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いい原稿には「操られた言葉」がある『本日は、お日柄もよく』2稿[19/100]
まずは、昨日あげた原稿に対し、お忙しいにもかかわらず、すっっっっごく丁寧に読んで、感想、アドバイス、助言、指摘をくださった仲間たちに感謝します。
みなさまのご迷惑など考えずに、「書いた、読んで~! そして、どこを直したらいいか教えて~!!」という、超迷惑なお願いに対し、ここまで丁寧にフィードバックをいただきまして、感激して涙が出そうです。
叶うならば、1人1人のところに行き、熱いキスとハグをしに行きたいくらいです。本当にありがとうございました!! 今日もよろしくお願いします!(おい)
指摘されたことリスト
せっかくなので、指摘されたことリストも公開します。
みなさま、すごく気を使って「私の理解力の問題かもしれないけど……」とか言ってから指摘してくださって、マジ、気を使わせて申し訳ない!!
みなさまの理解力の問題ではありません。私の悪文の問題です。
幕の内弁当になりすぎている。あらすじ、スピーチライターという仕事、それをインタビューライターに置き換えて考察、心に残る言葉……となっており、何を言われているのかわからなくなった
登場人物の名前が出てきすぎて「誰?」ってなった
話が行ったり来たりして、スムーズに読めなかった(あらすじ→スピーチライターという仕事→インタビューライターとの共通点→あらすじ→聞くこと……と目まぐるしくシーンが変わりすぎて、どこにいるのか迷子になった)
書き出しが、急展開過ぎて理解できず、戻って読んだ(2度読ませたら負け!)
自分の主張は断言したほうがいい。思った…など多用すると、わかりにくい文になる
主張したいことの具体例を書いてくれないと、「何でそう思ったんだろう」と不思議になる(抽象表現が重なる、連なるので、具体的に説明を)
主語と述語のねじれ、二重表現がある
そのほか”てにをは”などの間違いのご指摘などもいただきましたが、大きく分けると上記の7つとなりました。
今日のテーマはこれ
頂いたご指摘を受け、今日は、テーマを絞ります。
私はおそらく『本日は、お日柄もよく』の中にある”この言葉いい! 覚えておきたい!”と思った言葉をみんなに紹介したくなった結果、昨日のようなモリモリの原稿をさらしてしまいました。
しかし、結局、読者を混乱に陥れてしまっただけでした。
だるま落としの大切さを改めて痛感。
「書く前に、『この原稿はこれを伝える』とメッセージを声に出して言って、自分に記憶させている」というぶんたまさんを見習い、宣言したいと思います。
私はこの原稿で「『本日は、お日柄もよく』から気付きを得た、インタビューライターとして必要なスキル」についてお伝えします。
***ここから、書き直し原稿です***
中学2年生の娘が英語と格闘している。
わからない英単語があると「ママ、judgeの意味ってなに?」などと聞いてくる。「判断するとか、そんな感じじゃない?」と答えながら、素早く調べる。普段英語を使わない私が、娘に間違ったことを教えると申し訳ないからだ。
judgeには、「判定する・判断する」という意味であっている。しかし、「(偏見を持って)判断する」と、どちらかと言えばマイナスなイメージの時に使われるそうだ。
「なんとなく、こんな意味だよね」と思って使っていた言葉が、しっかりと調べてみたら、すごく失礼な言い回しだったとか、誤解を生む表現になっていた……ということは、英語だけじゃなくて日本語のときだってある。
私は、さとゆみさんのビジネスライティングゼミの課題で「(50代くらいの読者を想定し)もう一花咲かせる」という表現をした。
そこでさとゆみさんから指摘されたのは「この表現は、今は咲いていないというように受け止められる」ということだった。
伝えるために、言葉を”操る”
日本語は私にとって母国語で、流暢に話せる唯一の言語だ。
しかし、その油断からか、日常生活でマメに辞書を引くことは少ない。
「この意味、この使い方であっているかな」とか「マイナスな受け取られ方をする可能性があるかな」などと、慎重になることは、よほど普段使い慣れていない言葉以外では調べたりしない。
