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職業訓練が始まって増えたものと減ったもの

12月から職業訓練校が始まりました。月曜から金曜まで、9時半に始まり15時35分に終わります。私は朝の身支度が早いんですが、7時に起きてストレッチとジャーナリング、そして朝コーヒーの時間をちゃんと設けて、ゆとりのあるスタートを切れるようにしています。「朝のベッドメイクを制したら一日に勝ったも同然」ということで、パートナーが起きてきたらバッサバサお布団をさばいて、通学です。

決まった時間に家を出ること、4ヶ月前まで毎日やっていたはずなんですけど、売り上げやらなんやらに胃を痛めないでよいせいか、目覚めも良く、「もしまた半年後にどこかの会社勤めになったら、この通学がリハビリになってちょうどいいな」なんて電車に揺られています。

学ぶ無職

科目はWEBエンジニアにしました。前職がEコマースでして、「それは内製ではできない」「外注のほうが安い」「うちの技術では難しい」とバックオフィス系の人に言われるたびに「ほーん。そしたらおまえはなんで居んの?」と疑問に思っていたからです。態度にも出ていたことと思います。なので、自分ができるようになりたいというよりは、「どれくらいのできなさ」なのかを知りたい、という気持ちもあります。フロント心を持ったバックオフィス人材って貴重になるだろうな、という直感もありました。

まだ授業が始まって2週間を終えたところですが、まず単純に居場所が増えましたよね。人間関係の範囲、といいますか。「半年後、この同期たちの誰かとなにかの仕事をするかもしれないし」という、人脈作りの場でもあると思っています。43歳にもなると、仕事=就職とは限らないよね、と、おのずと道が増えるもの。週に数時間ですがアルバイトもしているので、その人間関係も新しくあり、一つの会社にいたときよりずっと忙しくなっちゃったなあ、と感じています。

43歳無職、貯金が尽きる。

一つの場所の時間は長くなく、会社員と違って責任所在もないので、忙しさの構成要素ってその掛け算ではなく、実は単純に人間関係の範囲、つまり属しているコミュニティの数に比例してるんだとしみじみと味わっています。

さて、増えてばかりで良いばかり、というわけではありません。まず朝のジャーナリングの筆が止まることが多くなりました。書くことが減ったのです。会社員時代、そして完全なる無職だった4ヶ月は30分は余裕で書き続けていた脳の排水が、渇水したのかな?というくらい何も出てこない。もはや日記みたいになっています。昨日の夜ごはんうまくできた、とか。そして職業訓練という予定が毎日あるので、完全なる無職だったときのように「あ、明日はここへ行ってみよう」「これに参加してみようかな」ということが即日できなくなり、結果興味のあることが減ったように思います。

完全無職、やっぱりよかった!もう退職日には戻れませんが、あの日々は本当に価値のつけようのない、貴重な時間でした。もう恋しいです。ただ一方で、用事があり、行く場所があることも、社会性にとっては大事なこと。半年後に「増えてばかりで良いばかり」になっているかな。2025年6月の自分が、今から楽しみでもあります。

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マミ・フィッツジェラルド
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