転職サイトを見て喜ぶ主婦
「あの企業からスカウトが…!?」
という、CMそのままの声が聞こえた。ドーパミンが放出された気がする。
夕飯前にLINEをチェックしていたら、PR欄に某企業からの広告が表示されていた。
「久々にログインしませんか?」
あ~~~、出国前に登録して以来、見てもいなかった。
人とは不思議なもので、幾度となく表示され、その度無視され続けた広告が、その時ばかりは私の心を動かした。
そして、使い方もロクに知らないウェブサイトにログインし、なんとかメッセージを確認した。
すると、「あ、この会社知ってる」「この会社もだ」という企業からのメッセージがいくつか届いていた。
スカウトメールといっても、本当のスカウトではなく、人材派遣会社からの面談連絡であることも知っている。
彼らがわたし自身の実力ではなく、わたしの勤めていた会社名を見て連絡してきたことも。
これがたまたま人手不足の業界の、人手不足の分野でキャリアを歩んできただけの、ラッキーにすぎないということも。
でもわたしは、嬉しかった。小躍りした。そして明らかに、機嫌がよくなった。
そんな自分が、恥ずかしかった。
わたしは大企業に勤めていたから、意思決定のスピードの遅さ、ステークホルダーへの忖度、trial and errorが認められづらいという欠点を知っている。
それらの欠点のために、一時期、本気で他の会社に転職しようと考えたことすらある。
なのに、あからさまに、名の知れた大企業からのスカウトメールが嬉しかった。
普段はえらそうに「自分で自分の価値を認めよう」だの「自分が満足していれば良い働き方」だの説教じみた投稿をしているくせに。
なんて恥ずかしい。
なんでだろう? よくよく考えた。
わたしは、働いていること、もっと言うと、誰からも「すごいね」といってもらえる企業で働いていることに価値を見出しているからではないか?
そんな自分が好きだからではないか?
なぜかって、それって、他人から認めてもらう手段なんだ。
だってわたし、そのスカウトメールを見て、「生きていてもいいんだ」と実感できたんだ。
ひとは他人から認めてもらいたいと願う生き物だ。マズローの5大欲求では、生理的欲求、安全欲求に次ぐ第三段階の「承認欲求」がこれにあたる。
「認めてもらえた」と意識する方法は、千差万別だ。ひとによって違う。
たとえば、物を買ってもらう。声をかけてもらう。一緒に食事に行く。自分の商品が売れる。「おいしいね」の言葉。楽しい思い出を共有すること。
きっとわたしにとってそれは、「すごいね」と思ってもらうことなんだろう。
どうしてだろう。
なぜ、「すごいね」と言ってもらいたいんだろう。
いま、この本を読んでいる。
この本は、劇薬だ。元気な時じゃないと読めない。
補足すると、わたしの両親は良い親であったと思う。
価値観を押し付けられたことはなく、たいていの場合、わたしの考えを尊重してくれた。習い事も十分にさせてもらえたし、たまには旅行だってした。きょうだい分け隔てなく育ててくれたおかげで、今でも弟たちとは仲が良い。
だけど、両親が、わたしのことを褒めてくれたことが一度だってあっただろうか。
時代が悪いのは知っている。
わたしが生まれたのは昭和と平成の境で、厳しい親の多い時代だった。
テストの点数は良かったし、学年で一番のピアノの名手だったし(ただの公立校だったからだと思うけど)、美術で区展に何度も出て、表彰状もいくつももらった。
だけど、そのとき、親はわたしになんと言っただろう。
みんなもそうでしょ
大したことないんじゃない?
もっと上手な子はたくさんいる
それは、うぬぼれ屋のわたしに対する親なりの愛情・けん制だったのだろう。
親は本当にわかっていない。
わたしはうぬぼれ屋なんかではなかった。自分より頭の良い、芸達者な子がいることは自分が一番よくわかっていたのだ。
だけどそれじゃあ、あまりにもわたしがかわいそうじゃないか。一体だれが、わたしのことを褒めてくれる? 親が褒めてくれないなら、わたしがわたしを褒めるしかない。だから言うんだ、「すごいでしょ」。
わたしは、まだ小さな少女なのかもしれない。誰かに「すごいね、がんばったね」と言ってもらいたいだけなのかもしれない。
だからわたしはこんなに大人になってまで、だれかに「すごいね」と言ってもらいたいがために、名の知れた大企業に勤めたいと思うのかもしれない。
なんだか、かわいそうだな。
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