しかし、言葉をしっかり”操る”ことができなければ、「伝えたいこと」が伝わらない。それどころか、真意とは逆の意味でとらえられてしまうことすらあるのだ。
言葉を操るとは、言葉の持つニュアンスを理解し、誤解を生まないように適切な表現をすることだ。当たり前といったら当たり前だが、これに気付くきっかけをくれた本がある。
原田マハさんの小説『本日は、お日柄もよく』だ。
食品メーカーの総務で事務員をしながら、平凡な毎日を過ごしていた主人公”こと葉”が、伝説のスピーチライター”久美さん”と出会うところから物語は始まる。
”こと葉”は、久美さんにあこがれ、”OJT”されながらスピーチライターとして独り立ちするまでの様子が描かれている。
スピーチライターとライターに共通する”人に伝えたい”という想い
スピーチライターは、企業の改革のときの社長のあいさつを考えたり、選挙
時の政治家のスピーチなど、多くの人に影響を与える言葉を作る人たちだ。
アメリカ初の非白人の大統領であるオバマ大統領といえば「Yes,we can!」のフレーズを思い出させるだろう。
このようなシンプルで馴染みやすい言葉とともにイメージや意図したほうに事態が流れるような空気感を作るための原稿を書くのがスピーチライターだ。
スピーチライターは、話すための原稿を書く人。
しかし第三者に向けて言葉を届け、その人の行動を変えることを願うという意味では、一般的なライターと共通する部分がある。
本書には、ライターとして頭に留めておきたい一言が満載だった。
例えば、下記のようなものだ。
言葉は書くものでも読むものでもない。操るものだ。
「どんなに一生懸命書いても読んでも、広く一般に受け入れられない限り、言葉の効力って限定的なもんだろ。言葉って言うのは、操れなくちゃだめなんだ、って、おれも最近ようやくわかってきた」
一生懸命書いても、読者に受け入れられ、読んでもらわない限り、それは存在しないのと同じだ。
「私の文章を読んでもらうことで少しでも世の中を良くしたい」と希望を持てば持つほど、多くの人に受け入れられるために、言葉を”操る”必要がある。
文章を書いたとき『たったひとりにでも、この記事のメッセージが届けばいい』と言っている自分がいる。本音でもあるが、もしかしたらそれは言い訳なのかもしれないと、この一文を読んでいて考えた。
書くためには、まず「聞く」
それでは、人に届くための文章はどのように書けばいいのだろうか。
そのヒントは下記の言葉にある。
「聞くことは、話すことよりもずっとエネルギーがいる。だけどその分、話すための勇気を得られるんだ、と思います」
(略)
話すために、聞く。そういうことなんだ。
「話す」の部分を「書く」に変換して読む。
ライター、とくに私の目指す「インタビューライター」は、基本的に人から話を聞かないと書けない。ただ、どこまで聞くことができるか、書く勇気が出るまで聞けているだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。
こちらの聞きたいことを聞き出すためのコミュニケーションになっていないか。インタビュー相手の魅力は、どこにあるのだろうか。
深く聞きたいはずなのに、相手が考えている間を待てず、ポンポンと質問し続けてしまうことがあったと、反省した。
「書くことは、インタビュイーの言いたかったことを言語化してあげること」というのはさとゆみさんの言葉だ。言語化するためには、深く理解する必要がある。そのために「聞く」。聞くは書くの1丁目1番地なんだ。
言葉の持つ底力を感じる名作
本作は、ライティングのハウツー本ではない。
しかし、ライターにとって示唆に富んだ名作だと感じた。
ライターにとっての金言が、ストーリーに乗って、具体的な描写とともにセリフのなかで展開される。
それは、下手なハウツー本よりも、説得力をもって私の中に入ってきた。
小説を読みながら、蛍光ペンでこんなにマークしたことはいまだかつてない。大変に読み応えのある小説だった。
今回は、ライターとしての私に響く箇所を紹介したが、”言葉を操る”原田さんが織りなす、登場人物たちのセリフがどれも素晴らしい。
私は読んで30ページ以内でひと泣きした。通勤電車の中で読むことは、おすすめしない。