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人生で2度研究員になって気づいた、研究と私の関係性

過去を振り返る中で、キーワードとして見つかった「研究」。試行錯誤をへて、研究と私のいい距離感が見えてきた。


自由研究に魂を注いだ小学生時代

夏休みの宿題の中で、もっとも魂を注いでいたのは自由研究。高齢者福祉に興味があったので、高齢者体験ができる施設に行って体験したり、調査したことを分厚いノートにまとめていた。

総合学習では研究テーマを「1人暮らしの高齢者」に設定し、当時まだあった自治体名簿で1件ずつ電話して協力してくれる高齢者世帯を探し、受け入れてくれた高齢者の自宅に毎週通ってインタビューをしまくっていた。

細かい記憶はないけど、とにかくあっちこっち行って調べて考察してまとめてを繰り返していたことは覚えている。(母親いわく、昔から過集中できる才能はあったらしい)

高齢者分野を研究視点で学ぶと決めた高校時代

中学生・高校生になっても変わらず高齢者分野に興味があり、介護職員になりたいと思っていた。なのにヘルニアになってしまい、高校3年間体育ができない状態に。
介護職員として現場に出るイメージがなくなったことで研究視点で学ぶといいかも!と気づき、高齢者を研究している先生がいる大学を目指すことにした。

介護・高齢者と向き合った研究員時代

大学では、介護職員さんのキャリアコミットメントや組織コミットメントをテーマに研究をした。
元々目指していた介護職員の仕事。毎週介護施設にはボランティアで入らせてもらって現場も見ていたので、仕事の専門性の高さは理解しているつもりだった。一方で3Kと言われ、働き続けることが大変な業界。どうすれば介護職員さんが気持ち良く働くことができるかを考えたいという思いが強かった。
修士論文では、論文の内容に対してたくさんの人がいる前で教授から質問を受ける口頭試問があった。その時いただいた質問に対して、こう答えた。

「業界構造上変えることが難しいものを変数に入れて、それが介護職員さんにいい影響があることが明らかになったところで、変えられないんだったら研究をした意味がない。変えられるものの中で、影響がある要素は何かを明らかにしたい」

具体的な内容は忘れたけれど、先行研究だと変数に入れるのが相場なのに、私の研究では入れてないものがあり、それはなぜか?という質問だった。終わった後、ある先生に「あの回答はあなたらしくて気持ちよかった」と言われた。研究の意義は、短期的に社会に接続することだけではない。でも私にとって研究は、課題解決や変化を生むことにすぐ繋げられるかどうか、が大事だということを実感した。

研究的観点でみると、私のとった選択は間違っていたかもしれない。でも何のために研究をするのかに立ち戻った時に、私にとっては譲れないポイントだった。

研究の世界を離れ、民間企業に就職

大学での研究は楽しかった。介護施設だけでなく、ゼミの先生がやっている百寿者研究のアシスタントに入らせてもらってインタビューをすることもあった。60-100歳の高齢者にインタビューした数は300人を超えていると思う。海外学会にも参加させてもらって同じ研究テーマで国を超えて議論していることに刺激をバンバン受けていた。修士過程卒業の時には研究科賞をいただくこともでき、やってきたことは、多少なりとも評価いただいていたのだと思う。

でも私には研究を「し続ける」ことができなかった。研究をすること自体に熱量があるわけではなかったのか、研究しよう!と思って机に向かっても全然気持ちが動かない。なんなら辛いと感じる時間も多かった。ゼミでも発表の前日にいつもバタバタしていた。現場で感じたことがあって、これは何が起こっているんだ!?と思うと徹夜で先行研究を読み漁ったり、調査データを夢中で分析することはあっても、その状態がずっとは続かない。研究現場に身を置いて、研究員として生計を立てるのは合ってない。研究の価値は間違いなく感じているけれど関わり方が違うと思い、就職することにした。

研究員の肩書きがついた会社員

就職したのは研究組織がある会社。アカデミックな視点、論を大事にしながらサービス提供をしている。図らずも研究もミッションとして担っている組織に配属になり、名刺の肩書きには「研究員」と書かれていた。

研究違うと思ったから就職したはずが・・・!!!

所属した組織は研究専任ではなく、メインはサービス企画開発だが、研究も担う組織だった。論を根拠にサービスの企画開発をし、実際に使っていただいている実態を受けて論を磨く。論↔︎実践を行き来しながら価値を作っていくことが役割だった。研究という手段を活用しながら価値提供していきたいと思う私にとって、この形はとてもしっくりきた。

でもやっぱり、研究はできない

自分で研究テーマを決めて、半期に1回研究発表をしていた時期があった。半年も時間があったのに、発表まで1ヶ月を切っても何も進んでいなかった。半年間ずっとタスクには入れているけど、先延ばしをし続けていた研究タスク。やらないといけないことはわかっているのに、頭も心も体も何も動かなかった。当時のリーダーに、今回の発表を辞退したい旨を伝えた。会社員10年の中で、後にも先にも仕事を投げ出すような、こんなひどい向き合い方をしたのは初めてだ。私がリーダーの立場なら、なめてるのか?と言うだろう。
リーダーから返ってきたのは、怒られるよりもきつい言葉だった。

「残念だね」
「学会ではあんなにワクワク楽しそうにしていたのに。研究も英語も頑張る!って言ってた時、キラキラしてたよ。やればできるはずなのにもったいない」

この1年ぐらい前、リーダーとは一緒にアメリカの学会に参加していた。確かに学会ではめちゃくちゃワクワクして、今度ここで発表したい!と本気で思っていた。でも今目の前にある研究の仕事には何の熱量も湧いてこない。当時は研究が嫌だという気持ちが強く、心も腐っていた時期だったのでそれ以上この状況に向き合うことすらせず、ただ信頼と期待を失うことになってしまった。
領域によるかもしれないが、私が専門とする人事領域は海外では企業との距離が近い。企業人事が博士号を取得していることも珍しくない。それゆえに、海外学会の研究発表やディスカッションはより現場に近いものが多かった。私がワクワクしたポイントはそこだったと思う。論と実践を近い距離で回している会社とはいえ、海外と比べるとまだまだ乖離があった。

「研究者と協働する」がいい距離感

大学でも会社でも、研究員としての私はうまくいかなかった。私は現場にいながら、研究者と協働するのが1番いい関わり方なのだろう。
先行研究を調べると、起こしたい現象に筋のいい仮説を立てることができる。現場で起こっていることを研究することでメカニズムが明らかになり、再現性を高めることができる。起こっていることを根拠を持って説明することができる。研究にはいいところがたくさんある。

例えばZERO SCHOOLの0期生に起こっている変化は、どんな要素が絡み合って生まれているのか、研究的に見るとどんな説明ができるんだろう。定期的に調査をして縦断研究みたいにしたら面白い発見があるんじゃないか、とか思ったりする。

振り返ってみると、少しずつ形は違えど小さい頃から「研究」と近い距離にいた私。今も気になったら寝るのも忘れて片っ端から調べたり、あっちこっちいって情報収集する行動が衝動的に起こることはある。でも、これまで試行錯誤をへてきたおかげで、私にとっての研究とのいい距離感は見えた。研究員として生きることはないだろうけど、これからも論↔︎実践を回しながら社会に価値提供していくことを、私らしい要素の1つとして大事にしていきたいと思う。


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