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凄いものを観てしまった。35年前の未曽有の大惨事を再現したドラマ『チェルノブイリ』。名もない人々の命を懸けた作業が計り知れない人々の命を救ったのだということを風化させてはいけない。

Every lie we tell incurs a debt to the truth. Sooner or later, that debt is paid.

- Valery Legasov in Chernobyl

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とにかく、日本人以外の友人達から、絶対に観るべき、と言われ続けていた。日本は原爆投下された国だし、何よりも現在福島原発の問題もあるので、日本人である私には、何か通じるものがあると思って言ってくれたのだろうと思う。確かに評判もいいし、記憶に埋もれさせてはいけない事件だし、何よりも私自身が真実を知りたいし、で、マストウォッチなドラマなのはわかっていたのだけれど、あまりにも悲惨な事件ゆえ、観ていてしんどくなるのが目に見えていたので、二の足を踏んでいた。

このように思っている人、多いと思う。でも観てください。HBOドラマ『Chernobyl(チェルノブイリ)』を。一刻も早く。

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2019年第71回エミー賞で、19部門のノミネートを獲得。作品賞、監督賞、脚本賞を含む10部門を受賞した。リトアニアの廃炉となった原子力発電所でロケを敢行し、爆発のシーンなどは高度なCGで再現したとのこと。


私自身のチェルノブイリ原子力発電所事故の記憶は意外に鮮明で、父とNHKニュースを食い入るように観ていたのを覚えている。旧ソ連邦で起こった未曽有の大惨事という捉え方だったのだが、どうしても「未解決」というイメージが頭から離れていなかったので、それを確認すべく、このドラマを鑑賞した。しかし、事故が発生してから35年の月日が経っており、この事件すら知らない人がいるのだよな、と思うとそれはそれで恐ろしく感じたのだ。

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ドラマは、チェルノブイリ原子力発電所事故から2年後の1988年、とある男性が自宅でカセットテープに告白をしているシーンから始まる。彼は当時の事故に関して責任者の何人かを糾弾している。録音を終えた後、監視の目をくぐってそのテープを秘密の場所に隠す。そして自宅に戻り自殺する。この男性が、事故後に事態の収拾を一任された核物理学者ヴァレリー・レガソフ博士(ジャレド・ハリス)である。

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核物理学者ヴァレリー・レガソフ博士(ジャレド・ハリス)は、飼い猫に十分な餌を残して首を吊る。

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1986年4月26日午前1時23分、旧ソ連の構成国であったウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で原子力事故が発生した。事故後の大まかなストーリーは、ウィキピディア「チェルノブイリ (テレビドラマ)」で検索すれば、全5話のリキャップが一話ずつ簡潔に書かれているので、ここでは詳細を追うことはしないが、ドラマ内で気付いた点、関心を寄せた箇所を述べてみたいと思う。ドラマ視聴中に内容が分からなくなってしまった場合など、参考にするとよいと思う。

ドラマ視聴中に内容が分からなくなってしまった場合など、参考にするとよい。


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噴煙を上げる4号炉を見つめるエネルギー部門担当のシチェルビナ(ステラン・スカルスガルド、左)とレガソフ。二人は二人三脚で事態の収拾に務める。


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まずは、感想を述べると、これはまさしく「人災」であったという事。実際に現場で何が起こり、どういった決断が下されたのかは、最終話で、1987年7月に開催された共産党中央委員会と最高会議幹部会による裁判にて出廷したレガソフが証言する際に、その回顧シーンによって再現されているのだが、つまりは、こういうことだった。チェルノブイリ発電所にて、失敗続きの安全性テストをなんとかクリアしないといけない、クリアすれば責任者たち(ブリュハーノフ所長とフォーミン技師長)の栄転、昇格が決定している、そのため、彼らはまだ完了していないテストの完了書に既に署名していた。本当は午後2時に経験のある技術者たちがテストを行うはずだったが、キエフの方からノルマ達成に影響があるといけないので、テストを10時間遅らせるように伝達がある。夜中の12時に発電所のシフト交代。早速テストを実施するように言われるが、夜シフトの技術者たちはテストのことも知らされていなければ、実施経験もなかった。技術者たちは、ディアトロフ副技師長(ポール・リッター)にマニュアル通りにやれと言われる。マニュアルを開くがいくつかの箇所が線で消されている。つまりそれが何を意味するのか分からない。昼のシフトの技術者に電話をして聞くが、線で消されているところをやるように言われる。困惑する技術者たち。技術者たちは、このテストは執行されるべきではない、とディアトロフに言うが、さっさと終わらせてしまいたいディアトロフは、技術者たちを怒鳴り散らし、言われた通りにやらないと、強制労働所行きだ!と脅す。選択肢をなくした技術者は自分たちが間違っていることをわかっていながらテストを行う。予測通り原子炉は不安定になり、技術者は緊急停止ボタンAZ-5を押下するが、制御不可能となり、原子炉は爆発する。

