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90年代後半にに世界中の女性の共感を得たブリジット・ジョーンズはこうして生まれた。25年の月日を経て、作者ヘレン・フィールディングが語る。


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一月一日 日曜日

体重:58.5㎏ (でもクリスマス明けだし)、アルコール消費:14ユニット (4時間もの元旦パーティで、実際は2日分消費したことになる。※筆者注釈:14ユニットは少なくとも3日に分けて摂取するのが好ましい)、煙草: 22本、摂取カロリー:5424kcal

1995年、『ブリジット・ジョーンズの日記』は英高級紙「インディペンデント」のコラム欄にて、このようにして始まった。

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12月22日にBBC2で放送されたドキュメンタリー『Being Bridget Jones』がなかなか良かった。前述の最初のコラムが掲載されてから25年。匿名で書かれた『ブリジット・ジョーンズの日記』は、瞬く間に読者の心を掴み、ファンを獲得していった。そしてその後は、皆さんの知る通り。1996年に書籍化され、売り上げは1千万冊以上を記録、40か国の言語に翻訳された。2001年にはレネー・ゼルウィガー主演で映画化され、その興行収入は£40m(約55億円)を上回った。今回のドキュメンタリーでは(まさに120万人の視聴者数があったと!)、この30代"シングルトン"ブリジットの想いの吐けを赤裸々に描いて、世界中の女性達の共感を得、希望を与えた作品を手掛けた作家、ヘレン・フィールディングのインタビューをメインにその成功の背景には何があったのかを考察する。

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『ブリジット・ジョーンズの日記』の著者、ヘレン・フィールディングは、西ヨークシャーの小さな町モーリーで生まれた。実は私の夫の実家がその隣町のバタリーで、モーリーはたまに車で通りかかるのだけど、のどかな田舎の居住区といった感じ。このワーキング・クラスが軒を連ねる地域においてミドルクラスの出身であったヘレンは地元のグラマースクールを経て、名門オックスフォードへ進む。

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『ブリジット・ジョーンズの日記』著者ヘレン・フィールディング


入学当時、オックスフォード大学をあまり好きではなかった、と語るヘレン。やはりノーザン出身者からすると、ポッシュなミドルクラスの集まりでは若干の居心地の悪さを感じていたという。演劇部にて「僕は君のボーイフレンドになるべきだと思う」と声をかけてきた青年。ヘレンは「パブリックスクール出身の男のやりそうなことだわ、と思ってちょっとムカってきたの」と振り返る。しかもその青年は、あの『ラブ・アクチュアリー』で脚本・監督を務めたリチャード・カーティスだった。『ブリジット・ジョーンズの日記』でも共同で脚本を書いているが、彼とは大学時代に少しの間お付き合いしていた。

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何と、リチャード・カーティス(中央)の隣に写っているのは、ローワン・アトキンソン!

オックスフォード大学卒業後、BBCのTVレポーターとなり(ヘレンはBBCに"誘惑された"と語っている。恐らくそれはドリーム・ジョブだったからだろう)、様々なジャンルのニュースをカバーする。しかし、台本にないアドリブにはめっぽう弱く、映像の世界での能力不足を痛感していた。実は、あの、映画のなかのブリジットがヘリコプターから飛び降りて、パラシュートで豚の飼育場へと着地するシーンは、実際にヘレンが体験したレポートだったのだ。

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ブリジットがヘリコプターから飛び降りるシーン。ヘレンは泥まみれにはならなかったが、このような「現場から」のレポートを体当たりで行っていた。


BBCを去った後、ライターとしてのキャリアを築きたいと確信したヘレンは小説を書き上げ、ある出版社へ持ち込んだが、「ストーリーだけでなく登場人物も、読者を満足させることのできるスタンダードに及んでいない」とのことで却下。TVを離れ、ジャーナリストとして新聞にシリアスな内容の記事を書いたりなどをしていたものの、ライターとしては拒絶される毎日だった。

