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高齢ドライバーと認知症

義母は「ストーブの点け方が分からない」と大騒ぎになる前日まで車を運転していた。
その後軽度の認知症と診断され、投薬で進行を抑える治療を始めてからは、特に大きな騒ぎになるようなことも無く、日常を取り戻した。
義母が「薬の調整終わったら、また車運転でぎるべが?」と言い出した時、正直「えー?無理なんじゃないの?」と思った。一般論として、85歳、軽度とは言え認知症の老人が車の運転なんて危ない危ない。大人しく免許証を返納して、公共の交通機関やタクシーを使え!ということになる。

しかし、街に住んでいる人に義母が住む地域の交通事情は分かるまい。吉幾三さんの「おら東京さ行くだ」の歌詞に「バスは一日一度来る」とあるが、40年前にヒットしたこの曲の歌詞と交通の便に関しては今もほとんど変わらない(信号無え、あるわけ無え、おれらの村には電気が無え、はさすがにそんなわけない笑)。
バスったって路線も本数も少ない。そもそもバス停までだって遠い。タクシーに関しては流しのタクシーなんてあるわけないし、台数も超少ない。そしてタクシーを使う文化が無い。だから車は命。車が無ければ何も出来ない。

そもそも義母が運転免許を取得したのは60歳を過ぎてからだった。私が結婚した後に自動車学校に通い出した。
車の運転を担っていた義父が病に倒れ入院したり、酒好きな義父がいざという時に酔っ払っていて運転手として使い物にならないなどの理由で、必要に迫られて免許を取った。義母は家の事情で高校に進学せず中卒である。そんな還暦過ぎたお婆ちゃんが18歳に混じって勉強し、見事一発で合格したのは今考えても凄いことだと思う。

免許を取得してからは、義父の通院や孫の運動会などで度々我が家まで運転して来た。義父が亡くなってからは、義父に遠慮して出来なかったグランドゴルフを始めて、すっかり夢中になり週3回もグランドゴルフを楽しんでいた。ホールインワン賞だとトイレットペーパーを山ほどもらって、私達にも分けてくれた。

さて、運転できないとなるとグランドゴルフの会場にも行けないということか。町内の会場なら往復タクシーでも良いんじゃないか?と思うけれど、義母の金銭感覚やタクシーを使うことへの抵抗感など考えると「そうだね、タクシー使うわ!」とはならないだろう。

私の実父も数年前に体調を崩して入院したのをきっかけに免許証を返納した。父本人はいともあっさりと決断したが、私と弟はとにかく悲しかった。「お父さんはいつも車きれいにしていたよね」「北海道とか、つくば万博とか、今考えればすごい距離一人で運転したよね」「なんか寂しいね」と弟と電話で話しながら泣けてきたことを思い出す。あ、実父は元気です、健在です。

そんなことを考えたら、義母がまだ運転したい気持ちを突っぱねることは出来なかった。だから「じゃあ、次の受診の時に先生に相談してみよう。お義母さん、聞いてみたらいいよ」と言った。

そして受診の日、脳神経外科の医師に「先生、また運転でぎるべが?」義母が尋ねた。医師は「普通に運転してる分には何も問題無いの。でも認知症の人っていうのは、何かあった時にパニックになって頭真っ白になっちゃうの。あんたが事故起こして一人で死ぬのはいい。でももし他所の人轢いたらどうする?若い人轢いて殺したらどうする?あんただけじゃなく、あんたの家族ももう村には来られなくなるよ。それでもいいの?考えてみて」

先生、口わるっ。しかし先生の言葉で結論が出た。義母も納得した。

その後、義母が誤って運転しないように、あっという間に車を売却した。義母も車が無い生活を受け入れ、通院は我が家と義姉が、買い物は幸い歩いて数分の場所にスーパーがあるので生活には困らない。たくさん買い物した時に大変だということでシルバーカーを購入。そしたらシルバーカーが曲がれないから使いづらいと言い出し、夫が見たらタイヤにストッパーが付いたままで直進しかできない状態だったことが判明。解除して快適に使っているかと思いきや、やっぱり使いづらいとごもくそ言いながらも、杖ついて歩いて買い物をしている。

グランドゴルフの仲間には「眩暈がして運転できなくなったから、今までみたいに行けない」と伝えたそうで(さすがに、認知症になっちゃったからとは言わない)、そしたら気のいいお友達が送迎してくれることになったそうだ。送迎してくれるお友達もめっちゃ高齢なんで微妙ではあるけれど。このコミュニティで暮らす義母を支えてくれる人がいるのはありがたい。
まずは義母が納得して運転を卒業したことに安堵している。


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