クリスマスに書く、欲望のスケッチブック
冬はクリスマスと共にやってくる。
ハロウィンが終わるのを待って、いつも使う駅がキラキラピカピカのイルミネーションに包まれる。
デパートのショーウィンドウはもちろん、小さな街中のレストランや雑貨店まで、どこもかしこもクリスマスの装いになっていく。
周りがクリスマスに向けてドレスコードを変えていく中で生活していると、10代のわたしはソワソワして、なんとなく心地悪かった。
なんでクリスマスってこんなに特別なんだろう。
キリスト教徒でもないのにさ。
そんなことを言う割に、じゃあ無視できるかと言えばそんなことはない。なんだかんだ、気になる。クリスマス、どうやって過ごそうかな、と、考えてしまう。
そんなわたしの青い発言に賛同してくれた友人と徒党を組み、18歳から23歳まで、5回のクリスマスを一緒にすごした。女3人で毎年クリスマスにかこつけて集まり、話明かす。誰かの家に集まり、お泊まり会だ。
当時、この3人で互いの誕生日も祝っていた。集まると、必ずスケッチブックを開き、「こうなりたい」「これがしたい」と願望を書き続けた。
洋服が欲しい
肌を綺麗にしたい
一人暮らしをしたい
アメリカにミュージカルを観に行きたい
なんでも許してくれる彼氏が欲しい
(かっこいいと話題だった)大学教授と飲みに行きたい
世界一周したい
などなど…
時期によっては「就活しないで内定が欲しい」などもあり、開くと軽く1日は思い出に浸れるスケッチブックだ。
今見返すと、どれもこれもバカバカしくて愛しい言葉たち。あの頃のわたしたちは、なんの躊躇いもなく「わたし」を主語にして語っていた。
あれから16回のクリスマスがすぎた。17回目のクリスマスももうすぐそこ。
この間に、みんな母になった。
今は「わたし」よりも「子ども」を中心に考える生活が染み込んでいる。
今では「クリスマスをなんで祝うの?」なんて野暮なことは言わなくなった。子どもが楽しみに待っててくれるから。家族とパーティーできるから。
毎年、アドベントカレンダーを作って、指折り数える日々だ。今年ももちろん、用意した。
そんな子育ての日々も、実は後半戦に突入している。長女はもう13歳。わたしが親とクリスマスを祝わなくなった歳が16歳。大変だ、あと3回しかない。
長女がいつまで一緒にすごしてくれるかわからないけれど、とりあえず今年はまだ一緒にすごしてくれるみたい。ちゃっかりなのか、付き合ってなのかサンタさんへお手紙まで書いてくれている。
もちろん、まだほんのりサンタを信じている二女のために、今年もサンタは稼働するつもりだ。
あと少しの家族で祝うクリスマスに想いを馳せつつ、またあの女3人でクリスマスを祝う日が来ることを、少し楽しみにしていたりもする。約束なんてしてないけれど、いつか叶う気がしている。
その時にまた、スケッチブックを開こう。
今度はみんな、なんて書くのかな。
12/3のクリスマスアドベントエッセイはこちら