ちょうどよく働きたいって、ダメですか?
わたしはちょうどよく働きたい、ゆるキャリ希望である。
仕事をすることは好き。でも正直、「絶対にこの仕事でてっぺんを目指したい!」「年収1000マン!」という野望のようなものはない。
仕事をしているという「妻でも母でもないわたし」をなによりも大切にしたいと思っている。
仕事は、人とのつながりをもつことだったり、知識を高めることだったり、会社や社会に貢献できることだったりと自分の存在意義や成長を認識しやすいもの。
きっと家事と育児のソレだけではじぶんをうまく保てないだろう。仕事をすることはわたしにとって必要なことなのだ。
しかし。
わたしはとてつもなく不器用な人間で、いわゆる心のキャパというものが非常に少ないと思っている。
予定がちょっと増えただけですぐイライラするし、仕事が詰まれば詰まるほど身動きがとれなくなって具合がわるくなった気持ちになる。(弱っ)
きっと仕事が増えすぎてしまえば心に余裕のない人間が出来上がり、我が家は崩壊するだろう。お金の余裕は大切だれど、心の余裕はもっと大切で。
なので「妻でも母でもないわたし」は絶対に必要だけど、いまのところそこだけが突出しすぎることは望んでいない。
わたしが優先したいこと
わたしはありがたくもいまのところ夫の稼ぎがあるからちょうどよく働きたいなんて言えてるのだろうか。でもどんな状況になろうとも仕事と同じくらい優先したいことがある。
それはやっぱり子供のこと。
手をかけてあげたい、ではなく。毎日かーちゃんが笑えている状況にありたいのだ。わたしができる子育てにはそういう余裕が必要で。
不思議な話、子供が成長すればするほどその気持ちが大きくなってきたように思う。
それは想像以上に子供の成長スピードが早いことに気がついてしまったから。あんなに仕事!お酒!スキルアップ!だった独身時代のわたしがこの文章を読んだら笑っちゃうんだろうなぁ。
そうは言ってもじぶんでじぶんに制限をかけたくはない
昨日の最所あさみさんの記事もとても興味深いもので。女性の働き方に関していろいろ考えを巡らせるきっかけになった。
結婚して27あたりで転職活動をしているときのことを思い出した。
「その年齢なら子供もほしいでしょう?これから就職してすぐに妊娠となっても大変ですよね」
と何社から最終面接で言われたことか。わたしは当時子供が欲しいなんてこれっぽっちも考えていなかった。
先回りという優しさは受け取る方は牽制ととらえてしまう場合もある。
疲弊せず自分らしい働き方を実現するには、全員が勝手な忖度をせず言葉にして伝え合うことが第一歩なのではないでしょうか。
一字一句同意。どんな風に働きたいか。その人の環境を見てまわりが勝手に忖度するほど無駄なことはないし、じぶんらしい働き方を実現させるのは甘えとかわがままではない。
会社も社会も個人個人も、どういう想いを持って働いているか、働きたいと思っているかを知ることでそれぞれの幅が広がると信じている。
そんなこんなでせっかくなのでいろいろバランスよくこなしたいわたしは「ちょうどよく働きたい」宣言。
でも決して仕事を制限するための宣言ではない。目の前のことを一生懸命やってあらたに生まれたチャンスは逃さないようにしたい。
そして子供の成長とともに変化する自分自身の気持ちにも素直に従っていきたいなぁ。
一番言いたかったのは、最所あさみさんのサムネイルにわたしの写真が使われて通知にドギマギしましたという話でした(違う)。おしまい。