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技術者アキモフ(サム・トラウトン、左)は、テストを行うべきではない、と意見するが、副技師長ディアトロフ(ポール・リッター、右)は命令に従え、としか言わない。

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レオニード・トプトゥーノフ(ロバート・エムズ、右)は当時若干25歳。技術者としては4か月の経験しかなかった彼にテストを実施させた。

アキモフとトプトゥーノフは爆発後、さらなる惨事を防ぐため、リアクターに赴き、手動で注水操作を行う。彼らは自らが莫大な放射線にさらされているのを知っていた。

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爆発の様子を「きれいな花火のようだ」と鉄橋から観察するプリピャチ市の市民たち。ここにはチェルノブイリ発電所の作業員とその家族を含む、人口3万5千人が暮らしていた。

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白ロシア(現:ベラルーシ)の原子力研究所のウラナ・ホミュック博士(エミリー・ワトソン)は、研究所の放射線測定器が異常に反応しているのことに気付き、すぐに一番近いチェルノブイリ発電所に連絡するが応答がない。何かあったと感じ取った彼女はチェルノブイリに駆け付ける。

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ホミュックは当時の作業場での状況を聞くために、死期が迫っている技術者たちに事情聴取をする。放射線を浴びてもう原型さえとどめていない体を病院のベッドに横たえて、すべてを話したいという技術者達「(最悪の事態を防ぐために)自分達は正しいことをした」と証言する。その話を聞きながら、彼女は一つの疑問に辿り着く。なぜ緊急停止ボタンAZ-5を押したにも関わらず、爆発を招いてしまったのか。確かに、上記の通り、事故発生時の技術者たちは、安全規則を違反してはいたが、直接の爆発の原因とは結び付かない。調査を続けるうちに、ホミュックは一つの論文を見つける。それは、レガソフの元同僚であったヴァルコフが、1975年のレニングラード原子力発電所で起きた事故の後、執筆したもので、ソビエト製のRBMK原子炉の欠陥を指摘するものだった。しかし、KGBはこの論文を隠蔽し、ヴァルコフも失職させており、レガソフはこの事実を知っていたのだった。ホミュックは、これをウイーンのIAEA本部へ報告して、現在運転中の16基のRBMK原子炉の改修を急がないとまた同じことが起こる、とレガソフに働きかけるが、すでに虚偽の報告をするようにとKGBより脅されているレガソフは告発には危険が伴うと渋る。

爆発が起こった原因はおおまかにこのような流れで、観ていて開いた口がふさがらないのは当然だが、爆発後の対応が、本当に馬鹿げていて、怒りにしかならない。

まず、最初に駆け付けたのが消防隊員だが、彼らは通常の火災であるとの報告で出動している。最初に消火作業にあたったワシリー・イグナテンコ消防士は炉心近くの消火作業にあたるが体調を崩し、病院へ運ばれる。妻リュドミラは当時妊娠中だったが、夫の容態を懸念し、病院まで駆け付け、自身も被爆の危険に曝したため、夫の死後に産まれた女児は4時間後に死亡した。

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ワシリー・イグナテンコ消防士(アダム・ナガイティス)は重度の被ばくで17日後に死亡した。

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ワシリー・イグナテンコ消防士の妻リュドミラ(ジェシー・バックリー)は、看護婦から30分だけと言われたにもかかわらず、夫の傍から離れない。

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また、現場のディアトロフ副技師長はメルトダウンが起こっているにもかかわらず、責任者たちに小さな爆発が起こって収束に向かっているといい、プリピャチ市委員会では、市民の口封じのために通信を遮断し、住民の移動を禁止するとまで。その後、現場に訪れたレガソフが避難勧告を要請するまで、市民は爆発から36時間も通常生活を送っていたのだ。その時の放射線量は3.6レントゲン。というのも、簡易線量計が最大3.6レントゲンまでしか測定できないので針が振り切れていたのだ。発電所の上層部はこの数値をモスクワに報告し、ゴルバチョフ書記長へ「すべてはアンダーコントロールである」と報告する。しかし、実際は15,000レントゲンもあったのだ。

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住民たちは何の情報も与えられず、子供達は学校に通い、通常生活を送っていた。


