シングルで里親になる(人間の)㉘ 改めましての自己紹介-2
40代未婚、バツ無し、子どもなし、のシングル女性が人の里親になる奮闘記
改めましての自己紹介-2
久しぶりの投稿です。よろしくお願いします。
研修の続きを書かないとと思いながら、以前1で終わってしまっていた
その後の続きの自己紹介を。。。
以前の1はこちら
続きの学生時代を少し
大学生時代
中高一貫女子校は進学校ではないと言いながら
高校2年生までにすべての教科を終わらせ
最後の1年は受験勉強という感じで、ほぼ皆が大学に行く学校でした。
中高時代は真ん中ぐらいの成績だった私は、浪人まではしたくないという
固い決意で(笑)なんとしても現役合格を目指し
6大学から滑り止めの女子大まで10校ぐらいを受験。
受験料も馬鹿にならないので本当に両親に感謝です。
なんとか第3志望だった成城大学法学部に入学。
高校生の頃に憧れた大学生活は、まさにザ・バブルの大学生☆彡
が、入学後みるみるうちにバブル崩壊‼
入学した頃の4年生、3年生ぐらいが
最後のバブルの恩恵を受けていたぐらいでしょうか。
しかし、せっかくの大学生活!
もう、とにかく大学生らしいことをしたい!と
夏はテニス、冬はスキー、飲み会三昧のテニスサークルに入り
アンナミラーズを始め、巫女に家庭教師、
コールセンター、リゾートバイトやらと
様々なアルバイトを掛け持ちしながら
合コンして、パーティ行って、クラブに行って
と満喫しまくりました(笑)
ただ基本勉強は好きなので法学部の勉強も面白く
授業はしっかり出て、単位は3年でほとんど取得して好成績。
そして、意外にも成城大学は地方学生が少ないからか
大学デビューではっちゃけるような人はあまりおらず
もともと幼稚園からあるお金持ちの多い学校なので
仲良くなった人々は真面目な育ちの良い人々が多く
中高時代と同じような温室感を感じました。
(今はわかりませんが、、、)
成金ではなく生粋のお金持ちは、やはり違うんですよね。
ものすごい高級マンションに住んでるのに
ガソリンスタンドでバイトしていたり
ご実家は大企業で幼稚園から成城でも
レストランでアルバイトをして給料日前の飲み会を気にしたり。
真面目に学校に通って、アルバイトして、
しっかり社会勉強していました。
都内に住んでて高校まで電車に乗ったことないって人がいたのは
驚いたけど(笑)(←常に執事的な人がいて車送迎)
そんな中、ぬくぬく育っていた私が
結構大きな転機となる出来事がありました。
小学校の頃から人前で話すことは得意で
中高時代はラジオが好きで、
将来はアナウンサーになりたいと思っていました。
結構アナウンサーになった人も多い成城大学でしたが
将来の仕事にするのでアナウンス研究会などには入る気はなく(笑)
大学生活を満喫することに専念していた私でしたが
大学3年生になって、そろそろアナウンスの勉強しようかと
思い立ちました。
後から当時アナウンサーになるには
アナウンスアカデミーや東京アナウンス学院といった
専門学校に行くというのがメジャーだと知ったのですが
私が選んだのは新聞広告に出ていたラジオ日経のアナウンス教室
平日夜のそのレッスンは現役のアナウンサーやディレクターなども
講師ではありましたが、アナウンサーになりたい人よりは
営業で喋りがうまくなりたい、みたいな方が多く
大学生は私とあと数名ぐらいでした(笑)
しかしTBSだった大沢悠里さんが講師で来てくれて
TBSラジオ「ゆうゆうワイド」の見学をさせてもらったり
大人の人とお話しできる貴重な機会でした。
そして、そのクラスの先生でもあった
ラジオディレクターの方との出会いが大きな出会いでした。
アナウンス教室は3ヵ月ぐらいで終了し、
その先生が個人で目黒のスタジオで指導してくれる
というので通うことにしました。
アナウンスブースに入ってナレーションやセリフの練習を
2,3人の参加者でマンツーマンで指導してくれるというものでした。
ブースに入ってマイクに向かって台本を見ながらしゃべるのは楽しく
もともと活舌は良い方だったので毎回楽しく通ってはいたのですが
ある時先生に
「君は言われればできるけど、言われないとわからない。創造力がない。」
というようなことを言われました。
これは、結構ショックでした。想像力ではなく、創造力。
真似て覚えることは比較的得意でしたが、求められるのは
そういうことではない。
自分で考えて人にパッションを与える表現はできていないのです。
「若いからかもしれないが、色々な経験が必要。
ボランティアをしてみるといい。」
そう言われました。
え???ボランティア??
自分の力では及ばない経験や苦労を感じろ
ということだったようです。
今までボランティアなんて偽善ではないのか?みたいな思いも
少しありました。
中高はキリスト教の学校だったので
なんだかんだで募金や寄付する機会もありましたが
ハンセン病施設の慰問などの行事は参加必須でもなかったので
行こうともしませんでした。
しかし、そう言われたら、じゃあやってみよう!
ボランティアセンターに行ったり、いろんなチラシをもらったり
調べると意外とたくさんあることを知りました。
なんとなく施設でのボランティアというよりも
遠くに行ってみたいというのがあり
最初に説明会に行ったのは
アフリカでの植樹ボランティア
詳しく聞くとアフリカもかなりの山奥
感染症の予防接種を色々受けて
現地ではかなりの重労働に過酷な環境の可能性も、、、
さすがにハワイしか行ったことない私にはハードル高く
親もそれはちょっと、、と言う感じだったので
ならば国内でと
北海道でアイヌ文化を体験するボランティアに参加しました。
この体験が私の人生の中で大きなものになりました。
10日か2週間ぐらいだったか、小学生から5.60代ぐらいまでの参加者
約20名ぐらいだったかと一緒に北海道の山中での共同生活
山から水を通してお風呂に水を入れたり
穴を掘ってトイレを作ったり、鎌を使って草を刈ったり
施設の訪問をしたりもありました。
アイヌの人の話を聞いたり、生活を体験したり。
そこまでハードなものではなく、同年代も多く
本当に楽しい日々でした。
参加者には障害を持つ人、会社員、教師などさまざまで
今まで出会ったことない人や会話、体験すべてが新鮮でした。
満天の星空も初めて見ました。
世の中にはこんなにも素敵なことがあって、素敵な人がいるんだ
それまでも恵まれた人生でしたが
それでも不満を言ったり恵まれているなんて考えてもみなかった。
しかし
自分には見えていないだけ
見ようとしていないだけで
たくさんの素晴らしいものが周りにあり
まだまだ知らないことがいっぱいある
ものすごい貴重な体験でした。
そこからの繋がりで他のボランティアに参加したり
たくさんの出会いと経験をさせてもらいました。
そんな経験もあって、先生のアナウンススクールでも
褒められるようになりました。
そして、世の中にはこんなにも素敵なことがあるのに
気付かずに自分は不幸だと悲しむのはもったいない
もっと幸せになれるし、幸せなんだよ
ということを伝えたいとアナウンサーの仕事を本気で目指しました。
ということで、今回も長くなったのでここまで。
自己紹介のお仕事編は、またさらに いつか(笑)
次こそ、研修の続きを書きます!