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在米友人から「デートナイト」なる概念を教えてもらう

友人は国際結婚をして、いまはアメリカで働きながら子育てをしている。

その友人とセラピストについて話をしていたら、「シッターは高いけど、デートナイトはお金がかかっても月1はやらないとダメと(セラピストから)言われたんだよね~」との言葉をきいた。

デートナイトとはなんぞや!?!?



デートナイトとは

調べると、そのまんま、「夫婦で夜デートに行くこと」を指すらしい。
その間、子どもたちは両親か、ベビーシッターに預ける。

欧米はベビーシッター文化が定着しているので、特に抵抗はないとのこと。

たしかに、欧米系の子どもたちのそばにナニーさんがいる風景はごくありふれている。有料の室内遊び場でナニーさんに預けている間に、お母さんは運動したり、お買い物をしたりして、用事が済んだら笑顔で迎えにくるのだ。


清々しいまでの母子分離で、うらやましいなぁとすら思う。わたしも罪悪感とか「母親失格」とか心配だなとか思わずに、ナニーさんを信頼して預けられればいいのに。


ここはタイだからナニー代が安いのだろうけど、友人の住むアメリカではシッターの時給も高いし、加えて交通費と食費を支払う必要があり、「金額にすればディナーコース1人分くらいは払っている」とこぼしていた。

それでも、セラピストは「月1回はデートナイトに行くべき」と推奨したと言う。


「子ども中心」アジアと「おとな中心」欧米

デートナイトについて調べていると、オモシロイ記事を見つけた。


「デートナイトは家族の大事な習慣。日本では、家族=子ども中心だが、欧米では大人が中心だ」という旨の記載だ。

ほほぅ……たしかに、遊び場で子どもに引っ付いているのは東アジア系の母親が多い気がする。

文化の話だから、どちらが良い・悪い、というのはないのだけど、価値観が違うなぁと感じる瞬間だ。


身動きのとれない日本の母親

「子どもにベッタリでキツくないのか」「夫婦の時間が欲しいと思わないのか」「自分の人生を生きたくないのか」ときかれたら、ハッキリと「YES、自分の時間ほしいです」と答えよう。

だけど、わたしは純ジャパニーズ家庭で育ってきたから、子どもをシッターに預けておとな二人で夜遊びするという考えが思い浮かばなかった。

なんだか、ふしだらな気がしたのだ。誰かに後ろ指をさされてしまうというか。


「子どもを産んだら父と母になるのに、まだお前たちは男と女なのか。おとなになり切れないのか。子どもを産んでも女でいたいなんて、性に執着しているようでみっともない」


そんなことを、胸の内で思われるだけでもキツい。聖母マリアのごとく純白な母でなければならぬ。わたしは「性」とか「自我」とか、そういう俗物的な感情を超越した「母」になったのだから、子どものために生活を変えねば。


……。


もしかしたら、そういう生き方をしなくてもいいんじゃないのかな、と思ったのは、もう子育てを3年も経験した後だった。

そうこうしているうちに、子どもたちは7歳と2歳になった。もしもいまシッターに預けたとして、上の子は緊張のあまり心を閉ざし、下の子は泣きわめき、外出どころではないだろう。こういうのは、0歳のうちからすりこまなきゃダメなのだ。

わたしが驚いたのは、欧米系の子どもは困った時には「ナニ~」と、ナニーさんに助けを求めることができるという点だ。見守りをしてくれる保護者の一員として、ナニーという存在を受け入れている。慣れているのだ。

わたしの子どもだったら、こうはいかないだろう。困りごとがあったとしても、ナニーさんに助けを申し出ることができず、ひとりで解決するか、我慢する姿が目に浮かぶ。

自分の時間が欲しいのなら、子どもを自分以外の依存先に慣れさせておく必要があるのだ。でも、若い私にはそれができなかった。

結局、わたしは今も一人で子どもの面倒を見ている。


わたしの価値観で生きていく

母以外の依存先を作らなかったこと、その環境に子どもたちを慣れさせなかったことは、今となっては反省材料だ。
では、現代を生きるわたしは欧米風の子育てをすればよかったのか。

