ワーママ、会社を辞める
仕事を辞めた。子どもを産んでも「続けたい」と思った仕事を。
わたしの仕事を辞めるまでの逡巡は、いくつかnoteに残している。
わたしは仕事がしたかった。けれど、それについては、もういい。
自分の中で整理がついたし、わたしのこの気持ちを「わかってもらいたいひと」たちには、十分に伝わって、労ってもらえたから。
「仕事を辞めたくない」と思っている限りは、前に進めないのが理解できたというのも大きい。
実際にわたしは仕事を辞めたのだし、その決断を自分でした。その事実は変えられないから、もう未練を捨てて、前を向くしかない。
幸いなことに、反省や残念な気持ちはあれど、後悔はない。
実際に仕事を辞めて初めて考えた、自分でも意外だったことがいくつかあったので、お話ししたい。
残していく、未来ある後輩たちへ
ありがたいことに、わたしには、退職当日にスピーチをする機会が与えられた。
わたしはその場で何を話そうか、一週間悩んだ。
そうした結果、わたしにできることは、わたしのストーリーを語ることだと思った。具体的には、
どういう想いで仕事をしてきたか
女性が(男性社会である現場の)仕事をすることの困難をどう乗り越えたか
こういった話は、なかなかできない。でも、若いころの自分だったら、先輩ワーママがなにを考えているのか知りたいだろうな。
だから、これは、まだ若い頃のわたしに伝えるのだ。
退職当日、わたしは、職場のみなさんにご挨拶をする。
第一子復帰当時、男性が多い職場でワーママが一人もおらず、苦労したこと。
相談相手が欲しかったが、誰もいなかったこと。
誰もいないなら、わたしがなろうという想いで、今まで仕事に励んできたこと。
これを聞いてくれた後輩たちは、わたしというロールモデルの一例が身近にいた。
それを見て、「こうなりたいな」でもいいし、「こうはなりたくない」でもいい、後輩たちの将来を考える一助になれたら、とても嬉しい。
それが次の世代を作っていくのだ、と。
やっと本来の自分に戻れる
社員証を返し、来客用のQRコードで会社のゲートを退出した。
もう、二度と戻れない。振り返ってオフィスの入っているビルを見上げる。
さようなら、わたしの愛した、会社員だったわたし。
郷愁が胸を突くと思った。だけど、実際は違った。わたしは安堵していた。これには、自分でもとても驚いた。
ああ、やっと、本来の自分に戻れる、と思った。
この半年間、自分が自分でないようだった。いつも忙しくて、タスクがいっぱいで、感情的で、仕事に集中できず、かといって家事や育児も十分ではない生活。
仕事の速さがウリだったのに、後回しにし、「これをもっと早く考えておけばよかった」と自分のダメさに落胆する毎日だった。
それは、以前にはない出来事だった。同じワーママという立場でも、第一子復帰後は、たしかに戦力として働いていたのだ。
なのにどうして第二子復帰後は、うまくいかなかったのか。それは、こちらの記事で書いた通り、(もちろんわたしの能力が低かったのは大前提のうえで、)環境が悪かったのも一因だ。
でも、環境を変えることはわたしには困難だった。
だから、ひとつ、会社員というタスクを降ろしたことで、ほっとした。
TODOがやっと減った。これで、わたしには余裕ができる。余裕ができたら、わたしの好きなわたしに戻れる。
次は何をやろうかな
思えば産休育休を除いた13年間、休まず働いてきたのだ。学校に通った年月より長い期間社会人をこなしてきたことに、改めて驚く。
ぶっちゃけ、ジリ貧だった。このままぶら下がりワーママとして生きていくか、わたしの理想とする子育てを差し出してキャリアを取るか。その答えを出す暇もなく、ただひたすら目の前の道を走る毎日。
そこに、3年間という帯同生活が降りかかる。良いように考えれば、強制的なサバティカル休暇だ。
わたしはこの休みの間に、なにをしよう。3年後の自分が「あの時整理しておいて良かった」と思えるようなライフキャリアを描きたい。
なにはともあれ、おつかれ、わたし。
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