ライターとしても鳴かず飛ばずの日々を送っていたヘレン。自身も30代になり、キャリアもどん詰まり、恋人ナシ、もちろん結婚の予定もなく、ロンドンの小さなフラットで悶々と過ごす日々。しかし、彼女には同じ境遇の友人がいた。BBCの「The Late Show」のプレゼンターだったトレイシー・マクラウド(Tracey MacLeod)とそのプロデューサー兼ディレクターだったシャノン・マグワイヤ(Sharon Maguire、後に映画『ブリジット・ジョーンズの日記』の監督も務める)だ。インタビューでシャノンは笑いながら語った。「周りが次々と結婚して、子供を産み、家庭を築いていく中、シングルガールがやることといえば、とにかくパーティーに繰り出て、飲んで 、楽しい時間を過ごすしかなかったのよ」。ヘレンとこのシングル時代を一緒に過ごしたトレイシーとシャノンは、後に『ブリジット・ジョーンズの日記』の中のジュードとシャザーのモデルとなり、作品中でもブリジットを支える良き女友達で登場する。

「インディペンデント」でカントリーサイドの特集や架空の人物に関するコラムを担当していたヘレンだが、ある日、先輩エディターから「ロンドン・シングルライフ」を女性目線から書いてみないかと持ち掛けられる。最初は自分の生活をさらけ出すような気がして断ったものの、それなら匿名でやればいい、との打診もあり筆をとることにした。「フィクションとはいえども、逆に名前を明かさなかったから、面白いものが書けたのかもしれない。後に友人や知り合いに読まれることを思うと、躊躇してしまうこともあったかも」とヘレンは語る。コラム『ブリジット・ジョーンズの日記』がインディペンデント紙に掲載されてからたった数週間で読者から励ましの手紙やメールが届くようになり、ヘレンは今にも「書いたのは私よ!」と叫びだしそうになったという。当時インディペンデント紙でエディターを務めていたアンドリュー・マー(現BBC政治プレゼンター)は、「インディペンデント編集室でも、上部男性職員から次のコラムが待ち遠しい、という声が聞かれ始めていた。彼女のコラムは、ある特定のグループにだけ受ける内容のものではなかった。これが素晴らしいコミック・ライティングというものなんだよ」と当時を振り返る。前記の友人トレイシー・マクラウドは、「インディペンダントの新しいコラム知ってる?」と友人ヘレンに訊き、ヘレンから怯えたような顔で「どう思う?」と訊き返され、「面白いと思うわ」と答えた後、ヘレン本人により「あれ私が書いたの」という告白のエピソードを語っている。「本人目の前にして、悪口言わなくて正解だったわ(笑)」。

では、この30代シングルトンの生活を赤裸々に描いた、一体何がそんなに共感を得たのだろう。

90年代から2000年前半は、スレンダーで小顔、長い手足が美しいとみなされ、称賛された時代。サイズ「0」なんかも謳われたりして、痩せている「だけ」で特権とされた時代背景があった。そんな中、飲酒量や喫煙量に加えて摂取カロリーを日記に連ねていくブリジットの、痩せたい、健康でありたいと思う気持ちの反面、うまくいかない仕事や恋愛のストレスや欲求から暴飲暴食に走り、「鳴らない電話を見つめているだけの夜」(by ドリカム)な日々を送っているのは自分だけではない、という女性が思ったより多くいたからだろう。ヘレンがインタビュー中に「Perfection of Imperfection」という言葉で述べていた「不完全であることが、完全であることよりも価値がある」ということに多くの女性が共感したからだ。実際コラムを読んで「自分のことを話しているのかと思った」「自分だけではなく、ほかにもこのような経験をしている女性がいることに、ほっとした」という感想がどっと押し寄せられたという。

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2001年、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』が公開された。