0か100か思考の過去の自分にアドバイスするなら、「良いものは良い」と、自分にとって心地よいバランスをとればそれでいい。
日本風の子育ても他文化の子育てもMIXしてしまうのだ。

たとえば、親が子どもと同室で寝る文化。欧米では赤ちゃんでも1人で寝るのが当たり前だし、ねんトレの観点でも添い寝はNGと言われているけれど、わたしは子どもと一緒に眠りたかったので、夜泣きに悩まされたにも関わらず、別室育児は採用しなかった。

わたしは、今日が終わるその時に子どもの寝顔で満たされ、今日がはじまる瞬間も子どもの寝顔でパワーをもらいたかったのだ。ぷくぷくの頬、すやすやと眠っているまつげ。もう今日はがんばれないという日を、何度救ってくれたことか。

すべてを当てはめるのではなく、要素に分解して、良いものは取り入れていく。他人の目とか、誰かの意見とかは気にしない。そういう観点で選んでしまったものは、自分にとって心地よいものではないということを学んできたのだ。

わたしは、わたしの価値観でこれからも生きていく。


”デートナイト”がしたい!

デートナイトがしてみたい。わたしは友人の話を聞いて、初めて夫と夜に出かけてみたいと思った。

新しい価値観に触れ、それが自分にとっては心地よいものだと感じたのだ。
これは、子ども中心に考えてきたわたしにとって驚くべき変化だった。


子どもが20時に寝るためにはお風呂と夕飯は○時にはじめる必要があって、そのためには買い物は○時までで、ということは外出先を出発するのは○時で……。

ガチガチに凝り固まって、呼吸の仕方さえ忘れていた。わたしの考えた完璧なスケジュールを夫が少しでも破ろうとすると、苛立ちが全身を走った。なんであなたは、父親になれないの! 子どもを一番に考えられないの!

だけど、上の子が7歳、下の子がもうすぐ3歳になろうとしている今、すこし余裕が出てきたのかもしれない。

夫と夜、外出したい。夜って、なんかいいよね。お酒も飲めるし、普段、日が暮れる頃にはもう家に籠っているわたしにとって、ちょっとした非日常感がある。

だけど、今すぐは無理。わが子はシッターを受け付けないだろう。タイにいる間は、夫に有給をとってもらってランチにいくのが精いっぱい。

でも、日本に帰るころになれば、可能かもしれない。下の子も聞き分けが良くなって、祖父母に預けるのに気遣いがいらなくなると思うから。

そうなったら、どこに行こう。なにをしよう。



音楽が趣味のわたしたち、子どもが生まれる前は仕事終わりにホールで待ち合わせてオーケストラの演奏会を聴きに行ったなぁ。

オペラやバレエを見たことがないから、観劇してみたい。クリスマスなら、くるみ割り人形もいいよね。

そういえば、学生のころ、コットンクラブにジャズを聴きに行ったこともあった。お互い、学生なりに目いっぱいオシャレして行ったんだよね。

社会人になって遠距離恋愛してた頃、あなたが東京に帰ってきたら、ホテルのバーで飲んだこともあったよね。

夜の東京には、思い出がいっぱいだね。だってわたしたち、学生の頃からの仲だものね。


考えだしたら、夫へのときめきがとまらない。笑

子どものことや、自分の将来のことを考えることはあれど、夫について思考を巡らすことはほとんどなくなった。

だからこそ、あえての「デートナイト」で、人生を共に歩むと自分が決めたパートナーのことを尊重する習慣が必要なのかもしれない。


わたしもデートナイト、してみたい。



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まみ┆元管理職、キャリアブレイク中
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