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書けなくなったらこれをする

書けない、なんていったら、文豪みたいだけれど。

わたしには、エッセイ(と、noteに書き記す雑記の事をあえてこう呼ぶ)が書けなくなる時期がいくつかあった。

実は、ここ数週間その状況に陥っていた。
書きたいことが思い浮かんでくるのに、書けない。しっくりくる表現が浮かばない。

わたしは伝えたいことがそっくりそのまま文字にならないと気がすまない性質で、だから力量不足でそれが達成できないとわかると、題材ごとお蔵入りさせてしまう。

noteを開きながら、いいなぁみなさん、素敵な記事だなぁ、と憧れるのに、どうしても自分には書けない日々が続いた。




わたしはなぜそうなるのか、知っていた。わたしの中にことばがないからだ。

説明しきるだけのことばが思い浮かばない。語彙を両手で搔き集めても、空中に分散してしまう。ことばの引き出しを上から順に開けて、類語辞典に救いを求めて、それでも文章を構成することができなくなってしまうのだ。

こういうとき、わたしは小説を読む。詩や短歌も読む。すると見事にことばは復活する。

文学はことばの芸術だから。わたしにとっての「芸術」とは、世界を表現すること。
その意味で文学は、ビジネス書や実用書とは一線を画す。
文章の構成がまるで違う。ビジネス書や実用書は、わかりやすく書いてある。でも文学は、わからなくてもいいんだもの。「わかってもらおう」なんて思って書いていない(と期待したい)。それがいい。「こんな表現があるんだ」といつも勉強させてもらえる。




ちなみに、今回読んだのは三島由紀夫の「美徳のよろめき」。おそらく7年ぶりの再読。

人生経験を積んだ今読むと、昔わからなかったことがわかるようになったり、反対に、わかったことがわからなくなったりして、おもしろい。



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まみ┆キャリアコンサルタントな駐妻
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