目の前のひとつだけを味わう
はじめてのnote、やっと書きはじめることができて嬉しい。
昨日は雨の日曜日だった。外出の予定がない日に外が雨だというのは好き。窓ガラスごしに眺める外のようすが少しけぶっているのも好き。
ここ最近はじぶんを観ることを意識的にやってみている。第三者的に観る、外側?からながめてみるということ。何かあったときにそれに反応している自分を観てみる。よくよく観ることを続けていると、自分ってひどいところがたくさんあるのがわかる。臆病だし吝嗇だしかなりのカッコつけだ。だけどただそれだけ。うわぁそうなんだ…って感覚。それだけ。
まいにち観る中で、自分のくせみたいなものに気づく。2、3日前に気づいたくせは、何かをするときにそれだけに集中していない、ということ。
料理を作りながら何かを読む、アイロンをかけながら動画を見る、洗濯物を干しながら音声を聴いている…時間の有効活用、といえば聞こえはいいし、事実それを目的として行ってきた行動だと思う。しかし集中していないせいで、目の前のことに向き合えていない、こころを尽くしていない、そのものを味わう時間となり得ておらず、こなす時間になっている。
自分にとって、それが大切な時期もあったと思う。時間は貴重なものでそこになるべくたくさん詰め込みたい、要領よく物事を動かしたい、効率よく日々をおくりたい、損したくない…
そのような感覚が、いまはしっくりこなくなってしまった。目の前のいまを味わいたい。いまそこにしかない何かを知りたい。まな板の上で包丁を動かすことだけに在ると、自然と笑みが出る。この感覚はなんだろう。どこから来るのだろう。安心感だ。同時にいくつものことを行っているときには感じなかった安心感。いまの自分にはこれが必要だ。きっと前から必要だったが、やっと自分で選べるようになったということなんだろう。これから目の前のひとつずつを意識してやるようにする。これも自分だけができる小さな魔法。