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「30代の頑張りが40代をつくる」が苦しくなったから

20代の頑張りが30代の仕事をつくる、30代の頑張りが40代の仕事をつくる……

巷でよく聞く言葉だ。わたしも、20代のころはこの言葉をかみしめて仕事をしていた。

いまを乗り越えられたら、将来もっとパワーアップしているはず。だからこの辛さも耐えよう。


専業主婦・キャリアブレイクの立場はつらいよ

夫もよくこの言葉を口にする。

「30代の仕事が40代をつくるっていうけど、そうなんだろうなぁ。」

彼は何の気なしで、わたしだってわかってる。それが真実だろうし、たとえ真実じゃなかったとしても、その言葉を口にすることで踏ん張れる時があるのだ。彼はいま、その時なのだ。

駐在員の仕事はいそがしい。責任も重い、「日本に帰りたい」と思わせるほどに。わかってる、わかってる。それでもわたしは、張り付いた笑顔の裏で、沸き上がる気持ちを無視できない。


なんにもがんばっていないわたしの40代は、どうなっちゃうのかな。


それを放出することは何の意味も持たないとわかっているので、あえて口には出さない。だって、こんなこと言われたって彼にはどうすることもできない。誰にだって、なす術がない。わたしにだって。

だけど、そのたびわたしの胸はチクリと痛む。いいなァ。

夢に向かい交差点を渡る途中の人は良いね

B’z 「LOVE PHANTOM」


目的地もなくスクランブル交差点まで飛び出してきてしまったわたしには、行き先のある彼らがまぶしい。


それでも40代は来る

30代のいま仕事ができなくて、わたしの40代はどうなるのだろう。今がんばっている人とどんどん差がついちゃうな。

とめどなく不安が溢れてくる日がある。もうわたしはその舞台から降りたのだと嘆きたくなる時もある。

しかし、くすぶっていても40代は来る。それは純然たる事実なのだ。
どうせ今の環境を変えられないのなら、楽しまにゃ損じゃないか。


自分を痛めつけるのはもうやめた

わたしの30代は、すべて無駄になるのか。
子どもを2人もって時短勤務をこなし、駐在帯同でキャリアブレイク期間に突入したこのすべては不正解だったのか。

そんなはずない。

キャリアブレイク期間に、わたしの人間性は大きく変わった。
将来への見方も、お金の考え方も、子どもたちとの関わり方も変わった。

このすべてが無駄だったとは到底思えない。
わたしの毎日がどんなに非生産的であったとしても、金銭的報酬という観点のみであの愛おしい日々を断罪される筋合いもないし、自分でそう痛めつけなくたって良いのだ。

🔽去年の最後から今年のはじまりにかけて考えていたこと


わたしの毎日は、必ず40代を形作る。


30代の過ごし方が、40代に活きる

大それたことじゃなくていいんだ。

がんばったこと、がんばれなかったこと、がんばらなかったこと。
出会ったひと、感じたこと。
うれしかったこと、かなしかったこと。
かけた言葉、かけられた言葉、かけてほしかった言葉、言えなかった言葉。

諦めるという事象を、悲観するか認容するか。
世界を敵でいっぱいにするか、手を差し伸べる存在にするか。


キャリアに関する学者、L・サニー・ハンセンが唱えた「統合的生涯設計」では、人生は4つのLからなる役割が相互的に作用し、また、統合されてこそ意味のある全体になると唱えている。

4つのLとは以下を指す。

  • Labor(労働)

  • Learning(学習)

  • Leisure(余暇)

  • Love(愛)


人生とはこれらを組み合わせたパッチワークであり、キャリアとは単に職歴のことを指すのではなく、ライフキャリア、つまり人生全体で統合的に紡ぎ合わせていくものだという。



わたしはこの考え方が好きだ。

いま、わたしには仕事はない。だけど、学びも、余暇も、愛するひとびとと過ごす時間もある。
それがわたしの人生をつくる。もちろん、仕事にだって活きてくる。

「30代の頑張りが40代の仕事をつくる」をわたしが言い換えるなら、「30代の過ごし方が、40代に活きる」だ。
未来のために生きているのではないし、戦略的に時間を送れなかったとしても、それもまたわたしの人生であり、否定されるものではない。

どんな毎日もすばらしい。心の底からそう信じることができるいま、このときを忘れたくないから、書き残しておく。


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まみ┆元管理職、キャリアブレイク中
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