辞めた大企業への未練を捨てるためのステップ
「誰もがうらやむ大企業! やめちゃうなんて、もったいない。」
今日も言われた。会社を辞めると報告すると、必ずそう言われる。そのたびわたしは傷つく。そしてちょっと苛立って、でもそれは悟られないようにして、「そうなんです、でも、家族がそろう方を選びました」と笑う。
声をかける方は、純粋に残念がる気持ちと、そんな会社に勤めてきたわたしのことを褒めてくださっているのだと思う。だから苛立ちたくないし、そんなことで傷つきたくない。だって事実は変えられないから。
なので、どうしてわたしはこの言葉に敏感になってしまうのかを考察したい。
もう「この自分」を生きられないのがわかっているから
根幹にあるのは、今の仕事を続けた先にいる(もう何年も想像しつづけた)自分になる未来はあり得ない、というのがわかっているからだと思う。
わたしは一人目を産んだ後から、
2人目は○歳差で産んで
上の子が小学生になったらアクセル踏んで
上の子の中学受験が始まりそうならサポート体制を組んで
下の子の中受も同様にこなして
下の子が中学入ったら、再度アクセルを踏む
というキャリアプランを立てていた。
中受がおわったら、アクセル全開。残業に、出張もこなそう。わたしがこのサービス背負ってます、と、自他ともに認められる者になろう。
そのために今まで努力してきたのだった。
その「輝かしい未来」にいる自分には、もうなれないのが、わかった。
その自分とは、さよならしなくてはいけないのだ。もう二度と、一緒に夢を語らうことはできない。なんてさみしいのだろう。
今の会社以上の会社で勤務できる自信がないから
つぎに、これ。これは、わたしが第二子復帰して1年未満というのも関係していると思う。
わたしの第二子復帰後は、うまくいかなかった。周囲は「そんなことないよ」と言ってくれるが、主観としては「もっとできると思ってたのに、全然できないダメ社員」と思っている。自己効力感が著しく低いままでの卒業となった。
いまのわたしは、お荷物だ。そんなわたしが、今の会社と同等の待遇で、今の会社のように、時短・フルリモートで働けるだろうか? そんな人を、雇ってくれるだろうか?
正社員とは、既得権益だ。独身時代のがんばりで、その後の子育て期を乗り切る。減価償却だ。そんな考えが、わたしにあるのだ。
もし日本に帰ってきて、3年間働いていないわたしのさび付いた力で、誰が雇ってくれるのだろうか。
「輝かしい未来」の自分って?
一方で、こうも思う。「わたしの人生、お先真っ暗なのか?」
そんなわけがない、というのは、これを読んでくださっている読者のみなさまもご存じのことと思う。
だとすれば、今ある不安のひとつひとつをつまびらかにし、それに対処し続けるしかない。
第一の命題は「輝かしい未来にいるはずだった自分になれないのが寂しい」だった。この不安に、どう打ち勝つ?
まず、「輝かしい未来」とはなんだろう。箇条書きにしてみる。
大きなプロジェクトを任される
プロダクトの根幹にいる
サービス・チームに対して裁量を持つ
「大企業で働いている」という自己顕示欲
こう書いてみると、対処のしようがある気がしてきた。
1~3は正しい環境で、正しく努力すれば難しいことではない。何年かかるかわからないけど、必ず達成できる気がする。
ただ、1~3は本帰国後のわたしの頑張りにかかっている。
そのために、いまのわたしができることとすれば、
どんな環境があれば、今のわたしがそうなれたのか?(環境面の整備)
どんな努力をすれば、その地位にたどり着けるのか?(能力面の向上)
これらを考えて、駐妻期間(かつ、強制的なサバティカル休暇)である3年ほどを過ごすこと。
この、駐妻期間のキャリア戦略は別途記事にしたいと思う(どうかみなみなさま、わたしの整理にお付き合いいただけますと幸甚でございます)。
さて、4の「大企業で働いている」という自己顕示欲については、どうだろうか。
わたしは今まで、この「大企業で総合職として働いている」ということが、自分のプライドの大部分を占めてきたのだと、今この段になって、はじめてわかった。
保育園の、家庭状況調査のとき。美容院や整骨院で、仕事の話をするとき。
「ええっ、あの会社に勤めてるんですか!?」というおどろき。なんと心地の良かったことか。
それは、SNSのいいね稼ぎに似ていた。わたしは、静かに承認欲求を満たしていたのだ。
では、その承認欲求が、わたしにどう作用したか?
わたしの環境には、なにも変化がなかった。なぜなら、わたし自身はどこで働こうが、変わらないからだ。
じつは、わたしは、本帰国後はベンチャーで働いてもいいかもな、と考えてもいる。それは、鶏口牛後というか、小さな会社でも裁量をもちたいと思い始めたからだ。
幸い、わたしが所属するIT業界は、ベンチャーでもホワイトな働き方が提供される会社が多い。よしんば待遇が今の会社より劣ったとして、ステップアップのために、自分の興味のある仕事、自分の能力を伸ばせる仕事を選ぶ時期があってもいいかもしれない。
そんなわたしを今の会社に縛り付けていたのは、「大企業の社員だ」という自己顕示欲だけだったように思える。
そう考えると、わたしが別の方法で承認欲求を満たす、あるいは、承認欲求が満たされなくても、つまり、他人による賞賛が得られなかったとしても、自分で「いまのわたしが一番好き」と思えるならば、大企業に勤めなくてもいいのかもしれない。
もし、今の会社が大企業でなかったら、わたしは、今のわたしを好きだろうか?