この事態の収拾に大きく貢献したのがヴァレリー・レガソフ博士であるが、もう一人、述べておくべき人物がいる、それは、閣僚会議副議長兼エネルギー部門担当のシチェルビナ(ステラン・スカルスガルド)である。シチェルビナはチェルノブイリ原子力発電所事故後に現場監督・責任者として派遣された官僚で、彼も当初はチェルノブイリから放たれる放射線量をレントゲン検査が人体に及ぼす程度、などとうそぶいていたが、レガソフと共に現場検証を行い、対策を立て、状況に対応していくにつれ、事態の深刻さを認識し始める。ドラマでは科学者や物理学者でしか理解できないような数値や専門用語などが頻繁に出てくるが、レガソフがシチェルビナに状況の説明をし、対策方法などを検討するシーンが頻繁に出てくるため、視聴者はそれに沿って理解を深めていけばよい。

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エネルギー部門担当のシチェルビナ(ステラン・スカルスガルド、左)とレガソフ(中央)、ホミュック(右)。レガソフ「1時間ごとに広島原爆の2倍相当の放射線を放つしている」こと、よって早急に市民を避難させ、対策を講じることが必要であるとゴルバチョフ書記長に告げる。


そして、レガソフとシチェルビナにホミュックを加えた3人は、起こりうるすべてのシナリオを想定して対応に当たたるが、そこにはKGBの監視と政府の嘘という壁が立ちはだかる。彼らの会話はKGBにより常に盗聴されていたため、情報の伝達は人目をはばかって行わなければならなかったし、事実ホミュックは技術者たちに面会をしていた病院で逮捕されている。また、、建屋屋上に散らばるグラファイト(黒鉛)片を撤去するために西ドイツから(冷戦中なので、ソビエトが頭を下げて)借りた月面探査車に至っては、政府が正式な汚染量を伝えていなかったため、スイッチを入れた途端に探査車の電子経路が故障してしまい、使い物にならなくなった。ここまできても、被害の大きさを正しく伝えることを拒む政府に彼らは憤りをあらわにする。

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西ドイツから、ソビエトが頭を下げて借りた月面探査機「ジョーカー」。冷戦中だったので、面汚しをしたくない政府は、放射線の量を、実際の毎時12,000レントゲンでなく、毎時2,000レントゲンと偽って導入していた。当然機械は故障。この結果、レガソフは、すべての作業は「バイオ・ロボット」=つまり人間の手、によるしかないとの判断を下す。

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チェルノブイリでは、大勢の人間たちがまさに命を懸けて作業に及んだからこそ、全世界をこの核事故から守れたのだ。

消火作業にあたった消防士たち、水蒸気爆発によるヨーロッパ全土の核汚染を防ぐために地下タンクに入り込み、排水をした3人の技師たち、外から手掘りでトンネルを掘り続けた炭鉱夫たち、建屋屋上に散らばるグラファイト(黒鉛)片を片付けた3828名の清算人たち。動物駆除チームに駆り出されたのは兵役の経験すらなかった若者たちだった。そして被災した人々を看護した病院の看護師たち。

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消防士の懸命の消火作業により火は消し止められた。

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水蒸気爆発を防ぐため、炉心直下の地下タンクに入り、仕切弁を手動操作して排水した3人(アナネンコ、ベルパロフ、バラノフ)は、被曝が免れないことは理解し、ボランティアとして名乗り出た勇気ある技師たち。ダイバーたちは仕事を達成し、入院をしたものの、2人はまだ生存している。

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溶炉地下にトンネルを掘るのに重機が使えないので、トゥーラ炭鉱から炭鉱夫たちを動員してくる。棟梁のグルコフは「暗闇で働く者は全てを見透かす」の言葉通り、現場で何が起こっているかをその危険性を理解しながら作業を進める。坑内の温度は50℃に達し、まさにオーブン状態だったが、汚染された粉塵が舞い上がるため、送風機を与えられることはなかった。400人の炭鉱夫たちが大急ぎで約1か月間トンネルを掘り続けた。そのうち少なくとも100人は40歳未満で死亡している。


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前述の西ドイツから調達した月面探査機「ジョーカー」が故障したため、屋上からのグラファイト片の撤去は人間の手で行われることになる。しかし、機械を狂わせるほどの放射線があるため、そこにいることができるのはわずか90秒。3828名の清算人が作業にあたった。

ドラマでは、このような名もない人々が日々奮闘し、黙々と与えられた作業をこなしていく姿が映し出される。

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1987年7月、共産党中央委員会と最高会議幹部会による裁判が開催され、シチェルビナ、ホミュック、レガソフは、発電所の仕組みを説明した後、ブリュハーノフ、ディアトロフ、フォーミンら被告3名の安全規約違反と事故当時コントロール・ルームにいた技師達へのインタビューをもとに、事故に結びついた原因を証言するとともに、ディアトロフの指示によりテストが強行されたことを明らかにした。

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左から、ブリュハーノフ所長(コン・オニール)、副技師長ディアトロフ(ポール・リッター、中央)とフォーミン技師長(エイドリアン・ローリンズ、右)。

