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43歳、無職になりました。

ひまになった無職

43歳で無職になり、1ヶ月が経ちました。
毎週末予定があったから、そこそこ忙しくしてました。ようやく「ひまだな?」と感じ、かなり昔にアカウントだけ作ったnoteを思い出して、社会性のリハビリを始めることにしました。

早く転職活動なり、起業なりすれば?と多くの方がお思いかもしれませんが、「43歳突然の無職」って強烈です。コンピテンシーやストレングスファインダーなどみじんも役に立ちません。「もうなるようになるしかない。それを知っている」それが43歳です。不安も当然ありながら、諦観がやや優勢。そんな年齢です。だから ~100日後に復職を目指す中年女性~ みたいなゴールコンテンツにはならないかもしれません。

節約をしない無職

毎日どう過ごしているかというと、それなりに早い時間に起きて、ほぼ日でカフェへ行っています。シンプルに、無生産で家にいると病むからです。しかも近所のカフェでなく、なんとなく行きたいと思ってた遠くのカフェへ、交通費をかけて出かけています。節約の敵と言われるコンビニコーヒーを優に通り越して、素敵なカフェで過ごしています。何年後か、何十年後か死の際で、

「あぁ、あのとき、43歳の無職の期間に無駄使いなんかせず、なるべく節約をして、家でできることだけして過ごせばよかった。」

なんて後悔するでしょうか?

カフェは素晴らしい空間です。人のエネルギーが集まって交差している。その点では、喫茶店よりはサード系のカフェが便利で居心地が良い。なんせサードプレイスを自称しているのだから、そこで過ごすことについて無職にも優しい雰囲気になっています。読書をしたり雑文を書いたりしています。日々で病まないこと、無職の中年にはなによりも大事なことです。

なにもないし、全部在る

収入を得るための組織から外れただけなのに、無職ってどうしてこうも社会全体から外されたような気持ちになるのでしょうね。(この場合の無職は、収入を得るための手段を全て手放して、当面の予定もない状態です)本当に、「自分にはなにもない」みたいなことを実感したりします。つい1ヶ月前までは社会人として役割もあって、仲間やクライアントに感謝されたり、手伝ってもらったり、会議で上司がむかついて裏で後輩にチャットしたりなど、社会性の王道の中にいたのに。

ある人にとっては、私って恵まれているように見えると思います。自分にはなにもないと感じているのは本人だけで、だってあの人は友達もたくさんいそうだし、写真という何年も続けていることがあるし、突然無職になるってことはある程度の貯金もあるんでしょう?それにパートナーがいて、なんなら彼女が支えてくれそうだし。知り合いも多そうだし、きっとすぐに次の仕事も見つけてきそう。

私もあなたのこと、そう思ってます。

あの人にはできるだろうけど、自分には難しそう。自分にはできなそうだけど、あの人はできるんだろうな。そのあの人って、自分のことですよね。

何年後か、何十年後か死の際で、毎日カフェ通いしたことを後悔しないだろうけど、「もっとさくらにご飯を作ってあげたかったな」と思うことは簡単に想像できます。

今夜カレーだよ。



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