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映画化が決まった際、主役を米テキサス出身のレネー・ゼルウィガーが務めると報道された。ブリジットの上司ダニエル・クリーバーを演じたヒュー・グラントは当時の様子をこう語る。「正直レネー・ゼルウィガーのことは全く知らなかった。どうやらイギリス英語のアクセントをずいぶん練習したみたいで、彼女が話し出した時、なんだあれはマーガレット王妃(エリザベス女王の妹)かと思ったよ(英語があまりにもポッシュ過ぎて英国王室の人みたいだったと)」。その後、ポッシュ過ぎる英語は徐々に改善され、最後には完璧なものになったとのこと。そして話題はあの「特大パンツ」へ。いよいよブリジットが憧れのダニエルといい感じになり、ダニエルがスカートを捲し上げた瞬間出てきた特大のベージュのパンツ。なぜキメの下着を着てこなかったのか動揺するブリジットをよそに、「Hello Mummy(ハロー、お母さん)」と皮肉たっぷりのダニエルだが(まるで自分のお母さんのパンツのようにデカかったという意味)、このセリフは脚本にはなく、ヒュー・グラントがとっさに考え付いたものだったという。

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決して可愛くはないけど、身体を引き締める効果はあったと思われる特大パンツ。このシーンの影響からか、下着市場は大きく様変わりしたとか。英ヴォーグ誌によると、今年1~9月の間「 granny pants(おばあちゃんのパンツ)」の検索が59%もアップしたとのこと(Global shopping platform Lyst調べ)。ロックダウンもあってか、家で過ごすのに、履き心地の良い大きなパンツの需要が増えたとの考察もある。

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90年代花盛りだったオフィスラブ(死語!?)。映画ではそれこそ当時だったから作品にすることが許されたセクハラやパワハラのシーンもたくさんある。例えば、ダニエルがエレベーターの中で誰も見ていないのをいいことにブリジットのお尻を触ったり、セクハラ上司 Mr. Fitzherbert (ブリジットは彼を"Tits Pervert"、「おっぱい好きの変質者」と心の中で呼んでいる)に我慢したり、今ではとても映像にはできないコンテンツもある。「これは #MeToo  のおかげよね」とヘレンは語る。90年代では、そのような女性の扱われ方がほぼ当たり前だったことを表しており、これは現代には通用しない、と感じるのは、それだけワークスペースでの女性の立場や扱われ方が変わってきたということだろう。

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ドキュメンタリーの最後に出演者達は語る。

ヘレン「ブリジットが女性達に与えたコンセプトが、自分らしく、人間らしく、人に優しく、正直に、時には弱く、そしてたまに自分を笑い飛ばすことへの奨励だったとすれば、それが私が望んでいたことの全てだわ」。

ヒュー・グラント「確かにブリジットはあの時代のロール・モデルだった。自分の失敗や失態を認め、笑いとばし、そして自分を愛し、癒すということ」。

レネー・ゼルウィガー「最終的には自分を認めるということ。自分の居る場所、不完全さも含めて感謝すること。上手くいかなくても、不完全(imperfect)であっても、それは全く問題ない(perfectly fine)ということ」

ドキュメンタリーの中で、ヘレン・フィールディングのブックツアーに参加していた女性が、映画の中で一番好きなシーンは、コリン・ファース演じるマーク・ダーシーが、ディナーテーブルの席で失態をやらかしパーティを去ろうとしたブリジットを追いかけて「ありのままの君が好きだ」と言った所だと語った。

「ありのままの自分を受け止める」。つまるところ、このメッセージが多くの女性たちの心に響いたのだろう。恋も仕事もそして外見も決してパーフェクトではない私をそのまま好きになる「不完全万歳」を称賛する女性達。自分でいることを楽しむことができれば、私たちの未来は明るい。



ドキュメンタリーはこちらから視聴できます。番組のBGMにはエラスティカやガービッジの音楽も。90年代らしい。



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今ではクリスマスのマスト・ハブになってしまった「クリスマス・ジャンパー(セーター)」。私がこのクリスマス・アイテムを意識し始めたのは、コリン・ファース演じるマーク・ダーシーが着ていたから。ダサいほどカワいい。


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私はこの日本語翻訳本の表紙がとても好き。映画のブリジットとは少し違うけど、注がれた赤ワインもかわいい。





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