誰にも届かない文章を脱出するために「あの人」に向けて書く[27/100]
いつから、こんなに自分の意見がなくなってきたのかなぁと思っている。
大学時代に卒論の1稿目を出したとき、ゼミの先生から「理論はさておき、マホさんのレポートは、オリジナルの意見や主張があるから、読んでいて面白い。本の受け売りだったり、コピペで出す人が多い中で、ちゃんと自分の頭で考えている。それは素晴らしい」と、内容はさておき、学びに対する姿勢を褒めてもらったことをいまだに覚えている。
それが、最近ではめっきりできなくなっているように感じることがあった。
2023年1月から、さとゆみゼミと稀人ハンタースクールというライティングのゼミに参加し、「書く」ということと向き合っている。
「書く」ことを学んだことはなかったが、元来から好きであったし、ありがたいことにお仕事ももらえるようになっていたため、最初は意気揚々とまではいかずとも「それなりにできるでしょ」と思っていた。甘かった。
私自身に専門性や、なにか人に教えられるようなことはないけれど、それがある人へのインタビューなら、できるんじゃないかと考えていた過去の自分の浅はかさよ。
知っておくとラクになる考え方や、勇気がもらえる生き方、周りの人に話したくなるような驚きのあるエピソードを、インタビュイーから聞いて、伝えるお仕事なら、私自身の考えがいかに浅はかであろうとも、できるんじゃなかろうかと考えていた。
でも違った。
誰を取材するのか、その人の話のどこを切り取って、どう伝えるのか。誰に? 何を? 何で?
これがないと、まず企画が出せない。記事が無難にまとまってしまい、読んでいて面白くない。届く熱量が圧倒的に足りない文章になる。
おかげで、ライティングゼミの中でも企画系や、自分の意見を織り交ぜないと書けないような文章に、苦戦している。
先日あった起業家の方が「プレゼン資料の説明文の土台はchatGPTで作ることが多い」と言っていた。同じころ、お話したプロンプトエンジニアの方も、経営者から自分の構想をわかりやすくアウトプットするためにchatGPTを活用する際の手伝いをしていると言っていた。
そんな時代なんだ!!
ライターとして、専門家の方や、モノづくりの職人さんなど「誰か」に話を聞いて、伝える役目を担おうと思うなら、そのライターが、そこに介在する理由がなければならない。
そうでないと、発信したい人が生成AIの力を借りて、自分で発信するだろう。
「いやいや、みんながみんな、自分で発信したいと思わないかもでしょ」というかもしれないが、見つける役目だけでいいなら、編集の方や、営業の方もいるだろう。
ライターが、ライターであるために、自分がどんなスタンスで、誰に、何を届けたいのか、ちゃんとポジションを明確にしていかねばならないのだなと危機感を強くしていた。
そんな時に、さとゆみゼミの先輩、塚田智恵美さんの記事を読んで、その考えが確信に変わった。
私はいつの間にやら、空気を読んで、SNSでの炎上や陰口を恐れて、意見を言わなくなり、考えなくなっていたようだ。
だからこそ、今、記事を書く時に具体的な「誰か」を思い浮かべて書こうと思っている。ママ友の彼女、元同僚の彼、過去の私。
具体的に思い浮かべると、聞いてきた話でも、どこに波をつけるか判断できる。全部乗せで、誰にでもわかるような、それでいて、誰にも分らないような文を書くくらいなら、偏った文になるかもしれないが、一旦この路線でいこう。
そんなことを考えています。