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疲れる Tired

幻想世界にいる私達が「疲れる」のは当然のようです。

「平安は自我の最大の敵である。自我による現実解釈によれば、戦いこそが自我が生き残るための保証だからである。」(T-5.Ⅲ.8:7)

自我は争いの中で強くなります。戦場で常に戦っています。誰かを価値がないと判断し、嘲笑します。相手に勝とうと奮闘努力します。問題は次々にやってきて休む間もありません。こうした、果てしない戦いは、必ず落胆をもたらすものなので、あなたに疲れを感じさせるのです。

「絶え間ない裁きがもたらす緊張は、事実上耐え難いものである。」(T-3.Ⅵ.5:6)

「疲れる」という言葉、ACIMの中では以下の様に出てきます。

T-3.Ⅵ.5:1/4 あなたが疲れを感じるとき、その理由は、自分自身を疲れることが可能な存在と判断したからである。こうしたこと(価値判断)のすべては、必ず落胆をもたらすものなので、あなたに疲れを感じさせる。

T-5.Ⅱ.10:6 世界は非常に疲れている。なぜなら、世界とは疲労という考えそのものだからである。

T-11.Ⅵ.3:8 彼の知覚はあなたの生来の自覚であり、あなた自身が取り入れる歪曲だけがあなたを疲れさせる。

T-13.Ⅶ.3:5 それ(死の刻印が押されているもの)を大切にするのはやめなさい。あなたがそれを作り出したとはいえ、それは古びてくたびれており、今にも塵に帰ろうとしているからである。

T-14.Ⅳ.6:7 疲れているあなたには、これが睡眠よりもずっと休息をもたらすものだとわかるだろう。

T-18.Ⅷ.13:2 あなたは今も疲れ果てており、砂漠の埃は依然としてあなたの目を曇らせ、なにも見えないままにしているように思える。

T-19.Ⅳ-B.5:5 内側から門を開き、平安がそこを通り抜けて疲れた世界に祝福を与えに行くに任せるのは何と容易なことだろう!

T-22.Ⅳ.4:6 ベールの向こうにあなたが見た光景は、何と美しいものだったろう。あなたはその光景を、かつてのあなたと同じく倦み疲れた者たちのもとに運び、彼らのくたびれた目に光をもたらす。 

T-25.Ⅳ.3:2 罪を見つめてはその悲しい旋律をくり返す、物憂げな目と疲れ切った胸に、あなたはこのもう一つの世界を運んでいく。

T-29.Ⅰ.5:6 それはまた、自らの健康が何に耐えられ、何が自らを疲れさせ病気にするか、といったことまで指図する。

T-31.Ⅷ.8:4 あなた方の疲れた目に、私は異なった世界を見るヴィジョウンをもたらす。

W-109.6:1/7:2 今日一時間ごとにあなたが休らうとき、疲れた心はにわかに喜びに溢れ、翼の折れた鳥はさえずり始め、長い間枯れていた小川は再び流れ出す。そして、もはや倦み疲れてひとりでは進むことができないほどに消耗仕切った心に、安息のみが存在する時間がちかずいてくる。

W-153.6:4 防衛しない心が攻撃されることはありえない。それは、あまりにも大いなる強さを認識しているので、攻撃することは愚行となり、あたかも遊び疲れた 子どもがあまりに眠くて自分が何を望んでいたのか思い出せないままに耽る、たわいのないゲームのようなものとなるからである。

W-188.3:5 それは、通りがかりのくたびれた胸にも活気を取り戻し、すべての視覚に光を与える。

W-195.7:1 だから兄弟が少しの間休らうとき、彼らの疲れた頭をもたせかけられるように、私たちの肩を貸してあげよう。

W-345.2:2 疲れた世界を祝福するために、光が世界を与えにやってきた。

M-1.4:4 しかし時間のみが気怠く流れ続けており、今この世界は非常に疲れている。

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