書くこと、書けることは、一石百鳥[45/100]
「デキる大人」に憧れていた。
与えられたなかなか高い目標に向けて、それに向けてコツコツと努力を継続できる人。
簡単に弱音を吐かず、理不尽さをもパワーに変えて邁進できる人。
なんたって私が正反対だ。
与えられた目標が無理ゲーだと分かった瞬間に文句を言うし、どれだけ不利な状況にいるかを訴えて周りに泣きつく。
「デキる大人」には程遠い。
もう無理だな、と諦めている。
ただ、自分が納得していれば、意外と根性を見せる。「与えられた(他人事の)目標」ではなく「私が達成したい目標」かどうかが頑張れるかどうかのカギだ。
この軸を言語化して人に伝えられるようになってからは、とても生きやすくなった。
「この目標は、〇〇の点で難しいと思っている」と伝えるだけで、相手も私の課題を認識できる。だから、新しいやり方をアドバイスしてくれたり、ときには他の適任者にタスクを振り分けてくれた。
「知ることは、愛すること」とは、ライティングの師匠であるさとゆみさんの言葉。
人はそれぞれ、結構考えて、自分の信念に基づいて生きている。もしくは、自分の信念を曲げたときの苦痛を抱えて生きている。
それを知った時、共感したり、苦労を想って抱きしめたい気持ちになる。この気持ちを、私は「愛しい」と表現している。
だから自分の信念、葛藤を含めた、行動や言動の裏側を言語化できたら、今よりも生きやすくなる人が多いのではないかなぁ、と思った。
だから、書くこと、書けること、つまりは言語化できることは一石二鳥どころか、一石百鳥くらいのすごいことだなぁ、と思った。
さとゆみさんの11月13日限定公開のエッセイを読んで、そんなことを考えました。