たぶん、そんなに好きじゃない。狭い裁量で、よくわからない仕事をとにかく前進させるだけのわたし。本当は、もっとプロダクトのコアを考える仕事が好きなのだ。大きなサービスをローンチした時のヒリヒリした感覚が、忘れられないから。
そうしたら、大企業に執着する理由はないのかもしれない。
今のわたしは、本当のわたしか?
つぎの命題は、「いまのわたしがポンコツ」問題。これは、いくつかの不安に分解できる。
いまのわたしは、お荷物だ。
そんなわたしが、今の会社と同等の待遇で働けるだろうか?
もし日本に帰ってきて、3年間働いていないわたしのさび付いた力で、誰が雇ってくれるのだろうか。
ひとつひとつ、検証していきたい。
「いまのわたしは、お荷物だ。」
これは第二子復帰後に浮かんだ考えであって、それまでは思い浮かびもしなかった。
なぜ、お荷物だと思ったか。それは、
仕事に集中できない
仕事が終わらない
仕事の進みが悪い
からだった。では、なぜそうだったか。
原因はいくつか挙げられるが、「わたしの力不足だった」という能力面と、「わたしの環境が悪かった」という環境面に分けられる。
能力面については、育休で仕事から離れていたことが1番大きい。
ということは、継続して働き続けられれば、これは解消されるはず。
環境面については、能力不足に対する言い訳に聞こえるから今まであまり考えてこなかった。
しかし、こちらの記事でキャリアコンサルタントから指摘された通り、それでは物事は前進しないというのがわかったので、あえて考えてみると、「こんだけプライベートのタスクがあったら、仕事にフォーカスするのは無理」ということだ。
さらに言うと、育休復帰した部署も悪かった。部署名こそ変わらなかったにせよ、仕事の進め方も、メンバーも、大きく変わっていた。
と、ここまで盛大に言い訳wを連ねてみると、「やっぱり今が特別に仕事ができないだけであって、この環境面が整備されたら、劣等感は消えるのでは」と思い始めた(自分に甘いだろうか)。
「今の会社と同等の待遇で働けるだろうか?」
これは上述の整理の通り、大企業にこだわる必要がない。最初のうちは給与と働き方のトレードオフになるかもしれないが、キャリアアップを重ねれば良いだけの話。
キャリアアップは、正しく努力すれば必ずできる。
とすると、この不安もクリアできそう。
「3年間働いていないわたしのさび付いた力で、誰が雇ってくれるのだろうか。」
これは今後の課題。
3年間のサバティカルタイムをどう使うかが、わたしにはまだ練れていないのだ。
というか、3年後のありたい姿すらぼんやりしてるのだから、仕方ない。
ちょっと考えてるのは、今のスキルに英語を追加したら結構強いのでは?という考えのもと、とにかく英語を勉強し、話す環境に飛び込んでみること。
最後の1年は(夫の会社の制度にもよるが)ビザをワークパーミットに切り替えて、現地で働いてみるのもいいかも、とうっすら考えている。
あるいは、キャリアコンサルタントの資格が取れたら、駐妻のワークショップなんかもやってみたい。これは今後の複業に活かせそう。
こんなうすらぼんやりな状況なので、この課題に対する具体的な打ち手はまだ見えていない。渡航後3か月で生活を落ち着けて、そこから半年くらいかけて方策を検討したいと考えている。
ポンコツなのは今だけ
ひとつひとつ検証(と言う名の言い訳)を重ねると、どうやら、「私の能力面だけがはるかに劣っている」という訳でもなさそうだ。
とすると、「わたしはポンコツだから、今の会社以上の会社で勤務できる自信がない」という命題もクリアできそうな気がしてきた。
未練は捨て、新しい環境に飛び込む機会を楽しむ
ここまで整理すると、わたしは何を、あの会社に執着していたのだろうと思う。
夫の転勤は、そんなわたしに転機を与えてくれた。転勤がなければ絶対に訪れなかった「会社を辞める」というイベントは、わたしのアイデンティティを壊すのと同時に、現状を打ち破る機会をくれた。
キャリアアップのための活動をしてもいいし、キャリアシフトのための活動をしてもいい。なんて自由なんだろう。ここから先は、わたしは、誰からも与えられない代わりに強要もされない。自分の生き方を再構築できると思うと、不安よりワクワクが打ち勝つ。
こうして、わたしは「大企業に勤めている自分」というアイデンティティの喪失を乗り越えた(と思う)。
ここから、どう新たなるアイデンティティをデザインするか、そのデザインの過程を、このnoteに残していきたいな。
(ここまでお読みくださったみなさま、面倒くさいわたしの逡巡にお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。お優しいみなさまに、幸あらんこと。)