1日ひとつ、イイコト探し☆ #34
【亡きひとびとに想いを馳せる】
昨日は、亡き母方祖母のお誕生日でした。
存命でしたら、96歳……かな?
今計算してみました、うん、間違いなく96歳だ。
それに、祖母は卯年生まれ。
そうだ、年女だから96歳だよね。
でも、実は祖母の本当の干支は寅。
12月、年の瀬に生まれた祖母、「年が明けた途端に歳をとるのはかわいそうだ」と考えた曽祖父母に出生届を年明けの日付で出された、と聞かされました。
そんなだから、祖母は「虎うさぎ」って言われたりしていたっけ(笑)
かわいらしいと見せかけて、気の強さは虎のようだ……っていう、ね。
にしても、96とか!!
あのひとの96歳の姿とか!!
想像がつかないー(笑)
亡くなる2ヶ月前まで、街を闊歩していた祖母。
いつも綺麗にお化粧を施し、髪を結い上げて。
アクセサリー類を身につけ……イヤリングを忘れた暁には買ってまでつけていましたよ。
重たいクロコダイルのバッグを腕にかけて。
ヒールのパンプスを履いて。
身長145cmぐらいの祖母でしたが、存在感半端ないひとでした。
96歳になってもオシャレ道を極めたライフスタイルを貫いていたとしたら、スゴいなぁ。
でも、逆に考えると。
歳を重ね、動けなくなり、オシャレができなくなっていって……
祖母本人がもどかしい思いを抱えながら生きるよりも、良かったのかもしれない。
〝いい塩梅〟だったのかもしれない。
コロナ禍になった今の世に生きていたら、祖母はどんな風に思っただろうか。
お出かけが生き甲斐で、気の強いひとだったから、憤慨していたかな(笑)
おうちでじっとしているのが好きだった祖父は、コロナ禍になっても変わらぬ生活だっただろうと思います。
父は……1番対応に苦慮しただろうと想像します(汗)
すぐにクルマに乗って飛び出していくひとだったから。
ひとに会うのが大好きでしたしね。
亡くなる頃にはもうコロナ禍に突入していましたが、在宅医療を受けていたおかげで面会制限はなく。
最後まで家族がそばにいられたのが救いでした。
……祖母のお誕生日が、もう会えなくなったひとたちに想いを馳せるキッカケとなりました。
お誕生日だった祖母にお花を、と思ったのですが。
墓じまいをしたときにお仏壇も閉眼供養をしたため、拝むことも、お供えをすることもできない。
墓じまいをするというのはこういうことなんだと実感し、今になって少し寂しい気持ちになったりしています。
でも、思い出もルーツも、永遠に母やわたし、弟の中に生きている。
そして、娘たちやその先へ継がれゆく。
アイキャッチの写真は、奇しくも昨日母から見せられた21歳ごろの祖母です。
わ、若ーーーい!
今のウチの次女の年齢ですよ、このとき祖母はすでに母を産んだ後。
いや、ホント、いろいろスゴいひとだったな。
会えるなら、もう1度会いたい。
会えたら伝えるんです、「自分らしく生き抜いた人生だったね、スゴいよ、尊敬する! 大好きよ!」ってね。