になった。僕は今でもお抱えのソングライターで、ビヨンセとシェキーラの”Beautiful Liar”の共同制作者の一人だ。つまりようやくここUKでも1位を獲得したというわけだよ。
(終わり)