裁判の途中だったが、シチェルビナが激しく咳き込んだため、休廷となる。

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現場にて、事態の収拾に勤めたレガソフとシチェルビナだが、彼らもまた放射脳の被害に身体を蝕まれていた。レガソフは資料に目を通している際に、一掴みの髪が抜け落ちているのに気付く。また、シチェルビナも裁判の途中で咳き込み、30分間の休廷中、吐血を拭ったハンカチをレガソフに見せる。彼は余命1年と告げられていた。「クレムリンは簡単な仕事の後処理をするよう私に言ったんだ。奴らにとって私は雑魚も同然だった。今までも今からも」と自嘲するシチェルビナ。しかしレガソフは、「私のような科学者はいくらでもいるし、彼らがこの仕事を任されたとしても同じ判断を下すだろう。しかしあなたは違う。私たちが必要なものーー労働力、材料、月面探査機ーーをすべて手配した。それはあなただから出来たことだ。人々に私の声は届くだろうが、人々が聞きたいのはあなたの声だ。奴らがあなたを送り込んだのは、あなたにその能力があると評価したからでしょう」とシチェルビナを励ます。原子炉爆発の事態収拾など、他の誰にもできなかったと励ます一方で、真実を告発する意思を固める。

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左から、ブリュハーノフ所長(コン・オニール)、副技師長ディアトロフ(ポール・リッター、中央)とフォーミン技師長(エイドリアン・ローリンズ、右)は、1987年7月、共産党中央委員会と最高会議幹部会による裁判にかけられる。

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裁判にて、発電所の仕組みと事故原因を説明し、ブリュハーノフ、ディアトロフ、フォーミンの安全規約違反を証言するレガソフ。しかし、この後、レガソフは真実を語ることにする。レニングラードの事故の後、RBMK原子炉の欠陥を報告する論文が隠滅されたこと、ウイーンでの事故報告では嘘の証言をしたこと、そして、残りのRBMK原子炉の早急処置が必要なことを告発した。


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KGB所長のチェルコーフは告発を行ったレガソフに、「お前は勾留すされ、法廷で行った証言はすべて隠遁され、起こらなかたこととなる」と告げる。さらに、「今後、チェルノブイリに関して誰とも会話をすることは出来ないし、これまで科学者としてこれまで行ったすべての功績は他の人のものとなり、お前はそれを傍観するだけだ」と。

レガソフは当局に連行される。

レガソフ「科学者というものは世間知らずだ。真実を追求することに集中してしまうがあまり、真実を求めている人など一握りしかいないことに気付かない。しかし、真実はいつもそこにあるのだ。見ようと見まいと。選ぼうと選ばなくとも。真実は我々がそれを求めているかなど気にしない。真実は政治やイデオロギー、宗教など気にしない。いつもそこにあるのだ。そして、これがチェルノブイリからの贈り物だ。私がかつて恐れた真実の代償、そして私は問う、だったら嘘の代償とは何なのだろうか?」

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ヴァレリー・レガソフはチェルノブイリ原発事故からちょうど2年後の4月26日に自ら命をだった。レガソフが残した告発テープはソ連の科学者たち広く聞かれ、彼の自殺によって放置できない事実との認識を得た。彼の死後、ソ連はRBMK炉の欠陥を認め、チェルノブイリのような大惨事が二度と起きないように改修された。レガソフは他の科学者たちとともにチェルノブイリ惨事の回収にあたったが、その何人かは政府に抗議したため、弾劾され逮捕され、収監されたものもいた。ウラナ・ホミュックはこれらの科学者たちの人権に対する真実の追求と誠実さを表した架空のキャラクターである。


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ボリス・シチェルビナは1990年8月22日に死去した。チェルノブイリに派遣されてから4年4か月後のことだった。


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ブリュハーノフ、ディアトロフ、フォーミンの3人は10年間の判決にて強制労働を言い渡される。釈放後フォーミンはロシア、カリーニンの原子力発電所に従事、ディアトロフは1995年に放射能被ばくによる疾患により死亡、64歳だった。


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爆発の夜、鉄橋の上から閃光を見ていた住人達は誰一人と生き残ることは出来なかった。そのことから現在は「死の橋」と呼ばれている。


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ミハイル・ゴルバチョフは1991年にソビエト連邦が解体するまで書記長を務めたが、2006年にこう記している「おそらくチェルノブイリ原発事故がソ連解体への引き金になった本当の理由だろう」。



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放射能による汚染にも関わらず、60万人以上の人が危険地域で復旧作業にあたった。事故による実質の死者数は今となっては知る由もないが4000人から93000人の死亡があったと推定されている。

しかし、ソ連政府が発表した公式死亡者数は1987年から変わっておらず、31人のままである。


「このドラマを苦しみそして命を落とした人々に捧げます」


(終わり)



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